ひみつのあか(Ifいおマチ)
「んじゃおろすね?」
「えぇ、ありがとう」
時刻はもう月がマンションから見えないくらいに傾き始めていた頃。
伊織はその背におぶっていたマチ子を彼女のベッドへそっとおろした。その右足のくるぶし辺りは薄らと赤くなっていることに気付いた伊織は少し眉根を寄せたが、マチ子はそっとその赤みに手を添えると小さく笑った。
「大丈夫!? 痛くなってない!?」
「だいじょうぶよ、心配性なんだから」
事態はマチ子がショーパブの仕事の帰り道、客として見に来ていた伊織と帰路についていた頃に起きたことだった。事態といっても、マチ子からするとなんてこともない。履いていたハイヒールのパンプスが何の拍子もなく突然折れてしまい少しだけ捻っただけだった。何かに躓いたわけでもなく突然折れたことに関しては流石にマチ子自身も驚いたが、彼女はその持ち前の体幹ゆえに大きくよろけて転ぶこともなかった。それこそ隣を歩いていた突然よろめいた伊織の方が大慌てしたくらいだ。とはいえ時刻は丑三つ時を回った頃、代わりの靴なんて買える訳もなく、パンプスをそのまま履き続けるわけにもいかず。いっそ裸足で、と思った時には伊織は既にマチ子の前にしゃがみこんでその背を見せていた。そしてそのままその背に身を委ねて、今。マチ子は伊織を自室に招く形となった。
「でも足はマチ子ちゃんの商売道具みたいなもんでしょ!?」
「そうよ、だからだいじょうぶ」
にこ、とほんのりの笑みを浮かべて見せると、伊織は心配そうに眉根を寄せたままその場に屈んでマチ子の右足に手を伸ばす。あまりにも自然な仕草で暗に赤みを隠すように添えていたマチ子の手を退けると、その踵を掌で包むように支えてじっと赤みに視線を向ける。普段賑やかに口を動かす伊織に慣れ切っているマチ子は、真摯な目付きで本当に大丈夫なのかと確認するように見据える伊織の視線にぴり、とした何かを感じた。くすぐったさのような、くすぐったいというには熱を持っているような。ただこの伊織の目は本当に心配そのものから来ているものだ、と重々分かっているつもりのマチ子は、小さく息を吐いてからきゅう、とつま先を丸めた。
「ほら、とくに腫れてもいないでしょう?」
「んー…ほんとだ」
だからくすぐったいで誤魔化せる内にその手を離して欲しい。
そんな風に思ってしまっているマチ子の心情なんて全く気付いていないのか、もしかしてその逆で、全て察した上なのか。伊織の手は離れるどころか、くっと力が篭った。
その意図が掴めないマチ子は表情にこそ出ていないがどくん、と心臓が大きく跳ねた。力が篭ったことで更に手の感触が明確になったような気がしてならない。マチ子はその身体自体が商売道具。体幹もそうだが、感触の感覚そのものも研ぎ澄まされている。それがまさかダンサーの技術以外で発揮されるだなんて思いもしなかった。
「痛くないんだーって分かって安心したけど!」
「……?」
「だからこそ…は良くないって分かってるんだけど! …こんな赤い痕はもやっとするね」
伊織は不満げな様子を隠さず言葉を言い切ると、マチ子の言葉を待たずにその赤に唇を寄せた。
わざとらしくちゅっ、と大袈裟にリップ音を立てる様子に伊織の不満が垣間見える。突然の伊織の言動にマチ子は目を丸くさせるが、その間も伊織の言葉は止まらない。
「だってさあ!俺はマチ子ちゃんのお仕事もあるし痕つけちゃダメだって我慢してんのに!」
ぷんすこ!と頬を膨らませながら捲し立てるように言葉を並べる伊織を、マチ子は珍しくぽかん、と呆けた様子で見つめた。伊織がそんな風に考えていてくれたなんて、初めて知ったから。思えば、確かに今まで身体を重ねた際も肌に吸いつくことはあってもそこが痕になる、なんてことはなかった。もしくはその場では薄ら赤らんだところで一度眠れば綺麗に元通りの二択で。その言葉をそのまま受け取ると伊織なりの配慮だったのだろう。彼に愛されている心の結びつきそのものがマチ子に充分な満足感を与えてくれていることもあって気にしたこともなかった。でも、彼がそれを望んでくれているのならば。赤い痕1つで、更に深い愛情を確かめ合えるなら。応えたいと思った。何なら自身の仕事のことなんてかなぐり捨てたって構わないくらいに。
「…どうしてがまんするの?」
「……へっ?」
「いおりがつけたいって思ってるなら、つけてほしいのだけど」
するりと出た言葉は、本心だった。今度は伊織が目をまんまるくさせたのは言うまでもなく、その驚きが隠し切れず先行している表情にマチ子は笑みを深めた。驚きの余りマチ子の踵を支える手の力が緩まっていることを察するとその隙にマチ子は右足をすっと引っ込めてその手から逃れ、代わりに上半身を屈んだままの伊織に寄せて音もなくその唇に自身の唇を重ねる。最初は一瞬啄むように、そして二度目は押さえつけるように。
「…たしかに、消えちゃうのはすこしさみしいわね」
マチ子は唇を離し、事態の流れが追い付いていないのだろう伊織をさておいてマチ子のルージュが少しだけうつった唇を親指でなぞった。少し擦ると取れてしまうそれを意識的に見て初めて、伊織の言葉の意味を、痕をつけたいという心理を理解出来た気がする。それをそのまま伝えようとした所で、マチ子の視界は反転した。
「ずっ…るくない!?」
「……? どうして?」
「無自覚!もー!!なんでそんな可愛いことしちゃうかなぁ!?」
マチ子をそのベッドに沈ませた伊織は覆いかぶさるように体勢を作ると、そのまま勢い任せにマチ子の首元に顔を埋める。そのままその首筋に唇を当てたところで―――ぴた、と動きを止めた。てっきりそのまま痕を付けてくれるのだろうと思っていたマチ子は、途端に止まった伊織の動きを訝し気に見遣る。どうしたの、なんて声を掛けようとしたがその前に伊織はガバッと顔を上げ、マチ子と視線を絡めた。
「理性!!」
「なにを言ってるの?」
「やっぱり首は駄目だろって俺の中の天使が殴ってきた!!」
「……つけてくれないの?」
そのまま勢い任せにつけてくれて良かったのに、そう言いたげにしゅんと眉根を寄せて見せたマチ子に伊織はうぐっと言葉を詰まらせて、絞り出したような声で“可愛いぃ……”と呟いた。そのままマチ子の眉根をほぐすように口づけると、伊織は少しだけ困ったように笑った。
伊織は可愛いマチ子が好きだ。それと同じくらい、あのショーパブで華麗に舞う綺麗なマチ子も好きだった。綺麗、というとマチ子は少し拗ねるところも含めて、綺麗なマチ子が好きだ。だが、可愛いマチ子は伊織のものでもショーパブで踊る綺麗なマチ子は、あのショーパブの客みんなのものだ。綺麗なマチ子は言ってしまえば商品そのもので、彼らの落とすお金でマチ子は生きているのだから。痕1つでマチ子の商品価値が下がるなんて伊織は思っていないが、伊織はあの世界を深くは知らない。いくらマチ子自身が構わないと言ったところで、万が一、万が一何かの悪影響が及ぼされてしまったら。まぁ全然俺が養うんだけど、と思う伊織もいるにはいたのだが、どうせならもっとハッピーにロマンチックに幸せにその道は選びたい。
だから、見えない所につければいいのだと殴ってきた天使がその面を剥いで囁いてきた。
「うん!“首は”ね」
「……?」
その言葉を理解しきる前に、伊織は至極楽しそうに浮かべながらマチ子の足の間に身体を滑り込ませる。そのまま少し身を屈め、左足を抱えてきた所で、マチ子の理解は追い付いた。
「んん…どのくらいなら見えない?」
太ももにかかる伊織の息がくすぐったくて、マチ子は思わずぴく、と身体を震えさせた。まるでめがける場所を探るように、膝から内腿にそって唇を滑らせていく。勿論伊織自身も何度か衣装姿のマチ子を見ているのだから、大体の見当はついているのだが、マチ子に問いかけてくるところが今は少し意地悪なようにマチ子は感じた。空いている手で器用にタイトスカートのホックを外しているのだからタチが悪い。
「…もう少し、上がいいわ」
「おっけー、上ね!」
日頃の会話と変わらないテンションで笑って見せる伊織だが、今のマチ子にとっては拷問に近い時間だった。笑い声と共にかかる息がマチ子の太ももだけでなく、もっと上、秘められた部分にも掛かってくるから。先ほどの足首へ向けられた視線のくすぐったさなんて序の口で、明らかに熱を持っていくのを感じると、少しずつ上がっていく唇の感触がもどかしくて仕方が無くなってくる。マチ子はどうにか手を伸ばして伊織の頬に手を添えると、そのまま太ももの付け根部分に誘導するように滑らせていく。
「……ここ、」
「ん、ここね、」
数回食むように唇を這わせると、は、とマチ子は小さく息を吐いた。自身の胸にかかった熱でその吐息に熱が篭っていることを自覚させられると、伊織の纏う何時も通りに近い空気感との温度差に少しだけ気恥ずかしくなった。
「いおり、……はやく、」
マチ子がそう零した瞬間、ジュッ、と音を立てながら伊織はマチ子の指すその場所へ思い切り吸い付いた。びくびく、と背筋を何かが這うような感覚に陥ったマチ子が身体を丸めたことに気付いた伊織は満足げに上半身を起こして、吸い付いたその場所を指でなぞる。
「わー、くっきり!」
部屋、明るくて良かった、なんて。そもそも此処に運んできた最初の切っ掛けはマチ子の足のケガの懸念からだったのだから黙っておいた。いつも堂々と背筋を伸ばし美しい姿勢で立つマチ子とは思えないくらいにふにゃりと弛緩させた様子に愛おしさが零れてくると伊織はそのままぎゅうっとマチ子を抱きしめた。マチ子もその首に腕を回してゆるく抱き返す。
「…ついたのかしら?」
「うん、俺しか見れない場所にばっちり!」
ぽんぽん、とマチ子の背を緩く撫でてからマチ子の表情を伺おうと覗き込んだ。そしてふは、と息を零すように笑った。
「マチ子ちゃんの可愛い顔と同じくらい、真っ赤についたよ」
でも今までの我慢じゃ1個じゃたりないな、って言うのは、どこか嬉しそうに伊織の首元にすり寄る可愛いマチ子をもっと堪能してからにしようと心に決めながらもう一度抱き締めた。
(はっ!見えないならおっぱいでも良かったのでは…!?)
(…もう、言い方)
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