千両役者

 身内が褒められているのを耳にすると嬉しいものだ。
 燐音のご機嫌の理由はそれで、にこにこと清々しい笑顔を浮かべて元気よく事務所に飛び込んだ自分を不気味そうに眺めるゆうたや、やや離れた場所から控えめに挨拶を返してきたみかの他人行儀な態度など、すこしも気にならないほどだった。何しろ燐音の目は早々に目標に狙いを定め、副所長と何やら話し込んでいるらしいその背中に向かってまっすぐ歩を進めていたから。
「おっはよおっはよ、『渦中の人』♪ テレビ××はおめェの話題で持ちきりだぜェ~?」
 肩に腕を回しぐいっと引き寄せる。予想していたのだろう相手は特に怒りも喚きもせず、引き寄せられるままごく自然に体重を預けてきた。ただ鬱陶しがられはした。
「──話し中ですよ、天城」
 これ見よがしにため息を吐いてみせたのは『渦中の人』ことHiMERU。正確には燐音の接近を察知して数秒前に会話を切り上げていたようだが、ご機嫌な燐音は甘んじてクレームを受け止めた。賢明な副所長は厄介事を嫌ってさっさと席を立っている。
「局でちょうどN監督とSさんに会ってよォ、ライターの。ふたりともおめェのことすげェ褒めてた。また声掛けてもいいかって」
「……そういうことはHiMERUに直接言ってくださればいいのに、どうして天城に」
「俺っちがリーダーだからっしょ。今後ともうちのHiMERUをご贔屓に~って頭下げといたから、いい仕事頼むぜェメ・ル・メ・ル☆」
 偉そうに、なんて憎まれ口を叩きつつもHiMERUは嬉しそうだ。たぶん燐音かこはくかニキくらいにしかわからない程度の表情の変化だけれど。
 話題を浚っているのはHiMERUがゲスト出演したシリーズもののサスペンスドラマで、土曜のプライム帯にオンエアされた二時間スペシャルは一時的に十パーセント超の視聴率を叩き出したのだとか。番組関係者は大喜び。SNSのトレンドやネットニュースからも多くのひとが注目しているのを感じてはいたが、こうして面と向かって〝君んとこのHiMERUくん〟と絶賛されると気持ち良さが段違いなのだ。そうそう、俺っち(のユニット)のメルメルなんで。やけに機嫌がいいからまた何か企んでいるのかと思いましたけど。うっすら失礼なことを言って、HiMERUは燐音の胸あたりに乗っけたままだった体重を自分の足の方に戻した。
「HiMERUが絶賛されるのは当然なのです。褒められるたびに浮かれて絡んでくるつもりなら邪魔くさいのでもうしないこと」
「はっきり言うなよ、燐音くん泣いちゃうっしょ……」
 辛辣な物言いに笑って、肩から手を離したところではたと思い出した。HiMERUに言いたいことは他にもあったのだ。
「メルメルあれだよな、事件に巻き込まれるすすきののホスト役」
「え? はいそうですけど……あなたってきっちり確認してますよねメンバーの仕事」
「そりゃあたりまえ。じゃなくてさァホラめちゃめちゃバズった台詞あるっしょ、客の女の子に言ったやつ。あれ俺っちにもやって♡」
「……。さてはそれ言いに来ましたねあんた」
「あたり~ィ」
 ニッと歯を見せてピースサイン。番組公式SNSアカウントがアップした切り抜き動画はオンエア直後からとんでもないスピードで拡散され、このままでは『Crazy:BのHiMERU』よりも『殺されたホスト役のHiMERU』の方がうっかりメジャーになってしまいそうな勢いだ。それは燐音としては本意ではない、でもいち視聴者としてはとても、ものすごく、ぐっときた。燐音もホストのHiMERUの掌で転がされたかった。だから瞳をキラキラさせて上目遣いでお願いした。眉を寄せたHiMERUは一度額に手をやったあと、仕方ないですね一度だけですよ、と早口で言った。照れているのかもしれない。が、よし、と呟いて伏せていた目を開けたら、そこにいるのはもうアイドルの『HiMERU』ではなく。
「……〝燐音ちゃんはぁ、俺が借金まみれでも人殺しでも愛してくれるでしょ♡ 俺もう君がいないと駄目っぽくて……ねえハニーってば、こっち向いて♡ 大好きだよ♡〟」
 ──全方位に最低だけれど滅法魅力的な、ナンバーワンホストだった。
「──はい、終わり」
「うお~ッギュンッギュンしたァ! 抱いて♡」
「あんた抱かれる気なんてないだろ。お帰りください」
 スンッと一瞬でビジネスモードに戻ったHiMERUは、よそ行きの笑顔でピシャリと跳ね除けて。今日はもう仕事終わりですよね? とプライベートの距離で囁いてきた。
「ん? そうだけど」
「じゃあ大人しく家に帰って、いい子で待ってて。ハニー」
「ヒ~ッ」
 大袈裟な動作でいきなり床に崩れ落ちた燐音を、傍でデスクワークをしていた事務員が驚いて見ている。あのドラマはHiMERUにとてつもなく強力な武器を与えてしまった──無情にも遠ざかっていく恋人の背中をしゃがみ込んだまま見つめるほかに、腰の抜けかけた燐音にできることはなかった。

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