雨上がり/no-netabare-edition


辺り一面、日が差したかのように明るい。
昨日降りしきっていた雨は、すっかり上がったようだ。
夢を見た。
妙な夢だった。実家で暮らしていた頃の、まだケツの青いガキの時分のオレと、もう十年近く前のなりをした譲介がいた。死んだ兄貴の言葉をなぞるように話す譲介と一緒に、ガキの頃よく行った歯医者への道のりを歩いた。
昨日、クエイドにある庭園をのらくらと歩き、あいつと日本の春を思い出させるような景色を見たせいに違いない。朝倉がここへ来てから植えたという桜並木の、花の散った後の青葉は、確かに、妙に目を引いた。
そういえば、最近KAZUYAの夢を見ていない。それだけで、死期が遠ざかったと浮かれるつもりもないが、日本の外に『戻って来た』途端に、以前を上回るスピードで心身が忙しくなったせいかもしれなかった。
ベッドの上、身じろぎをして目を開くと、目の前には知った男の顔があった。
譲介。真田徹郎という男の人生から久しく遠ざかっていた平穏な暮らしが、こいつと一緒になって、肩を組んで戻って来た。自分にとって諸手を上げて賛成するほどのことではないが、それをわざわざ遠ざけるのも億劫と感じる年になった。
こちらを見ていた譲介が、おはようございます、といつものように言うので、おう、と返事を返す。夢で見たのとは違う、譲介の顔に、もう少し寝ていても構いませんよ、と大きな笑みが広がる。
朝も早くから、こんな還暦男の寝顔を見ているのが楽しいらしい。
酔狂なやつだ。
「そりゃ、おめぇはそうだろうが、オレは腹が減った。」
ちょっとそっちへ行け、と言って起き上がり、そのまま立ち上がった。
空調は、どちらかといえば通年同じ温度に設定してあるから、この時期の朝方は肌寒い。
何かを腹に入れる前に、熱いシャワーを浴びたい気分だったし、目覚ましにコーヒーも飲みたかった。
素足で歩き、何か羽織るものはねえか、と目探しすると、昨日譲介が脱ぎ散らかした、部屋着にしている前開きのパーカーがあった。早緑色で、譲介には良く似合っている色は、オフホワイトに統一された部屋の中で妙に目立つ。それを屈んで拾い、思った通りに腕が通ってしまう事実に舌打ちしながら袖を通す。
「ちょ、と、それ、徹郎さん。」
「ぁんだよ。」とベッドの方を向くと、顔だけを上げた譲介の頬が妙に上気している。
口にするのも面倒だが、酸欠になる寸前でキスを終えた時に近い。
「まさか、熱でもあるのか?」
「いえ、あの、……出来ればそれ、やめてくれませんか。」
「それって、」
「それです。僕のパーカー。」
目のやり場に困るので、頼むから脱いでください、と言って、譲介はそのままベッドに突っ伏した。
なぜか耳まで赤くなっている。
フルチンでそこらを歩いているときには何も言わずに口をつぐんでるくせになんなんだこのガキは。
「履いてるだろうが。」
「……知ってます。」
見ましたから、と減らず口を利く譲介に近づいて、ベッドの端に腰かけ、その赤くなった耳を引っ張る。
「素っ裸で出て行きゃいいのか?」
そう言うと、譲介が赤くなった顔をあげて「……それもダメ。」と言った。
ったく、面倒なガキだ。
しょうがねえ奴だ、と言って、散髪したばかりで短くなった髪を指で梳く。
セックスを重ねるたび、後頭部の辺りを遠慮斟酌なく引っ張っているので、こいつはそのうち抜け毛で困るのではないだろうかと思っていたが、まだそれなりにふさふさとしているので胸を撫でおろす。
「……あの、なんだか幸せすぎて怖いんですけど。」
これって夢じゃないですよね、とふざけたことを抜かすので、リクエストに応えて頬肉を引っ張ってやったら、譲介はまだ笑っている。
さっきからおかしいのはおめぇだろうが。そうした言葉が喉元まで出かかったが、タイミングを狙い済ましたように譲介がベッドから起き上がる。
「徹郎さんは、もう少しベッドにいてください。僕がコーヒー、入れて来ますから。」
習慣のようになった頬へのキスを素早く決めた譲介は、こちらがうかうかとしている間に、よいしょ、と言って手を伸ばし、ベッドの外に落ちていた白いTシャツを羽織っている。
不健全な夜の後の、健全そのものの光景。
足音を立てて出て行く白い背中を見ていたせいで妙な気分になった。
不随意な反応をする股間からは目をそらして、「コレはあいつに気付かれねぇうちだな。」と頭を掻く。
立ち上がると、一際明るい日差しが、寝乱れたベッドの上を明るく照らしている。
洗濯機を回す必要に駆られて、上掛けの上からシーツを引っ張って剥がすと、昨日の痕跡がそれだけでなかったことに気付く。
無駄弾を打ちやがって、と心の中で罵りながら、使い終わったスキンをゴミ箱に捨てると、段々と腹が減って来た。冷蔵庫の中の卵とベーコンのことを考えていると、遠くから微かに、譲介の調子っぱずれの鼻歌が聞こえて来る。
ベッドメイクはあいつに任せよう、と思いながらシーツを抱えて歩き出すと、ぐう、とひと際大きく、徹郎の腹が鳴った。

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