軍師天鬼、利土を描く(7)

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 その夜、利吉はまたもや天鬼の私室に呼ばれた。
「利鬼」
「はい」
「少し話がある」
「またぷろっとですか?」
「……まあ、関係はある」
 天鬼の言い方で、利吉はだいたいのところを察した。またあの女中が何か言ったに違いない。昼間に釘を刺したばのかりのはずなのだが、どうやら効果はなかったらしい。
「今度は何を吹き込まれたんですか?」
「何も吹き込まれてはいない」
「そうですか」
 利吉は全く信じていない顔をして座った。
 天鬼は少し気分を害したが、ここで余計なことを言ってしまえば元も子もない。利鬼にはこれがプロットのシーン検証であることを知らせず、自然な反応を見なければならないのだから。そう考えて、天鬼は一度咳払いをした。
「この間、お前は懸想している相手がいると言ったな」
「……その話、まだ続くんですか」
「私によく似た男だと」
「言いましたね」
「そのことなのだが」
 天鬼は一度言葉を切った。
 女中には、自分が実際に感じたことをそのまま言えばいいと言われた。利鬼が他の男と近づくのは嫌だった。自分ではない男が好きだと聞いて面白くなかった。他の誰かではなく、自分に気持ちが向いていればいいと思った。
 そのまま言えばいい。──簡単なはずだった。
「……お前が」
「はい」
「他の男と親しくするのは、あまり面白くない」
 利吉は一瞬だけ目を瞬いた。しかし、すぐに何かを悟ったような顔になる。
「なるほど」
「何がだ」
「お題は嫉妬ですか」
「…………」
「ぷろっとで悩んでおられたでしょう? 土井半助が嫉妬した時、山田利吉がどう反応するか」
 天鬼は黙った。当たっている。確かに当たっているのだが、何故か利吉のその言い方が気に入らなかった。
「それで私に実演をさせようと」
「実演ではない」
「あの女中に何か言われたのでしょう」
「言われたが──」
「やっぱり」
 利吉はため息をついた。
「天鬼殿。あまり真に受けない方がいいですよ。あの女中は面白がっているところがあるようですから」
「これは私が実際に思ったことだ」
「はいはい」
「はいはい、ではない」
 言い募った天鬼に、利吉は少し意外そうに顔を上げた。天鬼は眉間に皺を寄せて続ける。
「お前が他の者とああいうことをするのは嫌だった。お前に懸想している相手がいると聞いた時も、気になった」
「もう分かりましたから」
「分かっていないだろう」
「分かっていますよ。土井半助として考えればいいんでしょう?」
「違うと言っている」
 思わず声が強くなった。利吉が黙り込み、天鬼自身も少し驚いた。何故これほどまでに腹が立つのか分からない。

 もともとは利土のプロットを進めるためだった。利鬼に自分の感情を伝え、その反応を山田利吉の心理の参考にする。ただそれだけのはずだった。それなのに、こうして何を言ってもプロットのためだろうと受け流されると、妙に腹立たしくて、悔しさすら感じられてくる。
「……私は」
 天鬼は言葉を探した。
「お前が誰を好きだろうと、関係ないと思っていた」
「…………」
「だが、お前が好きなのが私ではないのだと聞いた時、面白くなかった」
 利吉の表情から、少しずつ軽さが消えていく。
「他の者に向いているのは気にくわない。私に向いていればいいと思った。土井半助がどうとか山田利吉がどうとかは関係ない。私自身がそう思ったんだ」
「……天鬼殿」
「それなのに、お前はさっきから何だ。女中に言われたからだの、ぷろっとだの」
「いや、それは……」
「確かにきっかけはそうだ。だが、思ってもいないことを言っているわけではない」
 天鬼はそこで口を閉じた。胸のあたりが妙に重かった。自分は腹が立っているのだと思っていた。けれどもそれだけではない。真面目に話しているのに、利鬼には最初から冗談のようにあしらわれる。それが思った以上に堪えている。
「……もういい」
 天鬼は視線を落とした。
「天鬼殿?」
「お前がそう思うなら、この話はやめる」
 自分でも、何の話をやめると言い出したのかよく分からなかった。ただ、これ以上何かを言ってまた軽く流されるのが嫌だった。天鬼は手元の紙に目を落としたまま黙り込んだ。そこには確かにプロットが書かれている。土井半助はどう思うのだろう。自分が不愉快に思ったことを伝えても山田利吉に軽く扱われたら。その心情を想像すると、何故だか余計に情けないような気持ちになった。
 天鬼のその横顔を見て、利吉は自分の鼓動が速くなるのを感じた。この表情は先ほどまでの苛立った顔とは違う。天鬼はほんの少しだけ、傷ついているように見える。
 ──まさか。
 利吉は息を呑んだ。
 先ほど天鬼が言っていたことは、あくまでも利土の資料作りのためのものだと思っていた。本人があまりにも真面目に二次創作とやらを作っているせいで、何を言われてもそれに連なるものだと片づける方が楽だったのだ。だってそうでなければ、期待してしまう。利吉は天鬼の顔を覗き込んだ。
「……天鬼殿」
「何だ」
 天鬼は顔を上げない。利吉は少し迷ってから、慎重に尋ねた。
「もしかして、本気で言ってらっしゃるんですか」
「だから、さっきからそう言っている」
「ぷろっとのためではなく?」
「ぷろっとの参考にはする」
「するんですね」
「使えるものは使えと女中が言った」
 そこは使うらしい。
 利吉は一瞬だけ脱力したが、それでも今度は軽く考えなかった。
「では……私が他の誰かを好きなのが、嫌だと」
「……嫌だ」
「私が他の者と親しくするのも?」
「ああ」
「私が天鬼殿を好きなら、その方がいいと?」
「そうだ」
 天鬼は今度こそはっきりと答えた。利吉は先ほどとは別の意味で黙った。これは資料用ではない。少なくとも、全部が原稿のためというわけではない。そう理解した途端、今までどうにか押さえ込んでいた鼓動が、一気にうるさく鳴り始めた。
「…………」
「何だ」
「いえ……」
 利吉は何か言いかけ、口を閉じてはまた開こうとした。聞いていいものか迷う。けれどもここまで言われて聞かずに済ませることもできなかった。
「それはその……何か……」
「何だ」
「私のことを、好きだと仰っているように聞こえるんですが……」
「…………」
 思いもかけないことを言われたとでも言うように、天鬼はきょとんとした。利吉は黙ってその顔を見返す。しばしの沈黙の後、天鬼の頬がじわりと赤くなった。
「…………」
 ──なんだこれ。
 利吉は思った。
 目の前の男が、見る見るうちに赤くなっていく。さっきまで他の男を見るのが嫌だ、好意が自分に向いていればいいなどとあれほど堂々と言っていたくせに、利吉が一言でまとめただけで、今さら何をそんなに動揺しているのか。
 一方、天鬼も思っていた。
 ──なんだこれは。
 自分が何を言おうとしているのかはきちんと分かっていたはずだった。女中にもそんなことを言えば自分が利鬼に懸想しているように聞こえるかもしれないだろうと言ったほどだ。理解して、その上で相手の本音を引き出すには自分の感情として伝えた方がよいと判断した。何もかも承知の上の筈だった。それなのに。
『私のことを、好きだと仰っているように聞こえるんですが』
 改めて利鬼本人からそう言われると、どう言うことだ、とてつもなく恥ずかしい。
「……いや、」
 天鬼は思わず視線を逸らした。利鬼の顔が思いがけず近くにある。整った顔をしていると今更のように思う間もなく、その顔が更に近付いて答えを迫ってくる。
「違うんですか……?」
「そういうことではなく」
「では、どういうことなんですか?」
「少し待て」
 天鬼は片手で口元を覆った。
「天鬼殿」
「だから待て。今考えている」
「何をです?」
「状況を整理している」
「そんな軍議みたいに」
「軍議より難しい。敵なら斬れば済む」
 利吉は思わず少し笑った。少しだけいつもの調子が戻ったことで天鬼も息をつく。けれども頬の熱は引かない。これはまずい、と天鬼は思った。
 そもそもの目的は、土井半助の感情を自分自身の言葉として利鬼に投げ、そこで返ってくる反応を山田利吉の心理の参考にすることだった。ところが実際にやってみればどうだろう。利鬼の反応を観察するどころか、自分の方が動揺してしまっている。
「……策に溺れていないか、これは……」
「はい?」
「いや」
 天鬼は眉間を押さえた。
 抜き打ちの実戦演習には、仕掛けられた側が場数を踏むことで不測の事態にも対処できるようになるという利点がある。とはいえ演習を仕掛けた側が真っ先に混乱することまでは想定した覚えがない。天鬼が相変わらず何も言えずにいると、なんとも言えない利吉の声が追ってかかる。
「……天鬼殿」
「何だ」
「もしかして、本当に今初めて気づいたんですか?」
「何にだ」
「ですから……」
 利吉も言いづらそうに一度目を逸らした。
「ご自分が、私を好きなのかもしれないということに」
「…………」
 また直球が来た。
 好きというのは、随分と単純な言葉だ。利鬼が他の男と親密になるのは嫌だ。自分ではない誰かに懸想していると知れば面白くない。できればその気持ちは自分に向いていてほしい。顔を見て赤くなるのも、その後目を逸らすのも、全部自分に対してだけであればいいと思う。
 それらを一つずつ並べている時には、他人事のような気がしていた。それこそ物語の一節や盤面の要素の一部のように。なのにこうして利鬼本人からこんな間近く指摘されると、それが自分事なのだと理解してしまう。天鬼は困ったように利吉を見返して、どこか途方に暮れたように問いかけた。
「……そう、なのか?」
「私に訊かないでくださいよ」
「好きだのなんだのは、お前が言い出したのだろう」
「私にだって分かりませんよ。天鬼殿の気持ちなんて。ただ──」
 利吉はそこで一度言葉を切った。
「少なくとも、天鬼殿が先ほどから仰っていることだけ聞けば、そういうふうには聞こえます」
「…………」
 天鬼はまた赤くなった。
「……何故お前は平然としている」
「平然として見えます?」
 言われて改めて見ると、利吉の耳も赤かった。
「……赤いな」
「誰のせいですか」
「私か……」
「他に誰がいるんです」
 利吉はもう一度目を逸らした。天鬼も何となく正面から見られなくなり、二人の間に妙な沈黙が落ちた。
 実戦演習は完全に予定外の局面へ入っていたが、困ったことにこの先どう動けばよいのか、軍師である天鬼にもまるで分かっていなかった。


***


「はあ……」
 利吉は困っていた。
 好きだのなんだのの話をして以来、天鬼はどうやら自分の気持ちを多少は自覚したらしい。少なくとも利鬼が他の誰かを好きなのは面白くない、自分に向いていてほしいと思う、そのあたりについては否定しなくなった。どころか隠さなくなった。そこまではいい。
 問題は、その後である。
「──では、山田利吉はここでどう思うだろうか?」
「またですか」
「ぷろっとの参考にする」
「そうですか……」
 天鬼は気持ちを自覚したところで、二次創作をやめる気はまったくなかった様子だった。それどころか以前にも増して利吉の意見を聞きたがるようになったくらいだ。それ自体はまあ、いいのだが。
「土井半助にそう言われたら、まあ、嬉しいんじゃないですか」
「…………」
「何ですか、その顔は」
「別に」
「別にという顔ではありませんけど」
「土井半助に言われたら嬉しいのか」
「今、山田利吉として答えろと仰ったのは天鬼殿でしょう?」
「そうだが……」
 天鬼は納得していない顔をしている。最近はいつもこうだ。プロット上の土井半助に対する山田利吉の気持ちについて利吉が真面目に答えると、今度は天鬼が不機嫌になるということがもはやパターン化しつつある。山田利吉として答えろと言われたから答えているのに、その山田利吉が土井半助に懸想していることに今度は天鬼が嫉妬している。一体なんだこれは。利吉は嬉しさ半分、困惑半分で額を押さえた。
「天鬼殿」
「何だ」
「確認しますけど、これは利土の話ですよね?」
「そうだ」
「山田利吉は土井半助が好き」
「そういう設定だ」
「なら、私が山田利吉として答えれば、土井半助への好意が出るのは当然ですよね」
「分かっている」
「では何故そんなに嫌そうな顔をするんです」
 天鬼はしばらく黙った。
「お前が土井半助のことを好きだという前提で話すのが、気にくわない」
「ではどうしろと? 何ですか。『天鬼殿に言われたら嬉しいです』とでも答えればいいんですか」
「それは……」
 天鬼の頬が少し赤くなった。また新しい反応である。
「それはそれで……参考になる」
「何の参考なんです」
「利土の」
「いやいや」
 利吉はもう一度ため息をついた。
 天鬼は自分から言い出しておいて、山田利吉役の自分が土井半助に気持ちを向けると嫉妬する。しかもそれが嫉妬だと分かっているくせにやめない。利吉はむすっと原稿を睨んでいる天鬼の横顔を見た。表面上は呆れたふうに装っているが、実際のところは利吉の方こそ赤くなりそうになるのを耐える日々だった。
(……お兄ちゃん、こんなにやきもち焼きだったんだ)
 そう思うと、胸の奥が妙にくすぐったくなる。
 記憶を失う前の土井は、利吉にこんな顔など見せたことがなかった。あの人はいつも穏やかで年上らしく、兄のようにこちらを見ている人だった。少なくとも利吉が誰と話していようと不機嫌になるような人ではなかった。
 それが今はどうだ。正直に言えば、可愛すぎなのでは?
 思わずニヤけそうになり、利吉は顔を背けた。もはや忍失格などというレベルではない。
「……何だ」
「何でもありません」
「今、笑っただろう」
「笑ってません」
「口元が緩んでいる」
「気のせいですよ」
「何がおかしい」
「何も」
 天鬼が訝しげに覗き込んでくる。近い。利吉はますます表情を保つのに苦労した。
「……天鬼殿」
「何だ」
「もうお答えしたので、次の質問をどうぞ」
「……何故急に機嫌がよくなるんだ」
「何でもありませんってば」
 本当に困っている。困っているのだが嫌ではない。それどころかこの面倒くささを嬉しいと思っている自分の方が、よほど困ったものかもしれない。



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