酒飲みどもの攻防

 空になった空き缶を両手で持てるだけ持って、落とさないようにそっと歩く。
 キッチンと呼んでやるにはしょぼい作りの狭い流し台に、なるべく音を立てないよう適当に置いた。それを2、3回繰り返したところでテーブルの上がだいぶ綺麗に片付いたような気になる。
 申し訳程度にビニール袋にまとめられたゴミを、かしゃかしゃと最低限の物音だけでまとめて一つのゴミ袋に詰める。今日までの俺の出したゴミもあるせいでそこそこの量になった。燃えるゴミの日は明後日だ。24時間ゴミ出し可の物件を選んで本当に良かったと思った。
 宅飲みで出たゴミはあらかた片付けたというのにどうしても部屋の中がスッキリしない。
 その原因は紛れもなかった。
 俺がそのうち彼女を家に呼んだ時、「わあ!洸太郎くんてセンスいいんだねえ!」と言われるために買ったソファに、彼女でもなんでもないくせに手足をのびのび広げて眠りこけているこの酔っぱらい女が片づかないせいだ。
「おい起きろアホ。木崎も寺島も全員帰ったぞ」
 控えめに声をかけたが返事もなかった。予想していた展開にまたかと小さくため息をついて、俺はソファではなく床に座る。
 なんで家主の俺が床なんだよと思いながら、手持ち無沙汰に適当にテーブルの上を拭いてみる。ちなみにこのテーブルも彼女を呼んだ時にオシャレな家具を使ってると思われたくて買ったやつだが、この眠りこけてる女に「ガラス張りのテーブルいちばん汚れ目立つからムリー!」と勝手に全否定された。やかましい女だ。
 さらにちなみに、この部屋に引っ越してきてから彼女を家に呼んだことはまだ一度もない。なんなら彼女がいない。
 テレビをつけようと思ったけどなんとなく思いとどまって適当にスマホを眺める。どうでもいい通知が4件ぐらい溜まっていた。
「俺、明日1限だからな」
 聞こえているのかいないのか分からないのに釘を刺すように言った。やっぱり返事はない。
 ここまでが俺んちで飲み会をした後のいつもの光景だ。まあここからもいつものことなのだけれど。
 俺のソファを我が物顔で占領して、意外にもおとなしいボンクラの寝息を聞きながら、時計が1日を終わらせるのを待つ。
 俺んちの最寄駅と寝息の主の最寄駅の時刻表を白々しく調べて終電が無くなったことを確認する。煌々と明るい電気と深夜の妙な静けさがちぐはぐなせいで、俺の気持ちまでちぐはぐになる。
「おーい、また泊まんのかァ?風呂は?」
 眠るその顔を、多分睨みつけながら。どうにかして優しくならないように、今度はしっかりと声をかける。
「…あしたはいる……」
「歯ぐらい磨けよ」
「あとろくじかんねてから……」
「もう朝だろうが。酒臭えから磨け」
「おこしてくれ…」
「………介護さすな」
 無防備に伸ばされた両腕を掴んで身体を引っ張り上げる。この女はこんなに俺に無防備に甘えているが、それは取り繕うべき相手ではないゆえの怠慢からだ。
 その証拠にコイツが本当に取り繕いたい相手───風間がいる時は隙なく整えられている髪が、ソファなんかに横になったせいでほとんどぐちゃくちゃになっていた。
 このアホの髪が柔らかいのか硬いのか俺は知らないが、お前が手櫛を通すといとも簡単に綺麗に戻るからきっと細く柔らかい髪なんだろうと思った。
 眠そうな目でのろのろと動き出す。ソファに座って宙を何も言わずに見つめている。とろんと焦点の合わない瞳、酔いのせいで消えてしまった警戒心、ぼーっとした隙だらけの一挙手一投足が危うくて見ていられない。
「お前さあ」
「うん……?」
「俺じゃなかったらマジでどうにかされるからな」
「なにが?」
「ほんとやめろよ、気軽に男んち泊まんの」
 溜息をつきながらそう言ってやった。別に今さらお前にどうこうなんてする気も起きないけれど、お前がアイツ───風間以外とどうこうなるのは妙に癪に触るのだ。
 そんな親の心子知らずとも言える俺の気持ちなんて全然知らないであろうこの女は、相変わらず無防備な顔で俺を見る。
 見慣れている寝ぼけたアホ面は、多分化粧が落ちたせいで、瞼以外の部分もチカチカ光っていた。
「諏訪んち以外に泊まるわけないじゃん」
 半分ちからの抜けているへらりとした笑みが眩しく見えたのは、俺の眠気がいい加減限界だったせいだろう。
 伸びそうになった手は今日もちゃんと煙草を掴む。でもライターは探せなかった。
「ゴミ捨ててくっから、先風呂入ってろ」
「かたじけねえ……」
「うっせ。風呂で寝んなよ」
「もう酔い覚めたからだいじょーぶ」
 ふざけてじゃれてくるお前を見ないように、ゴミ袋を引っつかんでさっさと部屋を出た。
 ここまでが、俺んちで飲み会をした後のいつもの光景だ。
 ぼーっとしてるアイツにキスするとか、眠りかけた隙にちょっと抱きしめてみるとか、たまには一緒のベッドで寝てみるかとか、そんなことは起こらない。
 今日ここからも、明日以降のこれからも、多分いつものように何事もなく朝を迎えるんだ。

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