白昼夢は秘めやかに

【side:燐音】



 珍しい奴から珍しい内容のメッセージを受信した。愛想の無い、状況説明だけの端的なメール。だが金もなければニキもいない、暇だけが余りに余っているこちらとしては願ってもない申し出だ。『了解』と簡潔な一言だけを返信すると、すぐに踵を返して鼻歌を歌いながら来た道を戻った。

「よ」
「――警察を呼びますよ」
「出会い頭にそれかァ」
 秀越学園保健室。副所長君から呼び出しを喰らった俺は指示通り白い引き戸をノックしてからがらりと開けた。つんと鼻をつく消毒薬のニオイ。物珍しくてきょろきょろと辺りを見回す俺に、ベッドに力なく横たわったメルメルが悪態をついた。
「……なんで、あなたが、ここに」
「見舞いっしょ、見舞い。他に何があンだよ」
 手に持ったコンビニの袋を掲げる。中身は水にスポーツドリンクにゼリーにカットフルーツ、あと一応コーラ(ついでに自分用の煙草とワンカップ)。そいつは未だ目の前で起きていることが信じられないという顔をしていた。
「――そうか、夢か……」
「オイオイオイ寝ようとすンな、いや具合悪いんだよな、寝てもいいわゴメン」
 三つ並んだ白いベッド、白いカーテン、制服の白い半袖シャツから伸びる白い腕。そして血の気の引いた白い顔。メルメルが低血糖を起こして保健室で寝てるっつうもんだから、慌てて駆け付けた俺。副所長君が何を思って俺を頼ったのかは知らないが役得だ。何せ普段ツンケンして口ばっかり達者なこの男の弱った姿を、自分だけが楽しむことができる。貸しも作れる。ほくそ笑む俺を余所にメルメルは気怠そうに首を動かして室内をぐるりと見た。
「先生は……?」
「職員会議だっつって出てった。丁度すれ違ったから心配すンなって言っといたぜェ」
「逆に心配してほしいのですが……どう見ても学園に侵入した不審者でしょうあなた」
「不審者って。ユニットのリーダーで保護者ですゥ~つったら安心したってよ」
「誰が保護者で、っ……」
「あーあー馬鹿、急に起きる奴があるかよ」
 起き上がるなり額を押さえて俯いてしまったメルメルの肩を抱いて支える。振り払われるかと思ったが意外にも大人しく腕の中に収まった彼に、こりゃ相当な不調だな、と聞くまでもなくお察し申し上げた。「天城に弱みを見せるくらいなら死んだ方がマシなのです」とか言いそうなこいつが、ねえ。
 慎重に寝かせてやってからカーテンを引いて蛍光灯の刺すような光から守ってやると、瞼が薄らと開いて潤んだ蜂蜜色がこちらを向いた。ちょっと、いやかなりムラムラする。
「今エロいこと考えたでしょう」
 ――バレた。顔に出ていただろうか。
 実際のところ、もうちょい症状が軽そうなら食っちまおうかなくらいの下心はあった。学校の保健室でしけ込むってのは定番のシチュエーション、男の夢だ、浪漫だ。副所長君の意図するところではないのだろうが、せっかくのお膳立てだ(と、都合良く解釈しよう)。「最低」と罵られようが「変態」となじられようが、興奮するモンは興奮するわけで。まあ来てみたら予想以上にぐったりしていたから、俺の野望は無残にも打ち砕かれてしまったのだが。
「考えるなって言う方が無理っしょ……おまえ状況わかってンの?」
「病人が寝ているベッドの横に野獣がいます」
「……ちょっとは元気ンなったみてェだなァ。けどもうちょい寝てろ、いい子だから」
 ゆるく孤を描いたその唇をするりと撫でてやる。学校の保健室、制服のHiMERU、プロ意識の塊のような彼の、珍しい不調。何もかもが新鮮で、どうしても変な気持ちになってしまう。なんならちょっと勃ってるかも。気付かれる前に、と「おやすみ」と口の中で呟いてそっと彼の両目を掌で覆った。



【side:HiMERU】
 


 彼が学園に現れた時は本当に夢だと思った。おおかた同じクラスの七種が気を回したのだろうが、余計なお世話にも程がある、俺はひとりで大丈夫だと言うのに。もう保護者が必要な子供ではない。それでも何故だろうか、体調が悪い時にはどうしようもなく心細くなってしまうもので。慈しむように触れられた掌の温度に絆されて、気付けば余計なことを口走っていた。
「――しないんですか、何も」
「馬鹿か、疲れてンだろ。最近オーバーワーク気味だったもんなァ……ニキみてェに適度にサボればイイんじゃねーのと思うけど、おめェにゃ無理だろ、そーいうのは。いいから寝てな」
「……」
 天城の反応は想定外で、こちらが言葉を失くしてしまった。この男なら所構わず盛るだろうと思っていたのだが、意外なところで良識ある歳上の顔をしないでほしい。こんなの、また、絆されてしまう。
「してほしいと言ったら?」
「……あのなァ、あんまり大人を揶揄うンじゃねェぞ」
 大人だって。天城が。可笑しくて笑ってしまった。顔を背けた彼の、髪の間から覗く耳が髪と同じくらい赤い。それを見つけてしまったら悪戯心が抑えられなくなった。思えばここにやって来た時からそわそわと落ち着きがない。ああそうか、と合点がいった。彼にとっては学校という空間そのものが異世界なのだ。もしかしたら立ち入ること自体初めてなのかも?
 ――ふふ、そうかそうか。何だか天城燐音という男が可愛らしく思えてきた。俺にとっての日常、彼にとっての非日常、ふたりが交わるこの場所は夢とうつつの境目。俺は浮ついた思考に導かれるままに両手を伸ばしてその頬を包み、ぐいと引き寄せた。不意打ちに油断しきっていた男の身体が傾ぐ。慌てて突き出された両手が俺の顔の横に落ちてくる。
「おわっ⁉ ッ、」
「……、ありがとうございます、来てくれて」
 触れ合わせた唇を離してにこりと微笑んでやると、天城がピシッと硬直した。いつも先輩風を吹かせて余裕ぶっているのだからたまには良いだろう、こういうのも。学校を知らない天城にとっては貴重な経験、思い出作りだ。俺は動かない彼に背を向けてまた目を閉じた。心細さはほどけて、代わりに胸を満たすのは確かな充足感だった。
「……悪い子」
 天城が小さく零した不穏な呟きには気付かぬ振りを貫いた。調子が戻ったらぐちゃぐちゃになるまでこの男に抱かれるのだろうなと、他人事のように思いながら、また微睡みの中へ落ちていった。





(ワンライお題『体調不良/キス』)

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