この度は誠に申し訳御座いませんでした!

「ロロノア、お前また間違えてるぞ」

 シンっとフロアに緊張が走る。実際には電話する声やキーボードを叩く音なんかが響いているのだが、社員のほとんどが業務に徹しながら声の出処の方へと意識を向けていた。
 ロロノア、と呼ばれた男、ゾロが自分を呼び出した上司の元へと足早に歩いていく。それすら緊張の元となっていた。

「はい」
「ここと、ここ……一回治ったと思ったらまたミスしやがって」
「……すいません」
「ミスを直したら別のところをミス、そのミスを直したらまたミス……何度目だ?俺の話を聞いていないのか?」
「いえ、俺の確認不足です」
「その確認をしっかりしろと俺は言ってきたつもりだが?」
「……すいません……」
「今度同じミスしたらどうする?なぁ?」

 頭を下げて小声で謝るのは体躯の良い男だ。強面だが男前の分類には入るだろう。そして頭を下げる先にいる上司もまたたまげる程に男前である。殺伐とした空気でなければ喜色満面に女性社員は小声で囁きあっていただろうが、流石に今は無理だ。そもそも、二人が顔を合わせて和気あいあいと雑談している所なんて見たことがない。今後も女性社員が黄色い声を二人に向けることは無いだろう。
 ひとしきりお叱りが終わったらしく、ロロノアが席に戻ると上司のローはため息を着いて自分の仕事に戻る。そうするとようやくフロアには日常の騒がさが戻ってきた。

「トラファルガーさんって、普段から割と厳しいけどロロノア君には人一倍ですよね」

 我慢しきれなかったのか、若手に入る女性社員が先輩へと声を掛けた。

「ありゃ普通に嫌いなのよ。ほら、ロロノア君って仕事出来ないわけじゃないけど変なとこで抜けてたりするでしょ?イライラすんじゃない?」
「そういうもんですか?私は気にならないんですけど。それにあの人、見かけによらず優しかったりするじゃないですか」

 この前だって私が残業しそうになった時助けてくれましたよ、と頬を染めて告げるうる若き後輩に、先輩は髪をかきあげて首を振った。

「トラファルガーさんは仕事人間だからねぇ、そういうの、見ちゃいないのよ。厳しいわよ彼。ただ人に厳しい分、自分にも厳しいし、しかも仕事は完璧、だから厳しくてもついて行く人も多いのよねぇ」

 ふと、思い出したように、背後のデスクに座る男性社員へと振り返る。

「アンタもよね、ペンギン」
「ふへっ!?な、なにが?!」
「なに焦ってんのよ」

 鼻で笑って後輩と話していた事をペンギンに言えば「ああ」と頷いてにんまりとした笑いを向ける。どこか誇らしげで嬉しげに笑うものだから後輩の方はついほうけてしまったようだ。普段は営業回りで外にいる事が多い男が不意に見せる笑みっていうものに、どうやら弱いタイプらしい。

「あの人はすげぇよ、昔っからなんでも出来たしな。俺学生の頃から知り合いだけどあの人の自他への責任感やべぇよ。失敗する事も多かったけど、その分学んできたっての?だからこその自信とか、失敗例と成功例とか?それを下へ落とすトップダウンにも力を入れていて」
「はいはーい、アンタのトラファルガーさん語は長いのよ」

 話振ってきたのそっちじゃん!ぷくっと頬をふくらませて態とらしいほどに怒りを見せる成人男性。だが似合わない事もない事が恐ろしい。むしろ可愛い。いいもん見たなぁと後輩は脳内メモリーに保存しながら疑問に思った事を口にしていた。

「トップダウン?ていうのはわかります。トラファルガーさん、よく失敗と成功をセットにして話してくれて、しかも私が今困っていることに近い話なんかしてくれるから解決のヒントになったりして、厳しいけど優しいなってのもわかります。でもやっぱりロロノア君には、厳しすぎるかな……って、疑問なのは、トラファルガーさんってそんな、人を区別する人なのかなって」
「あー、さぁねぇ。そりゃアタシにもわかんないや。ペンギン、昔からの知り合いならわかんでしょ、どうなの?」

 聞かれたペンギンは顎に指を掛けて少し考えるような素振りをしてから、首を捻った。微かに口元に浮かべている理由がわからない。なにを考えたのか。

「そうでも無かったよ、あの人は昔から自分達とそれ以外って分けてたけど特定の人ってのはなかったな。ロロノアだけじゃない?」
「へぇ、そうなんですね。なら、ある意味初めて特別に嫌ってるって事ですか?」
「嫌ってるというか、まぁある意味、特別ではあるよ」

 そう言って今どこそ、ペンギンはハッキリりとした笑みを浮かべた。訳が分からず女性社員二人は首を傾げたが、説明の補足をするわけでもなく「さぁ仕事仕事」と言ってペンギンは仕事に戻ってしまい、結局詳しい話を聞くことは出来なかったのだった。


◆♢◆♢◆♢◆♢◆♢


 夜遅い時刻、もうそろそろ日付も変わろうかという頃にインターホンがなった。ゾロは風呂上がりのビールを呑んで居たのだが、そのインターホンに反応すると、小さく息を吐いて缶をテーブルへと置く。非常識な時間帯だからこそのため息ではなく、なぜ鍵があるのにわざわざインターホンを鳴らすのか未だに理解が出来ないからだ。以前聞いた時は意味不明な回答が帰ってきたので、理解自体を諦めてしまってはいるのだけれど、やはりわざわざインターホンなんて、鳴らさんでもいいだろうと思う。文句のひとつも言いたくなるが、それでもゾロも律儀に毎夜玄関へと向かい、同居人を迎え入れるのだ。
 濡れた頭に被せていたタオルを肩に掛けて、ぺたりぺたりと、廊下を歩いて玄関の鍵を開け、扉を開く。

「おかえり」
「ただい……ゾロ屋ァア!てめぇは本当に何度言ったらわかる?!」
「近所迷惑だ、デケェ声だすなっ!」

 挨拶もそこそこにグワッと恐ろしい顔を見せた同居人の腕を掴み慌てて室内へと引き込むと、すぐに腕を振り払われ両肩をガシリと掴まれた。

「半裸たぁどういう事だ?!そんな格好で玄関を開けるな!俺以外だったらどうしたんだ?!襲われるぞ?!」
「いやこの時間にインターホン鳴らすのお前しか居ねぇし俺を襲うような物好きは居ねぇし居たとしても返り討ちにしてやるわ」
「お前なら出来るだろうがそうじゃない!もっと自覚を持て!お前は最高に魅力的なんだ!」
「うーん、トラ男のその馬鹿みたいな発言、会社のヤツらに見せてぇな」

 必死な男に対してゾロは苦笑しか出ない。誰も信じちゃくれないだろうなと思う。
 だって普段から誰に対しても厳しく、己自身に対しても厳しく、そしてゾロには一際厳しい男、トラファルガー・ローが、実はゾロの同居人であるだなんて。

「会社の話をするな、今の俺はお前の上司じゃない」
「はいはい、悪かったよ」
「でも、今日は厳しくし過ぎた……」
「謝るなよ?あれは当然なんだから」
「だが……」
「それよりトラ男?いつものはしないのか?」
「する」

 言うなら唇を重ねて来たローに、やはりゾロは笑みを堪える。あぁ、誰も信じやしないだろう。
 厳しい上司のトラファルガー・ローが、ゾロの同居人で、しかも恋人で、そしてさらに言えば。

「今日のゾロ屋も可愛かった、仕事中パソコンに向かう姿も格好よかったぞ、流石ゾロ屋だ。愛してる」
「はいはい」

 とんでもない激甘男であるなんて、誰も信じやしないだろう。



 作っていた夕食を温め直して、ローが食事をしている間に風呂も沸かし直す。食事を終えたローがその風呂に入り、上がってきた途端に、ローはソファに座るなりゾロを呼んで膝に座らせると抱き込んで顔中に唇を押し当ててきた。こそばゆさに肩を震わせながら笑って、それからふとゾロはローへと言葉を投げかける。

「なぁ、トラ男」
「ん?」
「やっぱりそろそろ仕事、俺にも回してくれよ。そりゃ……ミスはまだあるし任せきれねぇってのもあるんだろうがよ……」

 ゾロの仕事量で言えば、正直な話物足りない。といってもそれはゾロ自身の完了スピードが上がったからに他ならないのだが。少し前まではいっぱいいっぱいで、それこそミスも多かった。そもそもとして書類を作成したり顧客先へ出向いたりというのは苦手な方なのだ。それでも少しの憧れがあったから、今の仕事を選んだ。やりがいも感じている。だからこその、物足りなさだ。
 それから、それに、とゾロは続ける。

「俺だけ先に帰って、トラ男がこんな時間ってのも、な」

 唇を尖らせたのは無意識だったが、ローからしてみれば誘われているとしか思えなかったのかもしれない。自分を気遣うような言葉もまた、男を舞い上がらせたのだろう。ちょんっと軽く唇を重ねればゾロは勢いよく身を引いた。

「テメッ……!」
「ふっ、優しいなゾロ屋」
「茶化すな、はぐらかすな、俺は真面目に言ってるんだぞ!」
「わかっている」

 ゾロの顔だけを見ればなんとも凶悪な顔だろうか。激怒にも近い顔だと言うのに、ローには拗ねたようにしか見えない。可愛らしいと思っているような顔でご機嫌取りとばかりにゾロの頬を撫でる。

「わかっているさ。それに、丁度そろそろ仕事を回そうと思っていたところだ」
「!本当か?!」
「ああ」

 コロッと怒りの顔から喜びへ。山の天気よりもコロコロと変わる表情にいつだってローはその目を楽しませた。

「また明日話してやる」
「今じゃねぇのかよ」
「言ってんだろ、今の俺はテメェの上司じゃねぇんだよ」

 すりすりと、頬を撫でていた手の親指がゾロの目尻をなぞる。するりと滑らかな肌触りを楽しみながら頬を撫でて、それから唇へと触れた。カサつく男の唇の何が楽しいのやらと思いながらもローが随分とあからさまな眼差しを向けてくるものだから、ゾロも仕方ないなと吐息を吐く。

「わぁったよ、悪かったな」

 今度はゾロの方がローへとご機嫌取りをするように唇を重ねる。押し当てるだけだが、お互いの体温を直に感じる瞬間は何度繰り返したって飽きることは無いのだ。
 何度か口付けを繰り返し、お互いに息が上がり体温も熱いほどになってきたころ、ゾロの顔がローから離れる。

「なぁ」
「んー?」
「明日になって反故にしたりすんなよ」
「しねぇよ。約束は守る。特にお前に関してならな、必ず仕事を回してやるから安心しろ」
「………なんか、この状態で言うと枕営業みてぇだな……」
「よし、どこでその言葉を覚えたのかは後で問いただすとして」

 ローの腕がゾロの腰を強く引き寄せ、そして薄らと笑った。

「そのアイデアは良いな。採用」
「うっわ言わなけりゃ良かった」

 こりゃ面倒なプレイが始まるな。わかっていてもゾロは本気で拒絶も抵抗もしないのだ。今に始まったことではないのだから、長い付き合いの中、ゾロはすっかりローのちょっと変な癖に慣れてしまった。

「そんなこと言っていいのか?仕事、欲しいんだろ?」
「まったくしゃーねぇなぁ………」

 すっかり役に成り切ってしまった男にはもう呆れもない。
 そして、なんだかんだ自分も楽しんでしまうのだ。

「先輩、俺に仕事回してくださいよ……イイコト、しますから」

 そうして今宵も恋人たちの甘い時間が始まるのだった。


♢◆♢◆♢◆♢◆♢◆


 社内はまだ午前中だ、お昼に出ていない人も多くキーボードを叩く音や話し声なんぞがそこかしこから聞こえてくる。電話も鳴ればプリンターの作動音だってひっきりなしだ。午後から客先へ訪問するという社員も多いから準備に忙しないのだろう。
 いつもの光景だが、どことなく緊張感が漂っている。それは昨日と似たような空気だ。つまり、ローとゾロが話をしているという、そんな空気。

「あれ、何話してるのでしょう?」
「あーなんか近々新しいプロジェクト始めるってんで、そのメンバーにロロノア君も組み込まれたみたい。その説明じゃない?」
「えっ?!な、なんで?」
「知らないわよ、そんなの」

 チラリと目を向けた先にはローのデスクで真剣な眼差しをパソコンへと向けるゾロがいた。手には何度もページを捲ったのだろう、ボロボロのノートがあり、ペンをひたすら動かしなにやらメモしている。

「困った、トラファルガーさんに確認して欲しい書類あるのに」
「急ぎ?」
「今日提出しなきゃならないんです、間に合うかな」
「そう、まぁあの中に突撃する勇気あるなら行ってきな、または大人しくギリギリまで待つかね」
「ええぇ……」

 嘆き声を上げるが、わかっている。どうしても間に合わなそうであればあの地獄みたいな組み合わせの中に行かねばならないなんて事は百も承知だった。
 二人が話す声は小さい、低いということもあって上手い具合に聞き取れないから今は話も終盤かしらね?なんて確認も取れない。時間を気にしながらもいつ終わるか分からない話し合いを、別の仕事をしながら待つことにした。
 そうしていると少したった頃、背を屈めてパソコンを覗いていたゾロが顔を上げて背筋を伸ばしたのが視界の端に映った。どうやら終わったらしいぞと、そそくさと書類を持って若手の女性社員も立ち上がり、そろりそろりとローのデスクへと向かう。近くなった分、先程よりはっきりと話し声が聞こえてきた。

「いいな、トチるんじゃねぇぞ。今までみたいなミス繰り返しやがったら本気で承知しねぇからな」
「はい」
「他のメンバーも居るんだ。迷惑かけるような行為はすんな、何かあれば他の奴より先ず俺に言え」
「……はい」
「チッ……」

 そろそろパワハラで訴えられるんじゃなかろうか。ハラハラとしながら眺めてしまう。それにそれはとても残念な事じゃないか。ローは厳しいが仕事のできる人間だし、実際ゾロ以外には優しさだって見せてくれるのだ。それをゾロが知らないままに、パワハラだのなんだのと、なってしまったら、勿体無い。
 いやでも、と内心首を振る。ゾロが嫌だと感じたらそれはローが悪い。どっかのタイミングで、誰かがローに指摘してくれやしないだろうか。そうしたら少しはマシになって、ゾロも怒られないで済むはずだ。

「いや、誰よ」

 居るはずない。となれば自分に出来ることはなんだろうか。悩んでいるとゾロが自分の席に戻って行ったので、少し緊張しながら上司たるローの元へと足を進めた。

「あの、トラファルガーさん」
「あぁ……なんだ?」

 パソコンに展開していた何かしらの資料を眺めていたローは声に反応して直ぐに顔を上げてくれた。声にも表情にも苛立ちの色はなく、やはり本当にゾロに対してだけなんだなと、少し悲しくなる。

「この書類、今日の夕方に提出なんですけど少し見て欲しくて。見た限り問題はなさそうなんですけど、気になるところが」
「どこだ?」
「ここなんですけど」

 今日の夕方に提出する書類を、当日の午前中に持ってくるなんてって怒られてもいい案件だろうに、ローは一言も苦言を述べることなく書類を受け取り眺める。それから暫くして頷いた。

「問題ない。よく出来ている」
「あ、えと」
「大丈夫だ。あとはしっかりやれ」
「は、はい。ありがとうございました」

 苛立つことは無いどころか笑みすら浮かべてくれた。思わず有頂天になりそうになるが、待て待てと自制する。落ち着け自分。だがしかしチャンスでは?今のローになら自分のような下も下もいい所の平社員の言葉にも耳を傾けてくれるのでは?

「あの、トラファルガーさん」
「ん?まだ気になるところがあったか?」
「えと……」

 ロロノア君に厳しくしすぎな気がします。
 その一言だ、だけど。

「いえ、大丈夫です」
「そうか、なら戻って準備しておけ」
「はい……」

 言えなかった。ごめんね。
 そんな思いと、書類を抱えてすごすごその場を離れる。
 せめてもの罪滅ぼしにと、その足でゾロの元へと向かった。自分に出来ることなんてたかが知れているのだ、そしてそれは毒にも薬にもならないような事だ。

「ロロノア君」
「あ、はい?」

 コソッと、体を屈めながら声をかければまさか自分に用があるとは思っていなかったらしく少しだけ驚いたような顔でパソコンから顔を上げた。

「あのね、えと」

 言葉につまるがゾロは急かすこともなく言葉を待つ、随分とできた子じゃないか優しくしておやりよ、とどっかの空賊みたいな言葉が浮かんでしまう。

「ほら、トラファルガーさん、厳しいじゃない?でも、あれ、その、気にしなくていいから。もし、辛いなぁとかあったら、話聞くよ」

 少しは心が軽くなればいい、そんな気遣いしか出来ない。
 小さな声になってしまったけれど、ゾロは女性社員の言葉をしっかりと聞いたらしい。パチクリと目を瞬くと、ニカッとした笑みを見せた。

「ああ、大丈夫だ……です。ありがとうございます」
「ううん」

 未だに敬語が少し苦手らしいゾロに苦笑して、大丈夫だという言葉には強がりでもなんでもない本心からなんだろうとわかる笑み見て、意外と強かだなと思いながら体を起こすと視界に思わぬものが目に入ってつい声を上げた。

「あ、ロロノア君、虫に刺されてるよ」
「え?」
「耳の近く、痒くない?薬あるよ?」
「耳の、近く……」

 確認するようにゾロは耳近くの首筋を撫でる。ぽつんと付いていた赤い跡が手のひらで隠れてしまった。しかし今の時期に蚊なんているだろうか、それより虫刺されにしちゃ痒いらしい様子もない。少しだけ疑問に思って首を傾げていると、ゾロの顔が見る見るうちに赤くなっていったのがわかった。
 それで、女性社員も、要らぬことを言ったと、理解した。

「あ……えと」
「………」
「なんか、ごめん……」
「っ………」

 紅い痕なんかより余っ程顔を赤くしたゾロがとうとう顔を俯かせてしまう。なんてこった。やっちまったぜ。思いながらあたふたとして、そうだそうだと声を潜めた。

「ば、絆創膏あるけど、いる?」
「ああ、その……頼」

 頼む。という言葉は最後まで聞こえなかった。なぜならどこからともなくバキィッと何かが壊れるような音がしたからだ。そろっと顔を上げて音の方へ目を向けるなり思わず「ヒッ」と引きつった声が漏れてしまった。
 ローが、とんでもない形相でこちらを睨んでいたからだ。手には無惨にも折れたペンがある。おう、なんてこったパートツー。
 なんだなんだ、無駄話が過ぎたか。いやでも今は少し問題が。とかなんとか、頭の中がごちゃごちゃしてしまって居ると、ゾロが首筋を手で隠しながら立ち上がり、そのまま歩く。行先はフロアの外らしい。真っ赤な顔のまま向かうゾロを見送っているとローもまた立ち上がった。
 このままここに居るのは得策じゃなさそうだと災難なる女性社員も自分のデスクに戻りがてらチラリとローの方へ目を向ける。すると、ローはゾロを追いかけているようだ。
 あ、これ怒られるかも。私のせいだ。
 なんて嘆いてしまいながら眺めていると、思わぬ事が起きた。

 ゾロが、ローを睨んだのだ。
 しかもローはビクリッと、僅かに体を硬直させたのだ。

 時間にして一瞬の出来事だろうが、それを確かに見た。そしてさっさとフロアを出ていくゾロと、一瞬の間を置いてやはり追いかけたローに、女性社員は首を傾げた。

 今のは、一体……?

「アンタ何したのよ」

 自分のデスクに戻るなり先輩から声が掛けられる。咎めるようにも、好奇心を抑えられないというようにも見える様子だ。

「いや、私はその……ロロノア君に、トラファルガーさんの事気にするなって言っただけで」
「それがどうしてあんな物騒な顔になるの?トラファルガーさんも変な様子だったし」
「さ、さぁ……?」

 あまりにもセンシティブな話に、言っていいものか悩む。先輩は良い人だ。口も固いし、人を茶化すようなことはしない。でも、というやつ。

「さぁさぁキリキリ言いなさい。なんかあったんでしょ?」

 ただしこの後輩、先輩が大好きだった。

「ロ、ロロノア君の首、耳のところに虫刺されがあったんです、でもそれ、虫刺されじゃなくて………」
「え?あ、あー………堅物っぽいくせしてやるぅ」

 ニヤリと笑う先輩に対して、後輩と言えばあまりにもあんまりな話題に今更ながら顔が赤くなる。あの如何にも堅実そうでおかたそうな男には好いた女性が居る。それも痕を残すほどに熱烈な想いを持つ女性が。

「で、そんな会話してたからトラファルガーさん怒ってたわけだ」
「え?さ、さぁどうなんでしょう。小声だったし、聞こえなかったはずだから、どちらかといえば無駄話してた事に対してかなと思ったんですけど」
「それもあるかもねぇ、でもならトラファルガーさんがあの子追いかけて行ったのはなんでだろ?不純異性交友、咎めに行ったんじゃない?」
「そんな、学校じゃあるまいし」

 しかし、もしかしたらそうかもしれない。なんとなくローは潔癖症なところがある気がすると後輩は思っていた。

「ドチャクソに怒られるかも、ね………って、ペンギン、さっきから何笑ってんの?」

 なんか背後が変な空気だと思っていれば、どうやらペンギンが笑いをこらえて肩を震わせて居たらしい。気付かなかった後輩社員はきょとりと首を傾げる。

「ペンギンさん?」
「くっふふっ……ふはっ……!」
「なにあんた、猥談とか好きだっけ」
「ちょっ!可愛い後輩の前で辞めて?!」

 そう言いながらもやはり笑いが堪えきれてない。くすくすとどこか一人楽しそうだ。

「じゃぁなんなのよ?」
「いや、別にぃ?ちょっとね」
「なによ、ロロノア君が怒られるところでも想像して笑ってるってなら、引くんだけど」
「違うけど?!」

 流石にそれは全力で否定した。だが、ニヤつく口元は相変わらずで、もしかして本当に?と後輩はつい疑いの目を向ける、その眼差しがどうやらペンギンにはグサリと来たようで、少しだけ愉快な気配を押し殺すように真一文字に口を引きしめた。
 しかし、直ぐに笑顔になってしまった。

「ははっ、ダメだ無理!」
「一人楽しそうねぇ?ね、何がそんなに、楽しいの?」

 先輩がグッとペンギンへと近づく。その近さといえば思わず後輩のほうかドギマギとして目のやり場に困るほどだ。幸いなのは二人に怪しい空気は無いところだろうか。

「内緒、ただそうだなぁ……安心しろってことかな」
「は?なに?」
「ロロノアは怒られないよってこと。寧ろ………」

 寧ろ?なんだろうか。そう思って言葉の続きを待っていたのだが、ペンギンはケロりとした表情で首を振った。

「やっぱ内緒」
「ペンギンの癖に生意気な、関節外すわよ」
「きゃー、パワハラだー」

 仲のいい恋人のようなやり取りであるが、二人は恋人ではないという。世の中、変なものだ。

「内緒だけど、安心しろって、お兄さんを信じなさい」

 最後にそう言ってペンギンは仕事に戻る。
 途中から置いていかれた後輩は一人、首を傾げるばかりだった。






 ところ変わって、人気のない非常階段、の、踊り場。

「悪かったゾロ屋!まさか気付かれるとは……」
「そういう問題じゃねぇしばらく話しかけんなウゼェ」
「ゾロ屋!謝る!すまない!」
「許さん」
「この度は誠に申し訳ありませんでした!!!!」

 後に「あの会社でなんかデカい問題あった?すげぇ謝罪聞こえたんだけど」とビル内で噂になるなんて、今日この日、誰もが知る術はなかった。

 それはこの二人が恋人であると誰もが知らないように。

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