システムキッチン




譲介がクエイドに就職を決めてから越して来た新しい住まいのシステムキッチンは、合衆国基準の広さはあるが、成人男性ふたりが並んで調理をするには向いてない。有体に言えば、少々手狭である。
術後の経過を見るためという理由で、ほとんど年中空調の利いた部屋で過ごしているTETSUはいつものように薄着で、隣合っていると時折、互いの肘が当たってしまう。
まさか甘えて来られているのかと思い、過度の期待を抱いて譲介が隣を見ると、愛しい人はまるで今から舌打ちをしそうな顔をしている。
それならもうちょっと離れたらいいのにと思い、自分からは全く譲らない性質の我の強い年上の人に譲介はため息を吐きたくなった。
うっかりの三度目であわや肘打ちを決められそうになった譲介は、徹郎さんはテーブルでジャガイモでも剝いててください、と宣言して、上司仕込みのウインクを華麗に決めた。
身長が二メートルに近く、横幅もあるパートナーは、へいへい、と普段は使わないような拗ねたような口を利きながら、カッティングボードとナイフを持ってキッチンテーブルへと移動した。
ふだんの横柄さとの落差があまりに可愛くて、うっかりと手にしたピーラーで指の皮まで剥いてしまうところだったが、同居の期間も長くなって来たこの頃、今更そんなことで動揺していては医者の名折れだ。家の中でまでドクタージョーとして在る必要はないのだけれど、人参は五センチから七センチくらいでお願いしますと譲介は冷静な口調で彼に伝え、剥いたばかりの人参もボウルに入れて彼に渡して、自分の役割、つまり玉ネギをあらみじんに切って炒めることに専念することにした。甘い玉ネギが溶けたカレーは、妙に美味いのだ。
たまにはすりおろしの林檎も入れようかと思いながら果物籠の置いてあるテーブルをちらりと見ると、じゃがいもの皮をスルスルと剥いているTETSUの姿が目に入った。
妙な違和感を感じて譲介は首を傾げる。「……なンだよ。」
言いたいことでもあんのか、というTETSUと、果物籠の中にある林檎を目にした譲介は、頭をよぎる違和感の形に気付いた。
「皮……、ちゃんと剥けるんですね。」
「見りゃ分かんだろ。」
剥いたばかりのじゃがいもの長く薄いひとつながりになった皮を刃先に乗せたTETSUは、たいして得意げでもなく、面白くもなさそうな顔をしている。常々家事は苦手だと言っていたが、この人は、やってみれば何でも一通りはこなしてしまうのだ。
道理で、切れ味が悪くて良ければピーラーがもうひとつありますけど、と言った時に断られたはずだ。
「昔……僕が高校生の頃に熱が出て看病してくれたときには、あなた、林檎の皮を妙に厚く剥いてたでしょう。林檎のサイズが一回り小さくなるくらいだったから、ずっとこういうのは苦手かと思ってました。」と譲介が言うと、TETSUはナイフの刃を一旦テーブルに置いて、おめぇはホントに馬鹿だな、と言った。
「ワックスとか農薬とかあんだろう。日本はそういうのの基準が緩いんだよ。」
ガキは大人しく出されたもん食ってりゃいいんだ、と言うTETSUの顔には、生意気盛りの高校生から見ても傲岸さしかなかった二十年前の彼の面影が、ぴったりと重なる。
あれは確か、季節は忘れたが、期末か中間試験が終わった日だったように思う。発熱で夢うつつの体調だった譲介の前に、まるで魔法のようにして、八つに割った林檎が皿に並べられ、フォークを刺して出て来た。
酸っぱい林檎を噛み締めながら、この人がどんな家で育ったのかが分かる気がして、薄っすらとした腹立たしさが肚の中にわだかまるよりも先に、泣きたいような気持になったあの日のことは、今でも妙に鮮やかに思い出せる。
「……おい、どうしたよ。」と声を掛けられて、譲介はハッと我に返った。
「玉ネギを切ったせいです。」と譲介は言って、今ではあの頃より少し丸くなった年上の人に背を向けて、玉葱の葱に近い部分を切ってから茶色い皮を勢いよく剥き始める。ぱちぱちと瞬きすると、目の端に涙がにじむ。
「……まだ何も始めてねぇだろうが、」という彼の言葉には、若干の戸惑いがある。
(そういえば、昨日喧嘩した後も、こういう声だったな。)
譲介は、おかしなタイミングで浮かんで来た涙を引っ込めるべく、TETSUに邪魔くさいと言われ、洗濯機の中に突っ込まれていた可哀想な迷子のルンバの姿を思い浮かべた。
次にあのルンバが動くまでにはあと八時間。
こちらを見、間が持たないような顔をしている彼に、ルンバの説明書でも読んでてもらおうかという気持ちがちらっと頭をもたげたが、まずは一玉分の粗みじんだ。
塩気の強いカレーが出来たら困るな、と思いながら、譲介はナイフを一心に動かし始めた。




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