身を灼いて死にいたる




 どこの島で出会った何という海賊だったかも覚えていないが、昔、どこかの島で出会った何とかという海賊が売り捌いていた薬を奪ったことがあった。成分を調べたら本物だったので、これ以上出回る前にと全て燃やして捨てた。一錠も残っていない。その頃のおれは七武海だったので、海軍に恩を着せるにはいいネタだった。薬がどういう成分であったかについての詳細は伏せるが、いわゆる性行時に使用するととびきり気持ちがよくなる系のやつだ。娼館が多い島だったから、それはもう飛ぶように売れただろう。女にも男にも効くらしかった。興味がないわけじゃなかったが、他人が作った薬を、しかも神経系に効く薬を無防備に口にするほど呑気じゃない。だからおれは、その薬の効果が実際のところどれほどのものだったのかは知らない。おれがやったのは、知らない海賊が持っていた大量の薬を強奪、破棄し、恩着せのためだけにそいつらの取引ルートを海軍に報告してやった。それだけだ。 
  
 と、ローが語る言葉をゾロは落ちそうになる瞼を必死に開いて聞いていた。おかしい、すぐそこにいるはずのローの言葉が妙に遠く感じる。単語の一つひとつが泥濘んだ泥水をまとっているようだ。
 おかしいのは聴覚だけではないようだった。皮膚の表面は冷たく感じるのに、それを一枚剥いだ内側だけが火を噴くように熱い。頭皮の汗腺が全開したらしい、滝のような汗が伝い落ちてくる。頬を伝った汗は顎の先で一旦溜まると、一塊になっては乾いたベッドシーツの上に落下した。部屋の中の空気が薄く感じる。ここが潜水艦にある一室でも、ここまで呼吸がしづらいわけがなかった。どれだけ深く呼吸をしても、肺に空気が満ち足りない。空気の中で溺れそうだった。
 棘のある声で、聞いてんのかゾロ屋、とローが言うので、ゾロは重い瞼を片手で撫でながら、あぁと応えた。応えたものの、思考は限界だった。喉が乾く。トラ男、お前の部屋暑くないか、と言いかけたが、ローはゾロが話しかけたことすら気づいていないのか、重ねて「ゾロ屋」と名前を呼んだ。
「あぁ? なんだ」 
 重い瞼を持ち上げると、ゾロと同じく、頭から水を被ったような面を晒したローの顔があった。帽子は脱ぎ捨ててすでになく、短い毛が汗で額に張り付いている。いつもは影になって見えにくい金色の目は、水を張ったように潤んでいる。ローが浅く息を吐く。その寸前、薄い唇を舐めた舌に目がいった。頭がどうかしているとしか思えない。あれにしゃぶりつきたい。 
「おれは今からバカなことを口にするがいいか」
「…好きにしやがれ」
「ゾロ屋。てめェ、おれに薬を盛りやがったな」 
 ローが低く断定した。ゾロはハ、と鼻で笑った。 
「…薬は全部燃やして一錠も残ってねェんだろ」 
 お前が言ったんだろうが、とゾロは続けたが、果たしてそれは声に出ただろうか。いつの間にか、二人の手のひらはシーツの上で重なっていた。同じ熱を湛えた皮膚は、重なったところからどろりと融けて混ざる。もう脳みそは欲のことしか考えられない。互いの皮膚を遠ざけている布が邪魔だ、互いを別個体としている皮膚が邪魔だ、全て剥いで一つの肉になれたら。欲を求めた思考が、極めて手っ取り早い快楽へと直結していく。頭の中身全てが、強烈な一色で塗りつぶされる。
「おれは他人が作った怪しい薬を飲む趣味はねェが、同じ成分の薬を再現することはできる」 
「へぇ。天才だなァ元七武海」 
「おれが遊びで作った薬があると誰に聞いた」 
 知るかと思った。聞いたくせにどうせローは答えを欲していない。もはやこうなったら過程への疑問など瑣末なことだった。この結末こそが、今の二人にとって目下もっとも重要であった。だから、ゾロもまた、眼前にある仄暗い瞳の内側を覗き込むようにして言ってやった。
「じゃあおれも聞いてやる。なぜおれにその薬を盛ったんだ、トラ男」 
 言葉を下に乗せて発したと同時、重ねられていた手を掴んで引っ張った。それほど力を込めなかったはずなのに、ローの身体はそうすることが当然のようにゾロの上へとのし掛かってきた。勢いに逆らわずにベッドへ倒れ込む。シーツに染みついた男の体臭と香水が、鼻腔に直撃した。嗅覚から得た情報が、鋭敏になった神経を容赦なく逆なでする。耳の中が総毛立つ。
 鼻と鼻がぶつかり合い、目について仕方のなかった唇がゾロのそれと乱暴に重ねられた。鼓膜が心臓と同じ速さで打っている。腰が重くなる。なりふりなどかまっていられなかった。強請るように開けた口内に、ローの熱い舌が侵入してくる。舌の付け根から先まで絶え間なく唾液が湧いて出た。目の裏が高速で明滅している。
 僅かの隙間を埋めたくて、両腕を伸ばして首に抱きついた。太い首には玉のような汗が浮かんでいる。ローもまた、大きな手のひらでゾロの後頭部をがむしゃらに撫で回した。文字が刻まれた指の先が首筋をかすめただけで、震えるような快楽が背筋を伝って腰まで走った。その暴力性に、思わず片目を顰める。バカ野郎が、と唇を触れさせたまま毒づくと、ローはゾロの下唇を前歯で甘噛みしながら、てめェに言われたくねぇ、と吐き捨てた。 
「どうすんだ、これ」 
「知るか」 
「てめェ、自分が今どんな顔してるかわかってんのか」 
「もっと知るか」 
 ローの指がゾロの服を忙しなくたくし上げる。ゾロはローのシャツを剥ぎ取った。気持ちばかりが急く。二人が絡れながらベッドの真ん中へと到達したときには、二人はズボンのボタンを外し終わっていた。『どうする』も何もない。『知るか』も何もない。舌の先に吸い付いて唾液をじゅっと吸い上げると、ローが唇を僅かに離してクソッと小さく呟いてから喚いた。 
「どうにかなるほど気持ちいいじゃねェか、おれは天才か!」 
 笑えねェんだよバカが、と思ったが、まともに思考できたのはそこまでだった。あとで聞いたらローもそうだったらしい。互いにまともな思考じゃない頭で、二、三言気が狂ったような妄言を吐いた気がしたが覚えていないことにした。多分、きっと。 

 忘れない。
 ずっと覚えている。

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