DEATHtiny? - デプ/ウル
「チャーリーズ・エンジェル観た? 新しいやつ」
「知らん」
爪先を柔く握られる、その加減が妙に歯がゆく、座った椅子にもう一度腰かけ直す。手首から上は動いても、掴まれた左手の人差し指は解放されない。身の置き所のなさに爪先以外の全身を持て余して、ローガンはまた椅子の上で小さく身を捩った。
事のはじまりはウェイドの思いつきだった。それまでなんとなくテーブルで向かい合って何とはなしに話をしていただけの時間を過ごしていたはずが、ふとウェイドが立ち上がり、そしてテーブルの上に肘をつかされ、爪を切られた。未だかつて人に任せたことのない日常の些事を他人が施してくれようとするのは、どこか恐ろしく、また面映ゆさが先にたつものだとローガンはこのとき身を以て知った。一方のウェイドといえば、ローガンの座わりの悪さなど知らず、慣れた手つきでやすりで乾いた爪先をくすぐって、楽し気に話を続けている。
「冒頭が最高なんだよ。爪をピンクに塗ったクリステンの正面から始まんの、ジョニーって間抜けを口説いてるシーン。口説いてるっていうか、話に付き合ってやってるだけなんだけど……ジョニーはナイス・プールとまあ仲良くやれんだろうな。いや、逆にいかにも過ぎて合わないのか? わかんないけど。とにかくそのクリステンの爪がスゲーかわいくて、蛍光ピンクが画面の中でかなり効いてるわけ。ちょっと短すぎるくらいにきっちり整った爪がさ、完全にジョニーに対して『アウトオブ眼中』って看板下げてんの。あれは超笑えた。ついでにマジでかわいいから、俺あのあとしばらく爪いつもより短くして蛍光カラー塗ってたな。あの頃は比較的気分が良かったかも。……まあとにかく、あの時は思ったんだ。短く整えた爪こそセクシーって」
やすりをかけ終えた人差し指が、爪先の白く削りだされた粉を拭われて、ウェイドの手から解放される。「もういい」そう言おうと思っていた隙間に、ローガンはウェイドの爪を見つめることに割いて、中指が取り上げられる。ざらつくやすりの表面が、ローガンの爪の角を丸く削りおろしていく。
「今も短くしてるだろ、お前は」
「そうね~……あんなアイコニックな感じまでではないけど。仕事柄、短くしといて損はないでしょ。ついでに、人付き合いでも?」
「俺はアウトオブ眼中か」
やすりの音が、絶え間なく続く。カーブを描いて丸く整った爪先を、ウェイドの指が撫でる。
「ハハ、まさか。アンタのためだけに用意した10本指だよ」
薬指が取り上げられる。指の付け根を持ち上げた手が、関節をなぞって指先を捕らえて、爪先をひと撫でした。
ローガンは静止せず、おとなしく取り上げられるまま、削られるまま、ウェイドの施す儀式のようなそれらを享受した。
やすりの音だけが二人の間で揺れて、粉になり、積もっていく。しばし続いたその時間に、ふと、息を含んだ声が降り落ちた。ローガンが爪先から視線を上げると、やはり手を注視したままのウェイドが口端に笑みを浮かべていた。
「なんだ」
「いや、なんか笑えてきて………こんな、時間をかけてアンタの古ぼけた爪を綺麗にしてやってるけど、まだ六本、長くてぶっとくて立派に整った世界一セクシーな爪があったなって」
言われて、ローガンは自身の手の甲を見た。
「それが今、俺の心臓の正面にある」
たしかにこのまま拳を握って突き出せば、ローガンの長く鋭い爪のうちのひとつは、ウェイドの心臓を射止めるだろう位置にあった。やすりを動かす手を止めないまま、ウェイドは続ける。
「まっすぐ正面切ってぶち抜かれて、俺はあの世行き」
「死なないくせに」
「死ぬんだよ、俺はあんたの爪に貫かれて死ぬの。なんやかんやで袂を分かった俺たちが、ついに最終決戦、抜き差しならない本気の殺し合いの末、お前が俺の正面を捉える。SNIKT! 好機を逃さずアンタは俺を貫いて、なぜかその瞬間に俺の全細胞は回復を諦めて、バッタリ。ジ・エンド。ロマンチックだろ?」
「そういうもんか」
「そういうもんなの」
まるで子どもに寝物語を聞かせるような口調で、ウェイドは言った。そして薬指を手放し、最後の指を取り上げる。やすりが二、三往復したところで、ローガンは口を開いた。
「それならお前のために整えておかないとな」
「VIP待遇だね。いらない、俺はアンタの運命じゃない」
実際、長く鋭い爪はウェイドの心の臓をうまく捉えた。
「いってえ! クソ!」ウェイドが吐き捨てると同時に、口から溢れた血がローガンの手の甲に垂れる。肺か食道も一緒に貫いたせいか、垂れ落ちる血に鮮やかな赤が目立つ。
「お前の色で塗ってみた。ロマンチックだろ?」
蛍光カラーよりよほど目につく、生と死の色だ。
爪痕が回復するまでうずくまっていたウェイドは、みせびらかすように手の甲を突き出すローガンに呻きながら首を傾げ、血に喉を溺れさせながら「セクシーだよ」と零した。
「そういう性癖か? いいセラピスト紹介してやるよクソ野郎」
「その前にお返しだ、爪切りとやすりをよこせ」
「何? 俺ちゃんの爪整えてあげようって? ありがとう、気持ちだけで結構だよ。俺人に爪切られんの気持ち悪くて」
「───何だと?」
「痛ェ!! ああクソ、さっきっから何にキレてんだよ!」
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