単純な想い
美しいと感じたものを目の前にした時、つい手を伸ばしてしまう。
そんな欲望を抱くのがヒトという生き物であり、宝を手に入れる為に大切なものを全て失った……なんて話はアストルティアにありふれている。
永遠の美を求め醜き魔物となってしまった者の物語や、美しき絵画に化けた魔物が多くの人を喰らおうとした物語……冒険者であれば、各大陸から集まった人々が集う酒場でそういった類のお伽噺を耳にすることは少なくない。
それらのお伽噺に対し「俺ならそんなヘマはしないけどな!」と己を誇示する勇敢な冒険者もいれば「自分も同じ失敗をしないよう気をつけなければ……」と真摯に受け止める冒険者もいる。だが実際にそのような場面に遭遇した時、冷静に対処する事ができる者は果たしてどれ程いるのだろうか?
これは、そんなお伽噺のうちの一欠片。
誰にも語られる事の無い、些細な欲望によって全てを失った愚か者の物語。
ある所に、薄暗く湿った遺跡を探索する四人組のウェディの冒険者達がいた。
彼等は冒険を始めてからの日は浅いが、熟練の冒険者にも劣らない連携力を持った非常に仲の良いパーティだった。四人はまだ見ぬ世界に夢と希望を抱き、目を輝かせながら冒険をしていた。
そんな中、パーティの一人である旅芸人の少女がふと遺跡の奥に隠されていた小箱を見つけた。蓋を開けると、中には煌めく深藍色の宝石が佇んでいた。その美しさに惹かれた少女は、思わずその手を伸ばしてしまう。
それが全ての「始まり」だった。
* * * * *
透き通った青い空に、大きな雲が浮かぶ。
あの雲のように、自分が在るべき世界を堂々と生きていられたら……そんな事を思いながら、ウェディの少年はカタカタと馬車の荷台に揺られていた。
「もう少しでレーンの村に着きますよ。いやあ、助かりました」
馬車の前方から年老いた男性の声が聞こえる。その言葉を聞いた少年は馬車から飛び降り、声の主に向かって言葉を返した。
「此方こそありがとうございます。護衛として乗せて貰ったのに、魔物と戦う機会はありませんでしたが……」
「いやいや、旅路が穏やかなのは良い事じゃないか」
そう言いながら老人は少年の方を見る。
サラサラとした金髪に紫色の眼。身に付けている黒一色のベストとズボンは軽さと動きやすさが重視されたもので、持っている荷物は必要最低限の生活用品と鋼の槍のみ。使い込まれた様子の槍以外はどれも真新しく、まだ彼が旅を始めたばかりの冒険者だというのが一目で窺える。
「しかし珍しいね。君はヴェリナードから来たんだろう? なぜ、こんな僻地に一人で向かおうと?」
「コルットに生息している魔物の討伐依頼を受けているんです」
成程、と馬車の主であるウェディの老人は呟いた。
本来であれば冒険者は四人でパーティを組み、連携を取りながら行動をするのが基本とされている。しかしコルット地方の魔物は他の地方に比べ穏和な魔物が多く生息しており、旅慣れた冒険者であれば一人でも依頼をこなせるという訳だ。
しかし、その少年はどこからどう見ても新米の冒険者。商売先でたまたま出会い「馬車の護衛をする代わりにレーンの村まで運んで欲しい」と勢い良く頼まれ契約を交わしただけの関係だが、そんな彼にもしもの事があっては心地良く商売はできないだろう。
老人は念の為にと少年に忠告をする事にした。
「最近は魔瘴の影響で魔物達の気が荒くなっているみたいでね。以前、商売仲間がこの辺りで魔物に襲われて馬車をダメにしたんだ。冒険を始めたばかりであろう君を雇ったのもそれが理由だ。だから、いくら腕に自信があっても十分に気をつけるんだよ」
「お気遣い、ありがとうございます」
行儀のいい返事とは裏腹に少しぎこちない笑顔の少年に多少不安を感じたが、老人が次の言葉をかける前に馬車を引いていた馬が低い鳴き声で唸りながらその脚を止めた。
大きな岩陰に、ひっそりと佇む木のアーチ……目的地であるレーンの村の入口に辿り着いたのだ。
「本当に、ありがとうございました」
少年は老人に礼を言い、逃げるかのように立ち去った。
老人はその後ろ姿を暫く見送った後、いつも通りの生活へ戻るのであった。
* * * * *
少年がレーンの村を訪れるのは初めてであった。
その目的は先刻老人に伝えた通り。
一人で旅をしている少年は冒険をしながら生活費を稼ぐ為に、アストルティアの各国から派遣されている討伐隊より依頼を受けていた。
依頼の内容は「指定された魔物を指定された数だけ討伐すること」と至ってシンプルなもの。駆け出しの冒険者向けの依頼から熟練の冒険者向けの依頼まで、豊富な種類の依頼が討伐隊によって用意されている。
そして少年は自分の実力に見合った討伐依頼よりも、強力な魔物の討伐依頼を受けていた。
討伐依頼対象の魔物は強い程、依頼達成時の報酬も多くなる。つまり強い魔物を倒す事さえ出来れば生活費は楽に稼げるという訳だ。
商人に別れを告げながら、少年は後悔をしていた。
普段から穏やかな魔物であれば、多少気が荒くなった程度でも難無く対処しきれるだろう。しかし今回の討伐対象は、この地方でも人があまり立ち寄らない場所に生息する危険な魔物だ。
戦い方の手順さえ踏み間違えなければ多少強い魔物でも討伐する事は可能だと判断し依頼を受けた彼であったが、老人の忠告でその自信は失われていく一方であった。
しかし、この依頼の為にわざわざ渡し船や馬車に揺られ、長い時間をかけてこの村にやって来た事実を無駄にする事は出来ない。安いゴールドで目的地まで辿り着いていても、始めたばかりの慣れない旅で生活費に困っているという事実に変わりは無いのだから……。
少年は腹を括り、村の者に討伐対象の魔物に関する情報を聞き取るべくレーンの村を歩いて回る事にした。
村の外からは岩壁によって何も見えなかったが、門をくぐった先の景色を見て少年は思わず立ち止まる。
そこには、岩壁に囲まれた土地だということを忘れてしまうくらい、明るく開放感のある景色が広がっていた。
村には木と布で作られた建物が点々と並んでおり、遠くには太陽の光を浴びながら輝く青い水平線が見える。浅瀬に作られている桟橋の上にも建物が並び、その様はまるで海の上に建物が浮かんでいるようだった。きっとこの地域の海は穏やかで海産物も豊富なのだろう。
心地の良い潮風を感じ、少年は心を踊らせる。爽やかな潮の香り堪能した彼は、討伐依頼の準備をするべく村を巡る事にした。
村の中央にある市場にて食料の確保と、目的の魔物についての情報の聞き取り、村周辺の地理情報の確認を終えた頃には、高く昇っていた筈の太陽が水平線へと向かいつつあった。
夜は魔物の動きが活発化する。その上少年の目は暗闇の戦闘に慣れていない。今日の活動はここまでとし、討伐に備え武器の手入れと休息をとる事にした少年は、宿屋を探すべく辺りを見渡す。
その時。
少年は、夕陽を浴び鮮やかに輝く砂浜の上に佇むウェディの少女を見つけた。
身にまとっている白いローブと、珊瑚色の長い髪が潮風に揺れる。その身なりから、レーンの村の住人では無く自分と同じ旅人である事が分かった。
少女は古めかしい杖を両手に抱え、燃えるような紅に染まる海をじっと見つめている。
その姿はまるで、何かに祈りを捧げているようにも見えた。
少年は僅かな違和感を覚えたが、それとは別の衝動に駆られ無意識に彼女の方へと歩み出す。
彼女を一目見た瞬間、少年は恋に落ちたのだ。
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