冬の群、馬数ある中の
馬は放さなくてはならぬ。もう我々が飼うことはできぬ。
馬の中に冬の群れが混じっていて、それがこの長い長い冬をもたらしているのだという科学者のお告げだった。だから私たちは馬を放し、一頭一頭遠くへ追いやる。もし冬が去ったら、その馬が冬だ。私はそれを追いかけて、撲殺しなければならない。
馬は何も知らずに階下の小屋の中にひしめきあって、熱を発している。その熱で私たちは寒さをしのいでいる。馬がいなくては長い長い冬を越すことはできないが、この千年もうち続いてきて、そしてこれから二千年も続くがごとき顔をしている冬が、この馬たちの、いや馬たちの中に交じる冬の群れのせいであるならば、私たちはそれをとりのぞかなければならない。
「でないとみんな共倒れだ。我々も、馬も」
そして、冬を撲殺する役割が、私に任された。
私が小屋へ下りると、明かりもつけないうちから馬たちが副脚をざわめかせる。私がお前たちのいずれかを殺すものだと、もうわかっているのか。薄暗い中、ときおり馬たちの吐き出す蒸気が、階上からわずかに差し込むひかりを反射する。この中に冬がいるならば、皆凍ってしまわないだろうか? 冬の群れたる馬が。
私は小屋の明かりをつける。ぼわっと床が明るくなり、天井に馬の影をうつす。ほっそりとした首と、私の両手でも覆うことの出来る小さな頭と、そこから伸びる副脚は、一度だけみたことのある象牙の塔の床に刻まれたフラクタル模様のように、十分に優美で合理的だが、一番美しい部分が見えない。
この地方の馬独特の、対称形の八本脚。皮膚は硬く、色は様々で、交雑の結果によっては光沢が出る。だが関節はいずれも柔らかく、この地の氷に閉ざされた冬も、ほんの三週間だけの夏の、泥だらけの地面も、まるで浮かんでいるようにすいすいと渡る。私たちはこの馬の背にまたがって、凍てつく冬も乗りこえ、鉄砲の弾のように走りさる夏へも追いつくことができる。
「何をしている」
振り向くと兄がいた。兄は私をきびしく睨む。
「来てはいけないと言われただろう」
「別に。ただ、きれいだと思って見ていただけ」
兄は眉をしかめる。情が移るぞ、とでも言いたげである。大丈夫だ、と思う。私は冷血だから。いざという時にためらったりはしないだろう。それに、情を移すなというなら、もう手遅れだ。私も生まれたときから馬とともに生きてきたのだから。
私は兄に呼ばれるまま、明かりを消し、小屋を出る。振り向くと暗い中を馬がひしめきあっている気配がする。この中に冬の群れがいる。この春に一匹だけ生まれた赤い子馬がいて(といっても、もう春はずっと来ていないのだが)、その子が冬の群れでなければいいと思う。子馬や、子どもが死ぬのは残酷だ。
馬を放しはじめて数週間が経った。冬はまだ去らない。家はもう何千日も鎧戸を下ろし、閉め切っているけれど、吹雪の音は一度たりとも止まず、時々大きな塊がぶつかって家全体を揺らした。
温血の子どもらは、もうすでにかなり体力が落ちている。一番元気だったいたずらっ子も、来る日も来る日も吹雪の音にさらされて、すっかりまいってしまった。次に死ぬのはこの子かもしれない、と思う。早くどの馬が冬の群れか、特定しなければならないのだが、一度に放すことのできる馬の数は限られているのだ。一度放した馬は、連れて帰らなければならないが、それができるのは冷血の人間だけだ。冷血の人間は寒さを拒絶するのではなく同化する。もちろん、長時間の活動は危険だが、逃げた馬を追いかけて捕まえるくらいはわけない。温血のひとたちは、もう長い間活動できていない。彼らが氷の溶けはじめた春や短い夏、秋口に、苔の生えた地面を、馬を駆ってとびまわり、一日に十も二十も獣を捕まえ、籠にいっぱいのキノコをとっていたのを思い出す。彼らが蓄えてくれた食料も、もう底が尽きつつある。冬が去らねば、私たちは死んでしまうだろう。そして、馬たちも。
馬小屋の方から、がちがちと馬たちの騒ぐ音がして、階下から冷血の兄姉たちが現れる。二人とも、少し馬の様子を見に行っていたのだ、とでもいうような平服だった。雪のこびりついた防寒具は、すべて脱いで、階下で乾かすことになっている。家の内部になるべく冬を持ち込まないためだ。兄の一人が目をこすりながら首を横に振った。連れて帰れなかった、ということだった。いかな馬といったって、クレバスにはまってしまったり、大きな吹雪の雲に魅入られては逃げられない。騎乗者のいない馬は、ふらふらと危険な方へ進んで、大地や天に捕食されてしまうことがしばしばあった。突然ひとりで外へ放り出され、追い立てられた馬が恐慌をきたし、あらぬ方向へ走っていって、そのまま戻って来ないこともあった。野性でいるころには、そんなこともなかったろうに。馬はすっかり家畜化されて、私たちが騎乗しないでは長く生きられない。
窓の外はまだひどい吹雪が続いているらしい。私が行った方面はひどかったよ、正面から雪の塊がびゅんびゅん飛んで来て、凍りついて腰から折れちゃうかと思った。姉が乱れた髪を結び直しながら言う。折れちゃうかと思った、と聞いておびえた顔をした子どもたちに、姉が冗談だよと慌てて言う。ちゃんと馬も連れて帰った。お前たちのだいすきな、銀色に、白い斑点のある馬だよ。あとで会っておいでね。子どもたちが姉の言葉に頷いた。温血も冷血も、子どもたちは一様に臆病だ。春を見ないまま、ずっと家の中に閉じ込められているうちに、子どもたちはいつか冬が家を押しつぶして自分たちをむしゃむしゃと食べてしまう妄想を育てるようになった。妄想は鉢植えの中ですくすく育ち、うす青い色の、歪んだ花を咲かせた。まだ花一つだからいい。実をつけはじめると危険だったが、妄想を育てることが、子どもたちの気晴らしになっているので、取り上げることもできない。
窓の外は吹雪だが、晴れた日には、海と、その向こうの象牙の塔が見え、そこには科学者たちがゆらゆらと歩き回っているだろう。この世を支える象の象牙を削りだして作ったという塔は、冬も夏も、温度の影響を受けない。私が一度だけここに入ったのは、血液を採るためだった。私の血管から血液を採った注射器を振ると、たちまちに管が凍りつき、科学者は困った表情をした。
科学者たちは、象牙の塔に閉じこもり、この世のありとあらゆる物事を研究している。冷血でも温血でも、鮮血だろうが無血だろうがなんだろうが、とても頭のいい人間だけがそこに入るらしい。そして時々、私たちにお告げをもたらす。不作の原因や、近々来る大嵐、それから何年もうち続く長い冬の原因などを。この家からも一人、象牙の塔へ行ったひとがいて、その人が長い冬の正体を教えに来てくれたのだった。熊の皮のような分厚い防寒具を脱ぐと、しわのなく、つるりとした顔で、雪などにあたればかんたんに赤くなって、切れてしまうのではないかと思った。もう数世代前のひとで、同世代の人間はみんなこの世にない。私は、あなたがたも死ねば大地に還るのかと尋ねた。私たちは、死ねばたいてい馬たちの食料となる。そして馬は、死ぬと大地に安置され、朽ちるままに放っておかれた。冬場は雪が覆うが、春や夏は、半分錆び付き、半分内部構造の見えた馬の死体に遭遇することがあった。馬の内部には、死んだ人々は、残骸すら残っていない。馬の体の一部となったのだと思う。
その象牙の塔から来た人は、ならない、と答えた。我々が死ねば、我々の全ては研究所に供され、記録される。記録されるとは、文字になるということだ。皮も骨も、細胞組織の一つ一つが、サンプルとなり、一冊の書物に綴じられる。
書物。
君とこうして話したことも、ごくごく小さな文字となって、記録されるよ。
その人は、うちで一番大きな馬に乗って帰っていった。
夜、寝る時に、寝床から顔を出して耳を床につけると、階下から馬たちのささやきが聞こえる。馬には、私たちの持つような声帯はないが、副脚をすりあわせたり体を叩いたりして音をだす。かちかちと震えているような音を立てて彼らは何を考えているのだろうか。お前たちの中に、冬がいる。それが誰だか教えてくれぬか。
翌朝、目を覚ますと、何かが奇妙だった。隣で目を覚ました姉たちも首を傾げている。知らないうちに何百年も寝過ごして、いつの間にか世界が一変してしまったようだった。不安げに天井を見回していた姉が、ああ、と気づく。
「風が」
毎日聞こえていた吹雪の音が、今朝はない。私は起き上がり、朝の支度をして、火掻き棒を手にする。
冬の群れを殺しに行くのだ。
家のみなは、私にありったけの防寒具を着せて、食べ物と、撲殺のための火掻き棒を背負わせた。私に与えられたのは、濃い灰色の馬だった。年寄りの馬で、きっと経験を積んでいるからお前の役に立つだろう、と。それは一面真実だったが、厄介払いでもあることを、私も馬も知っている。旅立つ私と馬を見送る人間はいなかった。それでいい。冬を家の中にいれてはいけない。
久しぶりに吹雪の止んだ雪原は、まだ雲が分厚くもくもくもくもく、今にも空から落ちそうに、重たげに動いて流れていたけれど、平らで静かだった。視界を遮るものは、この大地がそもそも持っている丸み以外にない。だから遠近感を狂わされて、馬や人が、大地の裂け目に落ちたり、小さな段差に足をとられて、ころんだなり、積もったばかりの雪に三丈ほども埋まってしまう。年寄りの灰色馬が慎重に進もうとするのを、私は強いて急がせる。馬の対称形の八本脚が雪を踏む。深く雪に沈んでしまわないように、冬場の馬は足の先が広くなっている。ふりむくと、雪原には真円の形をした馬の足跡が、等しく同じ幅、同じ大きさ、同じ深さで残っている。歩くところを横から見れば、八本の脚たちはまるでばねと歯車でつくられたおもちゃのように、目まいがするほど正しく動くだろう。太古の昔は、馬と私たちは同じ生物だったという。この何億年かのどこかで別の生き物として別れてしまったけれど、私たちはこうして共に生きている。私の心臓の鼓動と老いた馬の歩調は、今や完全に一致していた。馬に踏まれた雪が自重で沈む音がじじじと聞こえる。
出立に際しては、ただ怪我をしないように、とだけ言われた。冬に閉じ込められた世界では、どこまでも清潔で病の心配はないだろうが、皮膚の外に出た血潮から冬が入ると、私の冷血をも凍らせるということだった。冬がもう、それほどまでにあまねく存在してしまっていることに、私の心臓は高く鳴る。
「お前にこんなことを任せるのは酷だけれど」
兄や姉よりももっと年かさの冷血が言った。けれども、これは私が一番適任なのだ。冷血の中で、子どもたちを除いては私が一番若い。一番冷たい血をしている。冷血の血は、末端をめぐれば寒さと同化し、心臓へ至っては心を凍らせる。冷血の心は振動しない。正確に言えば、ほんの微かな振幅しか持たない。完全に振動しないのであれば、それは死者か木偶だ。私たちは、この風の止んだ冬の世と同じく、細胞の一粒一粒までも、悲しみや怒りで震えることはない。老いた冷血の血管には、経験と思い出が澱のように降り積もり、冷たさを鈍らせてしまう。だから私が撲殺を任された。
老いた馬は血の代わりに足が鈍る。しかし、うかつに窪みに迷い込んで足をとられたりはしないし、不用意に雪の柔らかいところへ歩いていったりしない。冬の群れは、まだ若い馬だった(あの赤い子馬ではなかった)。足跡をたどれば、あちこちに、ぶつかったり、転んだり、深みにはまったりした跡が見える。よろよろと、ばらばらの間隔で、左右に振れる足跡の真ん中を、濃い灰色の馬と、その背に乗る私がまっすぐに進む。恐怖のあらわに見える足跡に、私は馬を急がせる。馬の残した跡はどんどん新しくなっている。もうすぐ追いつく。
吹雪が止んだおかげで、象牙の塔の輪郭が、曇り空に浮かんで見えた。未だ見えない冬の群れよりも、なおなお遠い場所にあるのに、象牙の塔はここからも巨大に見える。あの中にはたくさんの科学者と、科学者の書物がある。ただ私たちには同じものと見えた、長い長い吹雪を毎日観察し、採取し、切り分けて、冬の群れの存在を突き止めた科学者もそこにいる。冬が馬に紛れ込む、などということは、珍しいがありえないことではない、のだそうだ。科学者によれば、おそらくまだ馬が胚の状態のときに、冬の種がまぎれこんだのだろうと。種は馬の中で群れに成長したが、それと同時に馬も成長していた。冬が成長しきったころにはもう、馬の外皮は固く、そうなっては冬も抜け出せなかったのだろうということだった。
馬の中枢部分を守る殻は、刃物を受けつけず、殴り殺すしかない。多くの馬が自然死していく中で、その馬だけが殺される。だが、冬の群れを宿したお前を殺さねば、私たちが立ち行かない。冬の群れは近付いている。私にはまだ姿は見えないが、騎乗する老いた馬の、副脚の動きがそれを物語る。
冬の群れに追いつき、かの馬を撲殺した後、私はもう家には戻らないだろう。春がやってくるだろうが、私はそれを見るつもりはなかった。その代わりに、この老いた馬とどこまでも行こうと思った。馬を撲殺し、体液のついた火掻き棒を捨てて、暖かくなれば防寒具も捨てて、どこまでも、どこまでも。
どこまでも続く雪原が、あるとき途切れる。代わりに凍った波頭が現れ、沖の方に、八本足の優美な造形が、みにくくもがいている。緑色に、足にいくにつれて青みが交じる、光沢のある種。私は波打ち際で馬を下り、凍った海の上を歩く。冬の群れはなおももがくが、その場から動こうとしない。クジラが出たか、砕氷検査でもあったか、一度割れてまた張った氷の、薄いところに足を踏み入れて、割れてひっくりかえった氷に足を挟まれてしまったのだ。逃げる心配はなかった。私は冬の群れに早足で近付く。冷血の私の体も、長い間雪原を進んだせいで冷えを自覚している。私は手をゆっくりと数度、握り、開き、外気に触れさせた。指の先に血がめぐったのを確認する。今や私の心臓は高く高く何度も鳴っている。火掻き棒を握りしめる。
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