2023/10/22 サーモンのタルタル
のちに、冷凍運送の父と呼ばれることとなる人物の始まりの物語である。
――刺し身が食いたい。
マゼルが魔王を倒した後、日々残務処理に追われる中でふと思った。こういうことは珍しくない。ようやくナレ死回避が確定した後、湧き上がる「あれ食べたい病」と俺が名付けている衝動。自分もやっぱり元日本人なんだなぁ。と、どこか感心するとともに、どれだけ今までの俺は生存に極振りしていたんだと、自分の余裕のなさにちょっとあきれる。いや、そうでもしなければ平凡なモブが周囲も併せて生き残ることなんて無理だったんだけどさ。
さて、それはそうとしてこの「刺し身が食いたい」は割と定期的に湧き上がる衝動だ。なにしろ王都だと魚自体が希少だしな。いや、貴族の俺は月に何度か食卓に上るものの、味が、なぁ、こう、「コレジャナイ」と言うかなんというか。
そんな贅沢な悩みを抱えつつ、書類を捌きながらも頭の片隅でどうやったら新鮮な魚が食えるかを考える。一部の貴族にはお抱えの魔術師に水ごと凍らせて運ばせている話は聞いたことがあるが、コストがかかりすぎる。溶けかけるたびにかけ直す必要があるので、その間ずっと魔術師を拘束することになるからだ。
もっと手軽に、冷凍庫作れねぇかなぁ。いや、冷蔵庫の仕組み自体はそう難しいものではないはずだ。たしか、気化熱と凝縮熱を利用していたはず。が、さすがにこの仕組みはわからんので、原初の冷蔵庫――要するに氷蔵で、上にでかい氷を入れてそれで冷やしていたわけだし。これを氷の魔石で代替できないか? 大きめの氷の魔石を取り寄せて、リリーに冷蔵庫の絵を描いてもらって――。氷の魔石は寒い地方に出る魔物からしかドロップしない。つまり高いのだが、子爵の褒章がある俺ならギリ買える。だろう。
そんなことを考えながら書類をさばき切り、屋敷に帰った。
数日後、氷の魔石の購入の件で王太子殿下に呼び出されました。いや、魔王が討伐されあたとに大きな魔石を求めるってたしかに不穏な動きと思われてもしょうがない。のか?
呼び出された部屋には殿下といつものお付きの方二名。他はなし。割とカジュアルな呼び出しだ。いや、殿下とワンツーマンがカジュアルかっつーと、まぁ、ハイ。
「それで、卿は今度はどんなゆか、ごほん、どのような秘策を考えている?」
愉快って言いかけました? ねぇ、今愉快って言おうとしましたよね? 殿下がそこそこユーモアを解する方だとは理解しているが、こうもあからさまに愉しまれている身としては、思わずジト目にもなるってものだ。まぁその程度は許されていると思いつつも、スッと顔を元に戻す。
「少しばかり輸送の面で案がありまして、その試作をしようかと思っております」
「ほう」
殿下の眼が細くなった。魔王が討伐され、王都の人口は徐々に増加傾向になる。まぁこれは前世でもあった話だ。命の危機を感じたことと、それが取り除かれた安ど感で子孫を残そうとする本能が高まるとかなんとか。
ただもともと王都にいた国民だけではなく、元難民もいるわけで、なかなかに油断できない状況なわけだ。加えて現在上層部が推し進めようとする中央集権化でも輸送の技術は重要視されるだろう。
「ただ、まだ思い付きの段階ですので、結果が出ましたらご報告させていただきます」
実際、まだ魔石すら手元に来てないからな。うまくいくにしろしないにしろ、試行錯誤の過程はまとめて報告しよう。そうすれば俺じゃない誰かがそれを見て発展させてくれるかもしれないし!
と、言ったんだが、何故か退出する俺の手にはこぶし大の氷の魔石がありました。どうしてこうなった???
いや、殿下の私物? を、お貸しいただいたんだが。いや、届くまで数か月待たなきゃいけないと思ってたからありがたいんだが。購入したヤツを返せばいいのか? 借用書と氷の魔石が入った箱を手によろよろと自分の執務室に戻る羽目になった。俺は美味しい刺し身が食べたかっただけなのに。
ちなみに、この世界に鮭がいることはゲーム知識で知っている。ザーロイス島国に向かう船でエンカウントする魔物で、『突撃サーモン』とかそんな名前の凶悪な顔をした魚だ。
そういや攻略本にあったコラムに「ザーロイス島国では年に一度、国独自の神事として男衆が海に出て突撃サーモンを狩り、神にささげた後に食べる風習がある。この神事で命を落とすものも少なくない」みたいな開発者の裏設定としての記述があったことを思い出す。
ザーロイス島国はゲーム内でいわゆる日本的な文化のある国だったので当時はそのことを不思議に思わなかったんだが、今思うともともと大陸の方も多神教だった残りなのかもしれないな。
なんてことを思いながら、リリーに描いてもらった仕様書を片手に職人や技術者とあーだこーだとやること数か月。何とか無事に冷蔵庫はできた。魔石のせいか冷蔵庫と冷凍庫の間ぐらいの冷たさなので何とも中途半端だし、サイズもかなりのものなのだが、この先は技術者に丸投げだ。何とか一般家庭に普及できるまでになってほしい。そうすれば夏場の食中毒も減るだろうしな。
ひとまず、傭兵ギルドとビアステッド商会に話を持っていって、海洋国家まで買い出しに行ってもらう。ちなみに、魚は凍らせてきてもらうことにしたし、魚の他にも野菜や肉なんかも買って入れてもらうことにした。
で、旅すること二月ほど。魚はギリ解け切っていない感じで、傷んではいないが生はちょっと無理そうなレベルだったんだが、今までに比べればだいぶ鮮度がいいとのこと。途中で魔法をかけ直す必要もなく、腐ってないだけ上出来と言うレベルなので、もう少し出力を上げてから再挑戦したい。
野菜についてはこちらは冷やしすぎで、水気の多いものはシャーベット状になってしまった。意外と葉物は無事だったのでビアステッド氏の眼が爛々としていたことを付け加えておく。
一番の成果は肉とワインだ。運んでいる間に低温度での熟成が進んだのか、いつも食べているものよりも格段に旨い。
「ツェアフェルト子爵様」
「あぁ、ひとまず父上や王宮にあげてからになるが、俺としては仕様書は公開予定だ」
「ありがとうございます」
ビアステッド氏が深く頭を下げるのに、俺も鷹揚にうなずきを返す。父上にはまた呆れられるかもしれないが、秘匿するにはちょっと惜しい。あと早く改良もしてほしい。
俺個人としては魚が失敗したのが悲しいが、肉とワインの輸送に希望が見えたのは嬉しい。いや、肉自体は王都の冒険者や傭兵が狩っているので輸送する必要はあまりないのだが、別に輸送しなくても狩った肉をこの冷凍庫に入れて保存して熟成すればいいのだ。
「傭兵ギルトと冒険者ギルドも欲しがるだろうな」
今回護衛を引き受けてくれたゲッケさんが肉を切り分けながら言う。先のキラーラビットの乱獲時には肉の価格が暴落したしな。ギルド側で保存できるならそれを防ぐこともできるだろう。ちなみに今も一応は魔術師に氷を作ってもらって氷蔵はあるそうだ。うちの屋敷にもあるしな。
てなわけで、初めての輸送実験は一勝一敗みたいな結果で終わった。冷凍庫の仕様書は、案の定、親父にはため息をつかれつつも王宮に献上することの許可を貰った。王宮の方でも俺のやった実験結果をもとに無事に買い上げてもらいました! 今後、仕様書は王宮で公開、管理されることとなり、望めば一般的に購入できる。俺は購入された場合の使用料が毎月支払われるそうだ。特許使用料みたいなものだな。
ついでに殿下からお借りした氷の魔石は、冷蔵庫の献上の褒美としてそのまま俺の手元に残った。初めからそのつもりだったんだろうな。っていう手際のよさだった。おかげでツェアフェルトの屋敷にはでかい冷蔵庫が居座っている。料理長が大喜びなのでいいんだが。
「と言うわけで、リリーと技術者にも何割かはいるようにしたから。受け取ってね」
「は、はい」
分割したら大した金額にならないかもしれないけど、と言えば、恐縮したようにうなずくリリー。ちなみに技術者や職人は狂喜乱舞して改良を引き受けてくれた。やはり先立つものがないとなぁ。
そして出来れば早く刺し身が食いたい。俺は夕飯に出されたふっくらと焼き上げられたサーモンの香草焼きを切り分けながらそう願うのだった。
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タルタルは?
いや、ちょっと難しいかなって。こんなところに決着した。数年後には食べられるよ!
ちなみにタルタルは「生の素材を小さく切ったもの」と言う意味だそうです。
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