冷茶とアイス



「お茶買って来たで~!」と小草若と四草が並んで戻って来た。
今日は燦燦と日が差す陽気で、関係者用の出入口から顔を出したふたりの額には薄っすらと汗がにじんでいる。
「あ、おい、草若、お前、汗で顔べたべたやないか。もう出番やぞ。」
そこにコンビニあるのに、どこまで出かけてんねん、と言い募ろうとしたところで「これ配ってください。」と茶の入ったふたつの袋を四草から渡された。
受け取ると、手伝いとこれから出番がある出演者全員分が入った袋はひどく重みがある。
「お二人ともお疲れ様でした~!」
こっちの声を聞きつけたのか、表でもぎりの手伝いをやっていた若狭がやって来る。
「おい、草若、ちゃんと日傘とか持って歩け。日焼け止めは塗ったんか? これから夏やねんぞ、もうええ年なんやから適当にしとると、そのうちシミになって出てくる、」
「うるさいやっちゃの~、お前はおふくろか。」とこちらの話を遮って草若が手を振った。
「……オレかて、こんなとこでやいやい言いたないわ、ボケ。手ぬぐいとか持ってへんのか?」と言うと、はい、兄さんどうぞと若狭が袂から、初代高座用の手ぬぐいを出してオレに渡して来た。
これで仲直りせえということか?
渡された手ぬぐいをよくよく見ると、キティちゃんの顔が入ってる。
おい、若狭、この手ぬぐい、いつかの小浜に里帰りする前に駅で買って、ずっとオチコの口の周りを拭くのに使ってたヤツやないか。
……染みが取れないとか言ってたくせに、まだ現役で使ってたんか。始末なやっちゃな~。
何も言わずに、ん、と草若に渡すと、こいつもそのことに気付いたようだが、出番が迫ってることには自覚があるのか、何も言わずにぱっぱと顔を拭いて、後で手洗いして返すわ、と言った。
「すいません、草若兄さん。小草々くんが最近メンズメイクやらにハマってるもんで、私も草々兄さんもこのところ耳学問で。色々聞いたことやら、なんや人に言いたくなってしもて。」と若狭が横からいらん口を出した。
「若狭、お前、このボケにそこまで聞かせてどないすんねん。」と小声で窘める。
オレを馬鹿にするのはもう構わんけど、こいつに弟子を馬鹿にされるのはかなわんぞ。
さあ何を言うかと身構えていたら「はあ、メンズメイク……最近よう聞く話やな。」と草若は言った。
何やお前、それだけか。
妙に拍子抜けして安心したところで、四草に持たされた茶の袋がずっしりと重く感じられる。
あ、この茶、こいつの出番の前にさっさと配ってしまわんとな。
今までなら、家でほうじ茶を入れて冷やしたもんをコップに入れて配る、とやっていたとこを、最近はもうすっかり缶のお茶やペットボトルに頼り切りや。それが、こんな日は外から来たお客も暑うて適わんのか、自販機の安いのがすっかり売り切れてなくなってしもて……と思い出した。
四草、お前領収書かレシートあるか、と聞くと、「これです。」と四草が尻ポケットの財布から差し出したのは二枚のレシートだった。
これ違うやつでした、と言って一枚を引っ込める。後で金はちゃんと返すから、今は立て替えといてくれ、と改めて言うと四草は、分かりました、と頷いた。


「そういえば、若狭。あの嘘つきの弟子、もう三十路になってんのか?」
「小草々や。」
「そうでしたっけ。」
名前の方も思い出さんかい、とは思うが、入門して以来、こいつが小草々の名前を素直に口にした記憶がない。
大卒の弟の記憶力、もとい嫌がらせ力に感心していると「そうなんです、そうなんです。」と隣で若狭が頷いた。お前、ふるさとのサビやないんやぞ、相槌繰り返してどないすんねん。
もしかして、浴衣やのうて普通に和装してんのが暑いんか……?
「なんや、小草々くん、入門した頃より落ち着きなくなってるような気がしてぇ。……弟弟子増えて戸惑ってるんやろか。」
四草が澄ました顔で「まあ、どこもそんなもんちゃうか。」と言った。
「僕が入門した頃なんて、兄さんらから毎日どつかれてたけど、あいつはそういうのようせんやろ、嘘吐くだけで。」
「えっっっっっ。ど、どつ……?」と若狭が目を白黒させている。
「聞いてへんかったのか。……まあ、内弟子修行も終盤になったら落ち着いてたけどな。僕が三十になる頃には、師匠が例の高座すっぽかしで無職のフリーターに戻ってたこともあるし。」と言った。
おま……おま、お前、なんちゅうことを……。
隣の若狭が、もし袋を持たせてたら取り落としてそうな顔になってオレを凝視してるのが分かる。
いい感じでまとまろうとしてんのに、いらんコトまで思い出さすな、ボケ!
そもそも小草若やったころの草若かて、草原兄さんやって……いや、これは言うの止めとこ。
「……草々兄さん、師匠のそういうとこは真似せんといてくださいよ。」と四草がその暗い声のままで釘を刺すように言った。
「するかぁ!」
不吉なこと言うな、ボケ。
「オヤジがズタボロんなったのはおかんが病になったからやからな。まあ、草々のことは喜代美ちゃんが元気で長生きすればええこっちゃ。まあ、健康寿命のためにも、こんな直ぐ怒鳴る男とは今からでも別れ、別れ。」
長生きは喜代美ちゃんだけでええんやから、などと言っている。
小草若ぅ~~~~!! 
お前は、他人事みたいな顔して適当言いやがって。
『怒鳴ったらア・カーン。草々、オレはもうお前を破門には出来へんのやで。』という師匠のにこにこと笑う顔を思い出しながら自制していると「草若兄さん、何ですか、それ。」と低い声で四草が言った。
え、お前、何やえらい怒ってないか?
オレが怒るならともかく、なんでお前が怒ってんねん。
小草若にどつかれてたことに今更腹立ててんのか?
人の家庭に波風立つとこを横でねっとり眺めて、オレと若狭の和解が賭けのネタに出来るかどうか算段するとこやろ。ここは。
隣の若狭を見ると、オレの視線に頷いている。諸々突っ込みたいところを夫婦で堪えていると「若狭と草々兄さんが離婚したらオチコはどうなるんです。」と四草が言った。
いや、子どもの心配かい!
どこまで一足飛びやねんお前は、そこまで行ったら考え過ぎやぞ!
「はあ? オレとお前でおちびと一緒に育てればええやろ。」
ん?
……おい、草若、お前のそれもなんや?
そもそも、四草の子どもとオチコを一緒に育てるて、そらどういうことや?
オレがこない驚いてんのや、若狭も変な顔しておののいてるやろ、と嫁の顔を見たら、なんやちょっとも動じてへん。
「まあ離婚はせえへんですけど、オチコも草若兄さんと四草兄さんふたりとも好きみたいですから、なんや機会があったらまた預かってくれると嬉しいです。」ってなんや……?
もしかして、これ、オレが忘れてしもた落語のネタか何かか?


心の中で小首を傾げながら戸惑っていると「小草若兄さん、やっぱり出番の前に顔洗ってきたらどうですやろ。お化粧、私直しましょうか?」と若狭が言った。
「あ、ええてええて。子どもらまだ二階にいてるか? アイス買って来てん。」
ほれ、と草若が手に持ったままのビニール袋を広げる。
あ、お前そんなもんまで買ってたんか。
道理で帰りが遅いはずや。
「うわ~、ありがとうございます。」と若狭は恐縮しつつも喜んでいる。
「すまんな、草若。」と言うと、「僕の財布から出た金ですけどね。しかも……子どもに分けるために買ったんならそれはそれでええから、先に言ってください。数足りないやないですか。」と四草はまだ不機嫌そうな顔でぶつくさ言っている。
それはあれか、足りへんいうのは、オレと若狭と自分の分か?
お前もアイス食べたいんか……まあそうやな。
「お前はもう……、そないみみっちいことここでわざわざ言うこととちゃうやろ! 若狭にはオレの分やるわ!」と草若が膨れた面を晒した。
おい、草若、お前まで、出番の前やっちゅうのに、高座ではその顔ちょっとも見せたらあかんで、と良く師匠に叱られてたような顔してどないすんねん。
それにしても、四草。人の弟子に奢らせて、今でもようタダでうどん食うてるくせに、ほんま師匠といた頃とちょっとも変わらんな。

なんやねん今日は。
暑いからか?
それとも、草原兄さんがこの場におらんのがあかんのか……?

「草若兄さん、喧嘩してたらせっかくのアイス溶けますよ? せっかくのハーゲンダッツですやな。」
「あ、そやった。オチコにバニラ、おちびにはイチゴ買うてきてん。若狭は抹茶でええか?」
「私はええです、草若兄さん好きなん食べてください。私は後で草々兄さんと食べるのにパピコでも買ってきますでえ。」と若狭が言った。
おい、若狭、お前はなあ、いい年した四十代の男をそないに甘やかすな。
「草若~、お前今から本番やぞ……そんなもん食って三人で腹壊したらどないすんねん!」
「うるさいのお~、男の嫉妬は醜いで。こんなもん、すぐ食べてまうわ。ほな後でな、若狭!」
二番太鼓鳴ったら教えてくれ、と言いながら草若が控室へと続く階段を上っていく。
「草若兄さん、出番前にアイスで着物汚さんかったらええんですけど。」という若狭の心配そうな声に「まあ、オチコの口からポタポタ落ちるわな……。」と四草がこちらの腹の内を『読んだ』ようなことを言う。
「はは、よだれ掛け、二人分必要になるかも。」
「僕、ちょっと見て来ます。」
「あ、私も! 草々兄さん、そのお茶お願いしますね!」
これ、草若兄さんと四草兄さんと私の分とです、と茶の詰まった袋の中からひょいひょいと三本持って階段の方へ駆けていく。
「お前なぁ、ああ~、和服でそないに走ったらつまづくで。」と妊娠してた頃のくせで、ついつい心配してしまう。
「四草兄さん、次から買って来るなら麦茶にしてください。カフェイン苦手な方もおられるでえ。」
「分かった。」
弟と嫁が平和に語ってるところを見ると、なんや胸が熱くなって……、とちゃうわ。

おい、お前ら、この分のお茶、オレにひとりで配らせる気ぃか?
……いや、まあ弟子に任せとけばええんか。

「おい、オレも後で二階行くわ!」と叫ぶと、はーい、という軽やかな若狭の声が返って来た。
お前も、昔と変わらんなあ。

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