そういう顔 - デプ/ウル

「かわいいお髭が雪まみれだぜ、クズリちゃん」
 向かい合ったテーブルから、グローブを外した手が伸びてくる。払うようにして口元に触れた指先が離れると、肘の間に置いた皿の上にぱらぱらと音を立ててココナッツが落ちた。
「食いにくいぞこれ」
「まあそういうフィリングは落ちたやつを指でかき集めてしゃぶるまでがセットだから」
 時間変異局から飛び込む 『ひと仕事』を終えた後は、渡った土地で飯を食って帰るのが定番の流れになっていた。それも飯を食うところがあって、食える飯があれば、の話だが、今回はハワイ州の島に飛ばされたうえ郊外まで鬼ごっこをするはめになり、すべてが片付いたあと近くには地元の人間が朝飯に集まるようなカフェしか見当たらなかった。ラインナップはカフェオレボウルに、ドーナッツがメイン。引き返すことを提案するより早くウェイドが注文に並んでいたおかげで、今は
腹を満たすことよりココナッツ・チョコレート・ドーナッツで髭を雪まみれにさせることに忙しい。
「おい、マジで下手くそだな。アルでももうちょっとうまくやるぜ」
 顎を指さす仕草に促されて掌で口まわりを撫でまわす。しかし当たりが悪かったのか、またウェイドの手がテーブルをまたぎ、今度は下唇の端をくすぐられた。少し前──ほんの一二週間ほど前なら無条件で跳ね除けた手を、今はなんだかそうする気が起きない。抵抗を覚えるどころか、ウェイドから差し出される何かが俺に対して到着するまで、大人しく待ってやることに何か達成感すら感じられる。
「……取れたか?」
「なあ、その顔はやめてくれよ」
 口端をこそいでいた親指が、顎の線を辿る。ココナッツを追っていたはずの視線はいつの間にかこちらを見て、苦々しく歪んでいた。
「どの顔だ」
「俺のことが好きって顔?」
 どんな顔だ。首を傾けて詳細を求めても、ウェイドはでかいため息をついて自分のドーナツにかぶりついて答えようとはしなかった。訝しく思いながらドーナッツを放棄して、マグカップを手に取る。ドーナッツは甘ったるくてしょうがないが、コーヒーは酸味が効いた風味に苦みがうまく乗っていて、かなりいい味をしている。やむを得ない選択肢で食うはめになった飯のなかでは、当たり中の当たりだ。
 ふと口の中でドーナッツと独り言を咀嚼するウェイドを見ると、その小うるさい口端に残ったはちみつの跡を見つけた。昼前のハワイの陽を受けて、まだらの肌がめずらしく艶めいている。赤黒い血以外でその肌が濡れているところを見たことはなかったから、それが奇妙に面白く、つい指摘に口を開くより前に手が伸びた。
 一瞬「何よ」と身を引きかけたウェイドは、指を曲げて前に来るよう促せばおとなしく従って、俺が見つめる先をわかってついと首を伸ばす。それからやっと何か面映ゆさのようなものを覚えたが、素直な様子に引く気にもなれなくてそのまま鼻の脇から上唇に向かって、親指の腹を押しつけた。むずがゆそうな口元が「ありがとう」と小さくこぼして、拭ってやった跡を自分でも拭いながら、俺をちらと伺った眦が柔らかくたわむ。
「なるほど、そういう顔か」
「は?」
 マグカップに口を付けて、薄い湯気越しに小首を傾げる顔を見て笑った。間抜けた顔は前と変わらず、しかしその体温と柔らかさがこの手にもわかって、指の中ではちみつを擦り合わせる。
「悪くないな」




@amldawn

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