頸と心・番外 再会


 忍術学園の門に、背の高い少年が立っていた。
 黒が土井半助という名を与えられてから、二年が経っていた。土井は最初、それが誰か分からなかった。目に入ったのは入門票に記入しながら門番と話している後ろ姿だ。旅装束に火縄銃を背負い、腰に刀を差している。姿勢がいい。背筋が伸びて、立ち姿に隙がない。六年生と同じくらいか、少し上か。どこかの城から遣いに来た忍だろうか。否──どこかで見覚えが──。
 少年が振り返ると同時に、土井はかすかに息を飲んだ。
 利吉だった。
 最後に会ったのはあの出立の日だ。門口で蹲って真っ赤な顔でまだ『黒』だった頃の土井を睨み上げていた、十三歳の子供。あれから二年。利吉は十五になっていた。
 背が伸びていた。土井も伸びた筈だが、目線がもう土井の顎あたりまで来ている。顔の輪郭から子供の丸みが抜けて、顎の線が鋭くなっていた。目は変わらない。あの油断のない目だ。そして瞳の奥行きが増している。二年の間に色々なものを見てきた目だった。
「──土井先生」
 利吉がその名で呼んだ。その呼び方に、土井は一瞬反応が遅れた。土井半助。いまの自分を形作る名前。伝蔵がくれた名。忍術学園の教師として、生徒にも同僚にもそう呼ばれている。呼ばれるようになってもう二年だ。利吉から同じように呼ばれても何も不自然なことはない。そう──不自然なことは何一つない筈だ。
 それなのに、妙に落ち着かなかった。
「……久しぶりだな、利吉くん」
「ご無沙汰しております。父に用があって参りました」
 丁寧で、礼儀正しい口調だった。あの生意気な口ぶりがすっかり鳴りを潜めている。人当たりのいい隙のない物腰。なるほど──フリーの忍者として仕事をするならこういう態度が要るのだろう。修行に出ると言っていた。二年の間に身につけたものだろう。それは分かるのだが、どう面白くなかった。
「お兄ちゃん……じゃないんだな」
 言ってから、しまったと思った。何を拗ねているのだ、二十二の大人が。
「もう先生でいらっしゃいますから」
 利吉は涼しい顔で答えた。
「君にそう呼ばれるのは違和感がある」
「なんなんですか。久々にお会いしたのに」
 利吉が微かに眉を上げた。呆れた顔だったが、その口元にほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。二年前のクソガキの面影が一瞬だけ覗く。
「父上はどちらにいらっしゃいますか?」
「授業の終わりがけだからまだ演習場だろう。案内するよ」
 促して、並んで歩く。すれ違う生徒たちが利吉を見ていた。それは勿論見るだろう。火縄銃を背負った若い忍者が学園を歩いているのだから。利吉はそれらの視線を涼しく受け流していた。慣れている──人の目に見られることに慣れた人間の歩き方だった。
 あの洞窟で、あの小屋の薄暗い焚き火の傍で、黒にしか見せなかった顔とは違う。これが今の利吉の外面だ。
「……立派になったな」
「そうですか」
「ああ。見違えたよ」
「ありがとうございます」
 素っ気ない。穏やかだが、素っ気ない。あの絡みついてくるような目も、獣の目線もそこにはない。大人になったということだろう。感情を覗かせない術を身につけたということだ。
『お兄ちゃんなんて、すぐ追いついてやりますから』
 あの日の声が耳に蘇った。蹲って立てない身体で、真っ赤な顔をしながら声を張り上げた十三歳の子供。あの剥き出しの情緒が、二年で随分と遠くまで行ったものだ。
「これからフリーでやって行くって聞いたけど」
「はい。もう何件かお仕事をいただいております」
「十五でか。うちの生徒ならまだ巣の中なのに大したもんだ」
「勿論、父の名前に助けられている部分もあります」
「謙遜だな」
「事実です」
 土井はちらりと利吉の横顔を見た。表情が読めない。昔は──昔はもう少し読めたどころか、ごく分かりやすかった。今の利吉は自分の感情をどこにしまっているのか分からない。忍として必要な技術を確実に身につけている。
 演習場が見えてきた。伝蔵が生徒たちに指導をしている声が聞こえる。
「利吉くん」
「はい」
「……山田先生はまだ授業みたいだから、少し待つかもしれない」
 そんなことは聞こえてくる声から利吉も分かるだろうに、咄嗟に他に言うことが見つからなかった。言いたいことは山ほどあるのに、さっき「土井先生」と呼ばれた瞬間、どれも喉の手前で詰まってしまった。
 利吉が足を止めた。こちらを見る。土井も止まった。演習場の手前。生徒たちの声が近い。
「──土井先生」
「何だ」
「先生は、お変わりないですね」
「そうか?」
「はい。全く」
 利吉の目が、ほんの一瞬だけ変わった。
 涼しい外面の奥で、何かが光った。一瞬の、ほんの瞬きほどの時間だった。けれども土井はそれを見逃さなかった。あの目だ──獲物を見据える目。二年経っても消えていない。鳴りを潜めていただけだ。
「……変わっていませんよ、先生は。安心しました」
 利吉はそれだけ言って、演習場へ歩いていった。その背中を見送りながら、土井は思う。
 何が「安心」だ。何を確認した。今の一瞬で、何を読み取った。
 十三の時に「追いついてやる」と言ったこの子は、十五になって涼しい顔で学園に現れ、「土井先生」と礼儀正しく呼び、二年分の成長を見せつけた上で、最後の最後にあの目を一瞬だけ覗かせて去っていった。
 土井は腕を組み、利吉の背中を見つめた。火縄銃を背負った後ろ姿が伝蔵の元へ歩いていく。十五歳の背中は、あの十八歳の背中にもう近かった。あと少しで肩幅が追いつく。あと少しで目線が並ぶ。土井は小さく息を吐いた。
「……早晩、負けるなあ」
 つい、声に出ていた。誰に聞かせるつもりもなかった独り言だ。けれども不思議と悪い気分ではなかった。とっとと追い付いてこい、と、その背中に向けて土井は笑った。

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