背表紙から覗く
「──おう。何だよ、オレに用ってのは」
談話室で、長椅子にややだらしなく腰掛けた直木三十五が言った。いつもと変わらぬ表情で、対面に立つ江戸川乱歩を見やる。乱歩は直木に向かって丁寧なお辞儀をして、安楽椅子へ身を沈めた。
「お時間をとらせて申し訳ございません。アナタとは一度お話せねばと、そう思いまして」
「何の話だよ? 映画の脚本でも書いてやろうって気になったか?」
「いえ、それはまたいずれ……司書さんについてです」
直木が眉を寄せる。
「アイツがなんだよ」
「いえね。ワタクシ、最近少しばかり、司書さんと親しくさせて頂くようになりまして。ある方の視線が、少々気になるな、と」
「腹の探り合いは性に合わねえんだ、オレは」
「これはワタクシとしたことが、また失礼を」
乱歩は再び、慇懃に頭を下げた。
「つまりですね、直木さん。どうもアナタが、ワタクシに思うところがおありだという気がしてならないのです」
「……」
「何か言いたいことがおありでしたら、仰った方がよろしいですよ。特に、ワタクシのように腹に一物も二物もあるような人間には」
そう言って、乱歩は目を細めた。口元は相変わらず笑みの形をとっているが、その瞳の奥には直木の様子を慎重に洞察しようという鋭さがあった。対する直木は、表情ひとつ変えずに、じっと乱歩を見つめている。やがて、口を開いた。
「オマエ、アイツのことをどう思ってる?」
「おや、質問の意図がよくわかりませんね」
「わかってるだろ。オマエは、アイツのこと、どう思ってるんだ」
芥川龍之介が「侍」と評したこの男に、腹芸は通用しない──そう悟った乱歩は、小さく息を吐いた。
「そう警戒なさらずとも、司書さんを取って食おうというわけではありません。下心などございませんよ」
「オマエは胡散臭い奴だが、流石にそこまで思っちゃいねえよ。一応、身内でもあるしな」
「おや。意外と寛大なご評価、痛み入ります」
生前の2人は、「大衆文芸」という雑誌の同人であった頃から付き合いがあり、乱歩の著作を直木が映画化したり、直木が乱歩へ海外の探偵小説の翻訳を依頼したりなど、全く知らぬ仲ではない──とはいえ、特に親しいというわけでもなかった。
乱歩は困ったように眉を下げながら、しかしその表情には余裕が感じられる。直木は、ふんと鼻を鳴らした。
「司書さんは……そうですね。とても興味深い方です。あれほど純真で善良な方も、そういませんでしょう? それ故の危うさも感じます」
「オマエみたいな趣味の奴に目をつけられるからか?」
「これは手厳しい」
乱歩は首をすくめたが、冗談めかした直木の口調には悪意が感じられなかったので、特に気分は害さなかった。
「司書さんは、我々に対して必要以上に気を遣われているように思います。もっと気安く接して頂いてかまわないのですが……」
「アイツの性格を考えりゃ、無理だろ」
「そうでしょうか? 近頃は、随分とご自身のお気持ちを口になさることが多くなったような気がいたしますよ」
「……」
直木は口を噤み、意外そうな眼差しで乱歩をまじまじと見返した。
「直木さん? いかがなさいましたか」
「……いや。オマエ、意外とアイツのことちゃんと見てるんだな」
「今、ワタクシをお試しになったでしょう? 存外、お人が悪い」
乱歩は苦笑し、帽子の位置を直した。
「まあ、それはさておき……とにかく司書さんは、我々を尊重するあまり、ご自身の望みや考えを後回しにされているように思います」
「それは同感だ」
「ワタクシとしては、もう少し『欲』を出して頂きたいと思いまして」
「欲?」
乱歩は答えることなく、脚を組み替えた。
「……そういえば、アナタはあの方にとって、囲碁の師匠でいらっしゃるそうですね」
「別に、そんな大袈裟なもんじゃねえよ。だが、アイツはなかなか筋がいいぜ。最近は、おっと思うような筋で切り込んでくるようになった」
「囲碁は心理戦でもありますから。司書さんの中で、『勝ちたい』という気持ちが大きくなっているということでしょうね」
「……なるほどな」
直木は、乱歩が何を言わんとしているのかを悟ったようだった。がしがしと髪をかき回し、「あー、ったく」と呟く。
「回りくどい言い方しやがって。要は『なぎとにワガママを言ってほしい』って話だろ」
「ご明察です」
「オレも同じことを考えてたからな」
直木は、ニヤリと不敵に笑った。
「オレはつくづく疑問なんだよ。オマエは確かにここじゃ古株に入るが、普段なぎとと関わる時間はそんなに長くねえ。白秋さん……には及ぶはずもないが、後から来たオレより短いだろ」
「そういったことはあまり考えたことがありませんでしたが……フム、確かにそうかもしれません」
「にしちゃ、アイツにはかなり懐かれてるように見える。いったいどんな『トリック』を使ったんだよ?」
乱歩はまた苦笑して、「さあ? 少し手助けして差し上げただけですよ」と言ってはぐらかした。詳細を語る気はないらしいと察すると、直木は肩をすくめる。この食えない男を相手に問答を挑んだところで、答えが返ってくるかはわからない。
「司書さんはとてもお優しいお方です。良くも悪くも、我々の頼みを断るようなことはなさいません。ですから、あの方の望みを汲み取った時、『お願い』という形で押し切ってしまえばよろしい。方法はどうあれ、あの方の望みを叶えることに変わりはありませんから」
「オマエ、仮にも探偵小説書きだろ。もっと工夫を凝らすとか……そんな力技、ありなのかよ?」
直木は呆れたように肩をすくめてみせるが、特に反論もないようだった。
和仁と親しい者が、彼の望みを叶えようとする。そのうちに、和仁は「自分のために誰かが動くこと」に少しずつ慣れていく。そして「我儘を言っても許される」と思えるようになる──というのが、理想の筋書きだ。
「アナタの腕の見せどころですよ。あの方の歳相応の幼さを、引き出して頂きたい」
「歳相応、ねぇ。……なんとなく、オマエが美味しいとこを持っていきそうな感じがして、気に入らねえな」
「おやおや、ご不満ですか」
「なぎとの為になるなら文句はねえ……が、嫌がるアイツに無理強いするようなことだけは、絶対にするな」
「モチロンです。ワタクシが望むのは、司書さんが笑顔でいてくださること……それだけですよ」
優しい瞳で答えた乱歩の笑みに嘘はないと、直木は思った。
「……ま、信じてやるよ」
「ありがとうございます。アナタが目を光らせていらっしゃること、肝に銘じておきますよ」
共通の望みを持つ2人は結託した──といっても、共に何かを為そうというわけではなく、和仁の望みを叶えるべく、それぞれが手を尽くすものだ。
「しかし……北原さんや三木さんほどではありませんが、アナタも司書さんの庇護者たろうとなさっているように見えますね」
「別に、そんな大層なこと考えちゃいねえよ」
「おや、違いましたか」
「……まあ、あれだ」
直木らしくなく、言い淀む。乱歩は興味深そうに、言葉の続きを待った。
「オレは、アイツが可愛いんだよ」
ぶっきらぼうに見せかけた直木の声音は、常より少しだけ穏やかだった。そこに込められたものを感じ取った乱歩は、にっこりと微笑む。
「それはそれは、よいことを伺いました」
「なんだよ、その顔は」
「いえ、アナタとは良い関係が築けそうだと思いましてね。今後とも是非、よろしくお願いいたします」
「おい、なんでオマエによろしくされなきゃなんねえんだ!」
「まあまあ、そう言わず。仲良くやりましょうよ」
──喋りすぎた。
ニコニコと人当たりよく笑ってみせる乱歩を見て、直木は天井を仰ぐのだった。
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