損ない補うものとして
先輩は、異様にモテる。
恐らく顔が良いのだろう。女が好みそうな顔の作りをしているのだと思う。男である自分から見ても、見てくれに違和感を覚えないと思う程度には、目も鼻も口も、あるべき場所にあるべき物がきっちりと収められていると感じる。配置が完璧なのだ。整っている、という言葉がぴったり、なのだと思う。人に好まれる顔の形。即ち、おモテになられる、という事で。
「……お疲れさん」
「うるせぇよ」
先輩と知り合って初めてこの人の誕生日ってのを、迎えた。去年と一昨年はまだおれはこの学校に居なかったし、当然ながら先輩がいる部活にだって所属はしていなかったし、赤の他人もいいところの存在であったので、学校で迎える誕生日を過ごす先輩、という絵面を、初めて見た。
「朝から凄かったなぁ、部室にまで来たんだぜ。アンタ、もう引退してるから来ねぇよって伝えても、次から次へと」
「迷惑かけたな」
「アンタが掛けた迷惑じゃねぇだろ。部活の邪魔だって、一人一人に言ってやった」
そしたら睨まれたよ。女ってのはどうもこう、時に男より目付きが悪くなりやがる。ボヤいて思い出す女どもの眼差し。嘘をつくなと言うような眼差し。嘘じゃねぇさ、本当だよ。おれだって朝からこの人とは会えなくて、放課後の時間も大幅に過ぎてやっとまともに、この良く出来た顔を見れたくらいだ。
「すっかり暗いなぁ、もう秋か」
「ひと月前なら、まだ明るかったのにな」
ガサッガサッと、歩く度に先輩の持つ紙袋が音を立てる。中には誕生日プレゼントがひぃふぅみぃと、数えられんくらいある。暗いし、横目でちらっと見るようにしたから、まともに見れんが、まぁまぁ学校に通う一生徒が貰うには多すぎるのではなかろうか。いやいや本当に、おモテになられる事で。
「先輩、誕生日でこれなら、クリスマスとか、バレンタインとかも、凄いんだろうな」
「あ?ああ、それらのイベントは寧ろ断る理由があるから、なんなら静かだぞ」
「断る理由?」
「興味がない、この一言で済む」
興味、ないんか。ふいっと前を向いて歩く先輩の真一文字の口元に、眼光鋭い目元には嘘の気配はなくて、事実であるらしい。興味が無いと断られるいうことは、秋波を送る輩にとっては他に口実もないということだ。そりゃまぁ必死こいて誕生日にこの人の元へ現れるよな。老若男女問わず、思い切って話しかけるその口実。
「誕生日は、いいのかよ」
「おめでとう、なんて言われて、断れるかよ」
舌打ちしながらガサッと少し乱暴に紙袋を振る。おめでとう、おめでとう。誕生日に託けて、ついでにプレゼントを押し付けて、なんなら秘めたる気持ちも押し付けて、てか。モテる男は辛いなぁオイ。朝から放課後までそんなもん押付けられて、おめでとうと、その誕生を祝われちまってるもんだから、断れなくて。向こうも受け取り拒否をされるなんて思っちゃいなくて。事実されずに紙袋の中へ仲間入りだ。
気持ちは断られたとしても、物は受け取られる。打算的で、計算高くて、おめでとうという言葉はただの口実。
「…………」
捨てちまえば?そんなもん、重いだろ。ガサガサ音立てちまって、おめでとう以上の気持ちまで詰め込まれちまって。重たくて仕方ねぇだろ。
言いかけて、馬鹿かと一人舌打ちする。どれがどれだか分からないがこの中にはきっと純粋に「おめでとう」という気持ちが込められたものがある。「生まれてきてくれてありがとう」「この一年生きてくれてありがとう」「これから一年また良い年になりますように」と。ま、そこまで考えられているかはわからないが、おめでとうにはそんな気持ちがあるもんだ。この中のどれかは純粋に、そんな気持ちが入っている。
「……言い忘れてた」
「ああ?」
「先輩、誕生日、おめでとう」
「ああ、ありがとう」
おめでとう。純粋にそう思う。それは事実。だから口にだってする。おめでとう、先輩。このおれが口にする数少ねぇ人の一人だぜ、アンタ。
「じゃ、またな。先輩」
「……ああ」
別れ道にやって来て、そう口にする。彼岸も過ぎてすっかり秋の夜長の空だ。街灯が仕事が長引いて敵わんとばかりに煌々と光っているその道で、先輩に背中を向けた。
おめでとう。そんな言葉を口実に、打算的なプレゼント。それは悲しいかな、おれの鞄の中にも入っている。
とっくに部活を引退した先輩とは、今が先輩にとって忙しい時期というのもあり、正直会う理由すらなくなっていて、朝からずっと顔だって見なかった。誕生日とは、その少ない会う理由のひとつだったが、結果としては、会うだけにとどまった。馬鹿みたいに偶然装って、昇降口前で鉢合わせてみたりしても、その時ですら何人かの生徒に囲まれる先輩を眺めていた。先輩と、プレゼントを渡す生徒達を眺めていた。
おめでとう。その気持ちに嘘は無い。生まれてきてくれてありがとう。心の底から本当に思っている。この一年健康に生きて、そしてまた一年、なんの不幸もありませんように。心の底から願うよ。
それに、アンタが生まれてきてくれてなきゃおれはアンタに出会わなかったし、この学校に通う事だってなかったんだ。アンタはおれの人生に多大なる影響とやらを与えてるんだ。すげぇ事だぞ、それ。知らないだろうけど。
小学、中学と、アンタの姿を思い浮かべない日はなかった。剣道をしている人間でアンタを知らないならモグりだろ。出る大会出る大会で圧倒的な強さを見せつけて、表彰台のてっぺんに居座り続けて。おれの目標で打倒と銘打って見上げている相手は世界に名だたる大剣豪一人だけれど、焦がれに焦がれた憧れはアンタ一人だった。追いかけて追いかけて、勉強だって無理してでもアンタと同じ高校に通いたくて必死こいて、たった一年だろうと同じ場所に居たくて、この高校に入ったんだ。馬鹿みたいに一途だろう。おれという人間は、おれも知らかなったがどうやら一途なほど真っ直ぐに思い続ける人間だったらしい。それも、アンタが教えてくれた。
今年、アンタにとっては最後の大会。どうしても勝ちたくて、最後だから、おれにとってはアンタと過ごすたった一度の大会だったから、我武者羅に努力して力をつけて挑んだ。アンタにとっては三度目でも、おれにとっては最初で最後の大会。絶対に勝ちたかった。結果として、部員みんな一丸なったのも幸いしてか、優勝を飾った。良かったと思う。アンタに心残りをさせないで済んで。ああ、因みに涙ぐんでしまったのはアンタにだって内緒だ。格好がつかねぇだろ。なぁ。
大会が終わって、引退しちまって、受験勉強だなんだのと忙しくなったアンタとは会う事が少なくなって、でも剣道はおれの人生の一部だから休まずに出続けた。アンタが滅多に来なくなろうともな。
居ねぇなぁ、張合いもねぇ。そう思い続けて、ちょっとばかりつまらねぇなぁっとは思っていた。まだ同じ高校に通ってんだ。会っちゃいけない理由だってねぇんだ。会いに行きゃいいだろう。とは、この高校で知り合った金髪グル眉野郎の言葉だ。水と油かよってくらいに、どうにも癪に障る存在だと言うのに何故か一緒に行動をする事が多い男。言葉の端々がいちいち腹立つ男ではあるが、その分飾りっけのない言葉は全部真っ当で真っ直ぐで、おれにとっては耳に痛くとも、無視したり無下にすることはできない力を持っている。
誕生日に託けて、プレゼントなんて用意したのもその男がひとこと言ったから、というのはプライドを刺激してくるが、仕方ない。おれ一人だったら多分悩んで会う事すらしなかった。プレゼントを渡す口実に何とか、偶然を装って帰りを共にしたりもしなかったろう。
いやまぁ、結局は、本当に会っただけに留まっちまっているが。
左耳に空いた三つのピアスホールを手持ち無沙汰に弄る。穴を開けたのは、両親が死んだ時だ。形見だというピアスはドロップ型で金色をしている。昔っからあるピアスで代々受け継がれているとの事で、なんと純金製だという。お金に困ったら売りなさい、なんていう言葉と共におれの家では受け継がれてきていて、受け継がれて来ているって事は、まぁ売られる事も無かったという事だ。
親父はおれがまだ小さい頃にそのピアスを見せてくれた。こんな小洒落たもんが昔っからあるもんかねぇ。ガキながらにそんな事を思って首を傾げたら、親父はカッカッカッと笑って、おれも同じことを思ったよ、なんて言っていた。でもあるんだから、あったんだろう。そんななんとも言えない言葉を残した。
見せてくれて暫く経った頃に、お袋と親父は交通事故とやらで死んだ。後に形見となる先祖代々の代物を見せてから事故に遭うなんて、もしかして未来予知の力でもあったのかなんて、葬式に出ながら思ったっけな。まぁ、確かめる術はないわけだが。
葬式が済んで一週間。養父として後継人になってくれた親戚で剣道場を営んでいる人の所に住まわせてもらうようになってからさらに一週間後に、ピアスを開けた。怒られると思ったが、化膿には気をつけなさいと言われただけだった。
学校にはつけていかない代わりに、家ではずっとつけているものだから穴は安定してしっかりとその存在を残している。それを先輩に見つけられたのは入部してすぐだった。咎められるかと思った。なんせ剣道ってのは厳かで色々と規律だ礼儀だと五月蝿い。ピアスなんて校則違反ど真ん中突っ走るようなもん、大会の出場にだって影響するかもしれないのだ。入部の取り消し、なんてのもあるかもしれない。必死こいて入った先で、憧れた人に難色示した顔で、出ていけ、なんて言われたらどうしたものか。その時初めて、衝動的にピアスを開けたことを悔やみそうになったけれど、先輩は「いつかつけてる所を見てみたいな」と言っただけだった。なんでそんなことを言ってくれたのかはわからない。そして、ピアスを付けていないからなのか、穴が空いている程度では咎める必要も無いのか、それとも先輩が何か言ってくれたのか、幸いにもおれは部活に居続けられている。
結局、先輩が引退するまでピアスを付けた姿は見せてはいない。だって学校には付けていかねぇんだから、付けるとしたら、プライベートの時って奴だろう。プライベートで、先輩と会うことなんてないから、見せる機会が来ることだってなかった。
ただ、穴があるだけの耳に、いつからか先輩はたまに触れるようになった。擽ったくて、先輩の細く長い指が触れる度に熱くなりそうで仕方ねぇから、やめろと払っても、先輩はニヤニヤ笑っては触れる。やめてくれることはついぞなかった。
先輩の耳は綺麗なもんだ。その顔の作りと同じように、完璧な形をしている。まぁ耳に完璧も何も無いとは思うけども、おれにとっちゃ穴も空いちゃいない綺麗なもんだと思っている。だけど、最後の大会の幾日か前、先輩はふとおれの耳を見ながら言った。おれも開けようと思う、と。高校の間は、まだ開ける気はねぇが、大学デビューってやつだな。とか何とか言って、あれは決定事項でいるつもりの、言葉だった。先輩の耳は綺麗なもんだ。お顔と同じく。そこに穴を開けるってんだから、驚いたけど、おれがとやかく言う事でもねぇから、そうかい、とだけ返した。
お綺麗な顔、形の良い耳。そこに穴を開けるってんだ。完璧な存在を損なうってんだ。信じらんねぇ。思って、でもおれは先輩じゃねぇから、先輩自身でもなけりゃ家族でもねぇ、大切な存在なんかでもねぇただの後輩であるおれ自身はそれを止める理由にはならない。
そんな気持ちがどう転んでどうエラーを起こしたのかはわからない。おれ自身の事なのにわからない。これはおれが知らなかったおれが存外一途であった、というのと同じことだと思う。おれは存外、卑しくて、我儘で、傲慢だったって事だろう。
お綺麗な先輩がその形を損なうってんなら、その損なった部分を補うものを、穴の空いたそこに通すものを、ピアスを、おれが選んだものをつけてくれやしないだろうか、と。思っちまったんだ。
打算どころの話じゃないプレゼントは、結局おれの鞄に入ったままでいる。重たそうな紙袋の中に次々とプレゼントが放り込まれているのを見て、これ以上重たいもんを押し付ける気にはなれなかった。
どうしたもんか。耳から手を離して鞄を探って小さな箱を取りだした。無駄になったな、プレゼント。
「捨てちまおうか」
おれのために買ったんじゃないから、邪魔で仕方ないものであるし、何より重たい。小さいくせに重たいもんで、捨ててしまおうかと思った。もし通学路に川原なんてもんがあればそこに投げ捨てていたけれど、生憎と川も海もない。家まで一緒に連れて帰るしかない。家に持ち帰るってのも、嫌な気分だが。持ち帰るのだ、こんな重たいもんを。
いつの間にか止まった足。薄暗い空の下で街灯が仕事を全うして手元を明るく照らす。小さい箱はなんの飾り気もない。ああ、邪魔くせぇなぁ。どっか、寄り道して捨てようか。確か公園があるはずだ。近頃の公園にはゴミ箱だってないんだけど、その公園にはまだあっただろうか。あればいい、あるといい。
頭の中で子どものいたずら書きみたいな地図を広げる。この通学路を使いもう数ヶ月は経つのに、この辺りの地理は未だにあやふやだった。どう曲がればよかったっか。
悩み唸っていると、ふいにガサリと、後ろで音がした。帰り道で嫌という程に聞いた音に酷似していて、耳慣れてしまった音につい振り向く。
「うおっ?!せ、先輩?あれ、こっちだったか?」
ガサガサッと紙袋の音。聞きなれてしまった音はやはり、その人のもので、暗がりの中の街灯の下で見慣れたお綺麗な顔が思ったよりも近い位置からおれを見下ろしていた。全然気付かなかった。
「……いや、反対方向だ」
「ならどうしたんだよ。なんか、言い忘れた事あったか?」
またはおれが何か言い忘れただろうか。おめでとう、は、言ったな。部活で連絡事項とかあっただろうか。いや、あるわけがない。この人はもう、引退しているのだから、部活関係で何か言わなきゃならないようなことはないはずだ。おれと先輩の間の話なんてそんなもんで、はてなんだろうかと、首を傾げていると先輩の眼差しが手元に向かったのに気付く。咄嗟に隠す事も出来なかったソレを見つけられてしまった。
「それは?」
「あー……」
別に綺麗に包装されている訳でもないただの箱だ。重ったるいが、見た目にその重さはわかりゃしないだろう。ただの空箱、捨てちまうタイミングを逃したただのゴミであると、伝えるのは何も難しい事ではない。言い淀んでしまったのは咄嗟に嘘をつくってのが下手くそなせいだった。
目の前に立つその人は、紙袋を引っ提げたまま腕を組んで難しい顔をして見下ろしてくる。言葉を待っているようにも見えるし、眺めているだけのような気もする。さて、なんて言ってやろうか。
「これは、だな、まぁ入ってた」
「鞄にか」
「おう。要らねぇから、捨てちまおうと思ってて、忘れてたやつ」
「……」
嘘は無い。忘れてたってのは嘘になるが、捨てようと思っていたことは事実であるので、口にするのにはそう難しい事ではなかった。単なるゴミですよ、て、顔をしてりゃいいんだから。
そそくさと箱を鞄の中に詰め直そうとしながら、そういや結局この人は何か用事があったのだろうかと今度はおれが言葉を待つ。
箱が鞄の中に収まるその間際、先輩が、口を開いた。
「今日、おれは誕生日だ」
「え?ああ、そうだな。おめっとさん」
「強請ってもいいか」
「ねだ……?」
「プレゼントとして、それを」
誕生日だから、いいだろう?なんて、難しい顔をしたまま随分と不遜な事を言うものだからついそのお綺麗な顔を凝視してしまう。この人は、そのお綺麗な顔をしているが存外、お綺麗なままに収まらず唯我独尊を地で行くような人だった。
そうなのだ。この人にはそんな所があると、知ったのは部活に入ってからだった。それまでは強い人だ、とその強さに憧れだけを抱いているくらいだったか。でも実際に知り合ってからはそんな印象だけに留まらなくなった。
竹刀を握るその姿勢、凛と立つ姿は剣の道に真摯に取り組んでいて、雰囲気というのか、対峙すればするほどこの人の強さがわかって、同時に流れ込んでくる印象といえば強さに見合ったその態度だ。今までどれ程の努力をしてきたのかわかる太刀筋と共に、その努力を自信にも表している尊大なる態度ときたら、呆れてしまう程にあからさまで、こんなにも自信満々な人もそう居ないと思ったものだ。自信の無い頭なんぞ、こちらからその首討ち取ってやるって気持ちにもなるので、先輩の態度はおれにとっちゃ大いに満足するものであるけれども。
ただ眺めているだけだと強い人という印象。あの真っ直ぐな背中が眩しい人だった。でも近くで見たら随分と大柄な態度に自信満々といった雰囲気には、驚いたし、同時に、ああだからこそのあの立ち姿なのかと納得した。だからこそ、真っ直ぐに凛とした美しいその背中を、表せる人なんだな、と。
そんな人と会話を重ねれば、その自信に見合った口調や言葉選びには、やはり何度か呆れもしたけれど、自信がなけりゃできない態度であることも理解していたので、ああこの人はなんとも、気持ちのいい人だろうとも思いもした。
この人はただお綺麗なだけじゃない。我武者羅に努力して勝ちを重ねて来た人だ。周りがカッコイイだのクールだのと、誉めそやすその形の中には、よくもまぁ綺麗に収めているものだと感心するほどの激情が常に溢れている。強いからこそ、そして部の頭であるという自負があるからこそ努めて冷静沈着に見せているクールな姿は、この人が努力の上に作り上げた姿なのだ。
それは多分、おれだけじゃない。この人と会話を重ねて、竹刀を交えて、対峙した人ならば誰もが気づく事だろうし、誰もが惹かれる所だろう。おれだけじゃない。それなのに、ただ惹かれるだけでは留まらなくなってしまったのは、ただ憧れているだけの目で見れなくなってしまったのはいつだったか。もしかしたら最初からなのかもしれない。初めては試合を観戦した時から、その中身をおれは自分でも知らないうちに見ていて、惹かれてしまったのかもしれない。でなければ一年と満たない付き合いの中、態々先輩の為にプレゼントなんて用意して、態々帰りを待ち伏せしようとするか。男が、男に、重すぎるプレゼントなんて用意してしまうものかよ。
「プレ、ゼント……こ、これをか……?」
今手元にあるのは、ゴミになり損なった小さい箱だ。先輩の目はその小さな箱を見ている。
「……お前からなにか、奪ってやろうかと思っていた。誕生日だしな、で、それが目に入った。寄越せ、我儘通させろ」
「ま、じで、すげー我儘だな……奪うとか、寄越せとかよ……先輩としての威厳とか」
「うるせぇよ。こちとら今はそんな余裕取り繕ってらんねぇんだ」
「……余裕が、ねぇってことか……?なんでだよ?」
極々普通の疑問だと思う。当たり前に浮かんだ疑問だったろう。突然の言葉に首を傾げて問かければ、先輩といえば苦虫を噛み潰したような顔をした。余談だがこの苦虫を噛み潰したような顔って言葉をおれは初めて頭に浮かべた。普段苦虫なんて噛まねぇもんよ、知らねぇわそんな顔。でも先輩は、正しくそんな顔だった。
「……余裕なんて、お前相手に出来た試しがねぇ」
「嘘だろ。いつだってその、お綺麗な面に笑み作ってんじゃねぇか」
「そう見えていたなら、いいんだがな……で?くれんだろ?」
くれんのか、じゃなくて、くれんだろ。とはこれ如何に。さっさとしろとばかりに手を差し出してくる先輩を見て、ふぅ、と息をつく。プレゼント、しかも、とんでもねぇもん、を、寄越せ、と。
心臓が馬鹿みたいにうるさくて仕方ない。だけれどそんな緊張は先輩には知ったこっちゃない事だろう。知るはずもないことだ。おれ一人、なんでもない顔をしてりゃ済むだけの話だ。ああそうだ。誕生日おめでとう。そんな言葉と、イベントに託けて重ったるいもん渡そうとしている。その辺の輩と同じ事をしているなんて、そんなの先輩は知らない事だ。
「ゴミだぜ、ただの」
「それはおれが決める」
「いや本人が言ってんだっつーの……いいけどよ」
もう随分と涼しくなってきた秋の空。なのにおれの手と来たら汗ばんでいる。気付かれないといいが、箱、濡れてたりしたらまずいな。そう思いながら、差し出された手の中に小さな箱を置いた。
「……?ゴミ?これが?」
気付かれただろうか、ゴミにしては小綺麗な、その箱の重みに。いや、多分大丈夫。気づけれたとしても分かるのは中身だけだ。
「ああ、まぁ」
「中になにかあるだろ」
「ああ、えー、と、まぁ、おう」
「……歯切れが悪いな、まぁいい。開けてみてもいいか」
これまた、開けてみてもいいかと聞きながらもこちらの答えなんて待っちゃくれない声で箱の蓋へと手をかける。包装だってしちゃいないのだ。店の店員には、プレゼントですか、なんて聞かれて、気恥しさに頷く事も出来ずに、そのまんま、なんの飾りもせずに貰った。箱に見合った小さな紙袋は付けられたけど、これまた気恥ずかしくて家に置いてきてしまった。だから開けようと思えばあっさり開くのだ。
ジュエリーボックス、なんて洒落た名前がついた小さい箱。見た目はまるで、指輪でも入ってそうなそれだ。気恥ずかしくなった理由の一つである。勘違いしないで欲しいと思って咄嗟に、それは、という声をかけてしまったがそれよりも先に箱の蓋は開かれた。
上部を上げるようにして開かれたそこにあるのは二対のピアスだ。金色を選んだ理由は特にない。似合いそうだと思っただけだ。形がフープ型なのは、それが一番無難で、種類も多かったからに過ぎない。にしては、これまた無難で特に飾り気もないものを選んでしまったが。
周りがどんなに薄暗くとも、人工の明かりはこの世の中どこにでもある。おれたちの頭上にあるように。だからこそそれがピアスであることなんて先輩にははっきりと見えているだろう。ジッと、信じられないものでも見るかのような目でしばらくピアスを見ていた先輩は、確かめるようにして片眉を上げながら見てきた。
「新品の、ピアスに見えるな」
「あー、まぁ、そぉだな」
「本当にゴミなのか、これ」
「……そのつもりだな」
「自分用に買ったんじゃねぇのか」
そうだと、言える器用さがなかった。
沈黙は肯定を示す場合が大抵のはずだけれど、この先輩はどうやら都合の良い方向へと捉えることにしたらしい。そしてそれはおれにとっては都合の悪い事だった。
「おれにか」
誕生の日に、新品のピアス。なんてもんを後輩が持っていたらそう捉えるのも不思議ではない。人によっては、それは随分と傲慢な考えであると思うかもしれないけれど、そも、この先輩は傲慢なところがあるし、今回はその考えが正解で、おれはこれまた否定する器用さを持ちえなかった。
ゴミだ、と言ってしまった手前。ヤケになって実はプレゼントであると頷くには些か体裁が悪い。言葉は口にしてしまえば本当の事になってしまうことだってあるのだから、改めて先輩の手の中に入ってしまったそれを眺めると、本当にゴミのように見えてきてしまう。薄汚れちしまっているように見えてしまう。いや、とっくに、薄汚れた気持ちでおれの手に入った時から、それは、汚れてしまっていたのだったか。
ゴミ、そう銘打ってしまったものを、プレゼントだと、言うには口が重たくなってしまってしかたなくて、結局沈黙を貫いたままだ。
「貰ったもんを、返すつもりはない」
だというのに先輩は徐々に口元に弧を描いて言うのだ。
「これは、おれへのプレゼント、という事にしておくぞ」
ゴミをプレゼントだなんて、心底おかしい話で笑ってしまう。
でも先輩は手にしたそれを見て微笑んだ。嘲りの笑みで良いものを、先輩が浮かべたのはそこはかとなく嬉しそうなものだった。男の後輩から手に入れたアクセサリー、それも人の体を損なわなければ付けられないようなものを大事そうに眺めるのだ。居た堪れないにも程があるだろう。気恥しさよりも、申し訳なさの方が先立ち、舌打ちひとつして、おれは重たい口を開いた。
「んなもん、プレゼントだなんて、大層なもんにすんじゃねぇよ。やっぱ返せ。なんか欲しいなら、また別の日に」
「今日、これがいいんだよ。返さねぇつったろ。それとも本当は……本当は自分のか、それとも、ほかに誰か別のヤツにでもくれてやるつもりだったか?」
「そういうわけじゃねぇけど」
ならいいだろう。満足気に頷いて、先輩は蓋の開いた箱へと視線を移す。金色に輝く二対のピアスは街灯に照らされて輝きを放っている事だろう。それが、先輩の耳に収まるのか。収まってしまうのか。おれが買ったもの、おれが、誕生日に託けて押し付けた気持ちが籠ってしまったものを。
「っ、そこまで言うならくれてやるがよ、つけんなよ」
「ああ?」
想像すると頭を掻きむしりたくなった。なんなら今すぐにでも、蹲ってぐしゃぐしゃと髪を乱したくなったが微かに残った理性と矜恃が何とか、腰を真っ直ぐに立たせてくれる。頭は、情けなくも垂れてしまったが。
「他に、そんだけプレゼント貰ってるなら中にはピアスもあるかもしれねぇぜ?そっちの方が趣味いいだろ、いや見てねぇから知らねぇしアンタの好みかどうかもわからねぇがよ。ただ一度ゴミだっつったもん付けるより、いいぞ」
「いや、この中にピアスはねぇ。絶対だ。言い切れる」
それは本当にそうであると自信しかない、むしろ確証しているとも言っていいほどにはっきりとした口調であり、首を傾げてしまう。中身を既に確認しているのだろうかと思ったが、先程、少々荒んだ気持ちで眺めた紙袋の中にあるプレゼント達は綺麗に包装されたものばかりであった。開けては、いないだろう。であるにもかかわらず何故、とそんな疑問をそのままに顔に出していると、先輩は微かに首を傾けた。
「大会の、前だったか。ピアスの話をしたのは」
「ああ、そうだが」
「大学デビュー、ははっ、自分で言ってなんだが浮かれた言葉だな、らしくなかった」
そう言って笑ったように息を漏らした。
「お前のような理由もねぇ、ただ、お前と同じことをしてみたかったから言ったんだよ」
おれのピアスホールを見つけられた時、黙っておく程の事でもないと理由を話した。代々受け継がれてきているものであるらしいことと、父親の形見のようなものであると言う事を。すでに両親は他界して年月も経っていたから言葉は濁らずに滑らかに話せていたと思う。おれが部活に出られるのも、もしかしたら、そんな話をしたから先輩が口添えをしてくれたのかもしれない。おれに断りもなく詳しい話まで言うような人ではないから、軽くだろう。おれのピアスを開けた理由は、そんなもんだ。だが先輩は違うのだという。そしてその理由はおれと同じことをしたかったのだという。意味がよく理解できないまま、垂れ下がった頭を上げて先輩を見つめる。笑っているらしい、というのは確かで、どこか気恥ずかしそうでもあった。
「ピアスはこのプレゼントの中にはない。お前のこれだけだ。なぜなら、ピアスの話をしたのは、お前にだけだからな」
「えっ……」
「ホールも空いてねぇ話にだって出してねぇおれに、誰もピアスなんて送らねぇからな」
「っ」
お綺麗な顔立ちに、形の良い耳。そんな、完璧な存在を損なわなければ付けられないアクセサリー。自分の事を棚に上げて、古い考えを持ち出すつもりはなかったが、それでも体に穴を空けるってのは些か抵抗感を持たれる行為であろう。それでももし、先輩の、そんな完璧な存在が損なわれるのであれば、そして損なわれた場所を補うのであれば、それは、自分が贈ったものにしちゃくれやしないだろうか。思ったのも、願ったのも事実だ。その事実が現実として起こり得るかもしれない、と思うと途端に顔に朱が差すのがわかった。秋の夜長、日が落ちる時間が早まってくれてよかった。きっともう一ヶ月も早ければ直ぐにバレてしまう。いや、街灯の下であるのだから、もしかしたら見られてしまっているのかもしれない。でもその顔を覆う余裕なんぞ、おれにはなかった。ただ、どうにか誤魔化せやしないかと考えた。現実になるかもしれないと思った途端、呆れてしまう程に怖気付いてしまったわけだ。
「だ、だがよくよく考えたらフープピアスなんてのはよっ!ピアス開けたばっかのやつがつけるのはどうかと思うんだよな?!買っといてなんだけどよ、改めて考えると、あれだ、あれ!ストレートバーベルみたいな、最初はそんな、ちゃんと真っ直ぐ安定するようなやつ用意したほうがよ、よかったよな?!」
「お前はそのストレートバーベルとかいうやつなのか?」
「え?!い、いやリングの形してる、ドロップ型のだが」
「人の事言えねぇじゃねぇか。つか、やっぱりこれ、おれに用意してんじゃねぇか」
「…………あああ!口が滑った!!」
「それも口が滑ってるな」
「あああ!!」
矜恃はどこへ行ってしまったのか。迂闊さのあまりにとうとう頭を掻きむしってしゃがみこんでしまう。クツクツと、笑い声が頭上で響いて思わず睨みあげてしまった。どうせ悪い顔をして笑っているのだろう。顔のいい男っていうのは、悪い顔をしていてもいい男であるのに変わりはないのだが、殊更先輩は、そんな悪い顔が良く似合う。だが、見上げて眺めた先輩は、笑ってこそ居たけれども、それは悪い顔なんてものとは到底思えないものだった。街灯の明かりで逆光になって見えなくなってもおかしくないのに、随分とはっきりと見えてしまったその顔は、気恥しさ、照れくささが滲んだような、幼げとも取れる拙い笑みであった。初めて見たにも等しいその表情に、自分の失態もどこかへと転がり落ちて呆然と見上げてしまう。
「ククッ……ゴミ、だなんて……どこがだよ。宝もんじゃねぇか……ゴミとか言うな、まったく……」
「先輩……?」
距離が出来てしまったからだろう。なにかを呟いたようだったけれど、よくは聞き取れない。ただ嫌に上機嫌な先輩の声ばかりか聞こえて来ただけだった。首を傾げてもピアスに目を向けている先輩はおれの方へは目を向けなかったから、おれが抱いた疑問にも気付かなかったのだろう。
少しして、いい加減立てよ、なんて言う先輩に、確かにいつまでもうずくまっていられるわけもねぇとおれは立ち上がる。どうしても顔は見れなかったけれど、先輩はぐいっと顔を近づけて来たものだから見ない訳にはいかなかった。あまりにも近すぎて、仰け反ってしまったのは見逃して欲しい。
「なぁ、お前、来月だろう?」
「な、なにがだよ。つーか近ぇって先輩」
「誕生日」
近い。
近い、と肩を押せばあっさりとその身を引いてくれた。だけれども、どうなんだ?という顔は変わらない。
「誕生日、は、確かに……来月だ。来月の、十一」
「十一月の十一日。覚えやすくていい」
十月の六日のあんたに言われたくねぇよ。
「考えておけよ、プレゼント」
「へ?」
誕生日をからかわれるのはいつもの事だった。いつの間にか知っていたらしい先輩もそのつもりなのかと思ったが、そうではないらしい。おれにとって都合のいい幻聴のような言葉と共に先輩は小さな箱の蓋をキチリと閉じると、紙袋の中にではなく学生鞄の中へとしまいこんで、もう一度言った。幻聴でもなんでもないと伝えるように。
「プレゼント、考えておけ。なんでも、聞いてやる」
「は?いや、いいよ。お返しとか、そんなつもりか?尚更要らねぇ」
「お前はお返し目的でこれをおれに用意したのか?」
「違ぇよ!」
お返し目的なんかではない。もっと、薄汚れたもんをくっつけて用意してしまっている。だけれどそれまで口を滑らせるわけにはいかないと、ただ一言の否定にのみ力を入れた。
「だろう?おれもだ。お返しのつもりなんてない。ただ、おれがしてやりてぇだけだ」
「……そうかよ」
なんで、だとか、どうして、だとか。そんな疑問は無意味なのだろう。きっと教えてはくれない。そんな顔をしている。少しだけ意地の悪そうな顔がそう言っている。
プレゼント、なんてもん。いちいち考えたこともない。先輩に対してだけくらいか。プレゼント、誕生日、はてさて、どうしたものか。誕生日までにおれはそれを考えつくことが出来るのだろうか。だって、そんなもん拘ったことがないのだから。時間はあるといえど、光陰矢の如し。おれがこの学校に入学して、先輩と同じ部活に入って、大会を迎えて優勝して、先輩の誕生日を、迎えるまでだってあっという間だった。あっという間なのに、おれは先輩に邪な気持ちを抱いてしまって、逆に言えばそれだけの時間を要したことでもあったけれど、抱いてから今日に至るまでだって、ずっと早かった。時間は早く過ぎ去るもので、もう少し待って欲しいとも思ったが、そんな悠長なことを、時間は許してはくれない。考えつくだろうか、なにか、を。邪な気持ちも含めずに、なんてのは、無理そうだと予感がしている。
「誕生日……」
悩むおれがそんなに面白いのか、それとも、誕生日だからか。先程から先輩は、なんだか随分と機嫌が良さそうだ。機嫌が良さそうなままに、箱を収めた鞄を一度撫でた。
「ああ、そうだ。お前、ピアスなんだがな」
「……ん?なんだよ?」
機嫌が良さそうであること、誕生日のプレゼント、考え込んでいたおれは一瞬だけ反応が遅れた。
「ピアス?」
「自分で開けたのか?」
「あ?ああ、そうだ」
「おれが開ける時、お前が開けちゃくれねぇか」
それこそ、幻聴かと思った。
「……然るべきところで、開けた方が、絶対にいい」
「自分で開けたやつが言うセリフじゃねぇよ」
そりゃそうかもしれないが、それでも簡単に頷く事は出来ない申し出だった。
お綺麗な顔に、形の良い耳。損なわれる事にどこか不満を抱いて、それでももし損なわれるのならば、なんて卑しくも思って、ピアスを用意した事だって烏滸がましいような話であるというのに。その形の良い耳に穴を開ける。おれが、その形を損なわせる。なんてことを容易に頷くにはあまりにも出来すぎた話だろう。
そんなあまりにも甘美な話を現実として受け止めていいわけがない。
「なぁ、頼む」
だと言うのに、先輩は嫌に甘ったるい声で言いながらおれの耳に触れてきたものだから参ってしまう。
三つの、ホールが空いている片耳。やめろと何度言っても辞めてくれない先輩からの温度は、いつだってこちらの気持ちを激しく荒立たせる。知ってか知らずか、本当にやめちゃくれないのだ。耳たぶを親指と人差し指の関節で挟むような仕草に、おれの気持ちがどれだけグラグラと揺らされるのか、心臓がはね回るその上にでも立たせてやりたくなる。一瞬にしてぐらついて転けてしまうだろう。転けちまえ、と思う。どう転ぶかなんて期待を、滲ませる気持ちで先輩を心臓の上に載せるのを夢想した。馬鹿な夢想だ。すぐに振り払う、ついでに手も振り払う。
クスクスと意地の悪い笑みは、おれが頷く事をまるで信じきっているようであった。本当に人の気も知らない人だと、舌打ちひとつした所で、そうだ、と思った。プレゼント、時間は有って無いようなものと思って少し悩んでしまっていたプレゼントが、天啓のように頭に降りてきた。
「……プレゼント」
「あ?」
「プレゼント、それでいい」
「それ?それって、ピアス、開けるってやつか?」
「おう。アンタにピアス開ける権利、つーのか、それでいい。卒業したら即、開けてやる」
天啓だ。と思った。だが口に出せばとんでもない事を言ったと思う。いや、何を言ってしまっているのか。
損なうことを良しとしない、あまり、いい気分ではなかったはずだ。なのに損なうのはいいのか、おれが、損なうことは、いいのか。この人を損なうのがおれであればと、それを甘美なものとして思ってしまったのか。浅はかで邪な気持ちも真っ青な程に図々しいったらありゃしない。
それでも、グッと息を飲んで目を丸めている先輩の顔を見る。自分から、開けてくれと言ったのだから否やはないだろうけれど、それをプレゼントととしたおれの事をどう思うのだろうか。自分の誕生日に、人に穴を開けたがるなんて奇人もいいところかもしれない。後輩に穴を開けさせようとしている先輩も、そりゃもちろん、おれとしてはどうかと思ったが。
先輩は、グッと眉を寄せた後、おれが払った手を自分の顔面にバチンと当てた。結構いい音がした。皮膚と皮膚がぶつかり合う軽い音は余韻を耳に残すほどの音であり、これ、先輩の顔に手形付いたんだじゃねぇかとつい慌ててしまう。
「せ、先輩?!」
「あー、この、ば、おま………あぁぁ……」
「え、痛てぇんだろ?大丈夫、つか、何やってんだ阿呆か」
「阿呆はおま、いやおれもか……」
唸って先輩は、顔から手を離すとその手をおれの頭へと載せてきて、力強く撫でくりまわしてきた。
「ぅ、わっ?!い、痛てぇ!なにしやがる!」
勢いが良すぎて撫でてんのかそれとも首から頭をもぎ取ろうとしてるのか分からない力加減に流石に文句を言えば、その手はするりと離れていく。あれだけ強く撫でていたというのに、離れる時は、柔らかで、それこそ撫でる、という感覚であった。
「んなもんプレゼントにすんなっ!いくらでも開けさせてやんだよ!一個でも二個でも三個でも四個でも!」
「いや、大学デビューで、四つ一気はイキリすぎだろ……」
「中坊でピアス三つも開けて高校生なったやつに言われたかねぇよ」
それはそうだ。言われてはぐぅのねも出ない。
「プレゼントはちゃんと別に考えておけ、そして……ピアスは、開けろ。卒業式を迎えたらテメェ連れ去って開けさせてやる」
「おねがいベースから命令になってんじゃねぇか、つか、むしろ脅迫……」
「ああ?」
「なんでもねぇっス」
お綺麗な顔、形の良い耳を持った先輩は、凄むとそこそこ凶悪な顔になる。美人は怒ると怖い、とはよく言うが、先輩は正しくそれであろう。それでもお綺麗であるのだから、おモテになりますね、と言うしかない。
「それと」
「まだなんかあんのかよ……」
「おれが卒業したら、その、先輩っての、やめろ」
「……え?」
次に何を言われるのか、そっと身構えていたらそんな事を言われて面食らう。先輩、じゃ、無くなるからという事だろうか。先輩は先輩であるから、ずっとそう呼んできた。特にそこに意味も意図もない。いや、言い訳を、すれば、こんな感情を抱いてからというものまともに先輩の名前を心の中でさえ呼ぶのを躊躇してしまっていたから、呼べなかっただけだ。今日もずっと、そうだった。
「おれの名前、まさかここのところ呼んでねぇから忘れた、なんて事はねぇよなぁ?」
「ああ?!馬鹿にしてるのか?!」
「ん?じゃ呼んでくれるよな?」
トラファルガー・ロー、先輩。
十月の六日生まれの、"ト"ラファルガー・"ロ"ー。名前を覚えりゃ誕生日も覚え、誕生日を覚えりゃ名前も覚える。なんともよく出来た話だろう。忘れようたって忘れられない名前だ。
「……ロー、先輩」
「よし。誕生日、ちゃんと考えておけよ、ゾロ屋」
ロロノア・ゾロ。おれだ。
十一月の十一日生まれ。ゾロ目のゾロ。これまたなんともよく出来た話しか。先輩が覚えやすいといい、おれがよくからかわれた話でもある。
「おお……考え、とく」
「ああ。ああすまないな、長話をさせた……気をつけて帰れよ」
最後にくしゃりとおれの頭を撫でて先輩、ロー先輩は、背中を向けて歩いていく。街灯がちらりちらりと先輩の背中を写して、その背中も暗がりの中へと消えた頃ようやくおれも背中を向けて自分の家へと向かう。もう公園への地図は必要ない。
ピアス、先輩の体が損なわれたならば、そこを埋めるのは自分の選んだものがいい、なんて傲慢にも思って、思っていたら、その損なうことすらおれに委ねられた。それは仄暗い歓喜なのか、純粋な喜びなのか、自分でもよく分からない。よく分からないが、もう公園に向かう必要は無いことが嬉しく、そして。
軽くなった鞄が、酷く心地よかった。
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