靴下


家に帰ったら、部屋の中がファッションショーの会場になっていた。
真新しい子ども服の上下、靴下、真新しい靴が畳の上に置いてある。
見たことのない名前のブランドの服を、マネキンからそのまま剥いできたようなセットアップだ。
「靴、」
「あ、お父ちゃんおかえり!」
こちらに気付いた子どもがふたりの時は見せたことがない満面の笑顔になっているのに驚きながら、ただいま、と挨拶を返す。
普通の家なら、値の張るものを買ってもらうのは良くないことだ、と自分のことを棚に上げて子どもにくどくどと説教する場面なのだろうと思うが、どう考えても能天気な兄弟子の散財癖が元で起った話には違いなく、説教をするなら子どものいない場所でするに越したことはないのだった。
「あんな、これな、新しい靴下買ってもろたん。」
言葉少なだった子どもは、来たばかりの頃は遠慮がちにこちらをお父さんと呼んでいたのが、いつの間にかお父ちゃんになっていて、おかえりなさい、はただのおかえり、に変わっていた。笑う顔も増えた。
そうした変わりようが誰の影響かは明白で、ときどき言葉に詰まってしまう。
それにしても、なんでここまで揃っていて最初に靴下を見せてくるのかと思ったが、くるぶしのところに描かれた刺繡を見てなんとなく分かったような気がした。
普段物欲を見せない子どもがこれ欲しい、と言ったのをこれ幸いと、半年後には履けない靴下に合う靴、その靴に合う服と揃えて行ったに違いないのだ。春秋ものなら、半年後にギリギリ着られるかどうかというところで、今はセカンドショップとか言う大層な横文字の古着屋で買って来る以外の選択肢がないにも関わらず、気が付いたら新しい服が増えている。はっきり言って何にも考えてない兄弟子の顔を頭に思い浮かべながら、「草若兄さんか?」と尋ねた。
「お父ちゃん、当たり!」と子どもはまた笑った。
他に選択肢ないやろ、とも言い辛いので、とりあえず分かったような顔をして頷いた。
「僕にこっちの色が似合うと思うで、て草若ちゃんが言ってくれたん。そしたらなんや欲しなって。」
「そら良かったな。今夜は茗荷と卵の味噌汁やで。」と言って鼻を摘まんだ。
「後なあ、こういうのは、なんぼ買ったばっかりて言っても、靴屋の床で試し履きするやつもいてるから、畳の上に置くもんとちゃう。新聞紙とか、カレンダーの終わったヤツを下に敷いてから乗せんと。」と言って、赤い靴を取り上げて玄関に置いた。
あの人の選びそうな色、あるいは、あの人が好きそうだと思って子どもが選びそうな色だった。
「あ、これな、お父ちゃんに見せたり、て草若ちゃんが広げて置いてったんや。後のは学校に着てく分になるから、余所行きのこれだけ残して、着る前に一遍洗ってくるて、ちょっと前に出て行ったんや。洗濯して、隣に干したら戻って来るて。」
後の?
「まだ他にもあるんか?」
「うん。僕、こないだ背ぇ伸びたやろ。今日身体測定終わったとこやし、きっともう今の背丈では冬に着れなくなってる服があるやろなあ、て押し入れの服入れるケース出して来て身体に合わせてたとこに草若ちゃん帰って来てな、『お父ちゃんに言うたら、こないだみたいに適当に古着で安いの買うて来るやろうから、オレがなんぞペアルックに見えそうなカッコええのを選んだるで!』て手ぇ引っ張ってって梅田のデパート行って来てん。後な、草若ちゃんがお子様ランチ食べたいていうから僕、付き合ってあげたん。」
「そうか、偉かったな。」と言うと、はにかんだ子どもは、この上着も僕が選んだやつ、と手に取って笑った。
子どもの余所行きの衣装一式を眺めて、それなら洗ってない分だけでも一旦戻すかと思ったら値札が切られていた。あの兄弟子はこんなところばかりが妙に用意周到だった。
「僕の顔やと、お父ちゃんと似た服とか多分似合わんと思うし、ボタン取れてへん服ならなんでもええねんけどな。今日の草若ちゃん、なんでもええから気晴らししたいような顔してたから、そんなら好きにさせたげよ、と思って。」
「………。」
子どもっぽい大人と一緒にいると子どもの方が大人びてしまうのは自分の経験上よく分かる。
小さな頃の自分が顔を出して、お前も苦労してるな、と言い出しそうになった。一旦口を噤んで、たたきの上に置かれた靴を眺めると、前に買ったものより一回り大きく見える。
「靴は、ちゃんと今の足に合うヤツ買うたんか?」
僕の母親は、子どもには興味がないくせに、靴だけは安物を履かせることがないよう、季節ごとに靴屋に足を運んで、足裏のゴムの部分に厚みがあって、今の足のサイズにピッタリなものを誂えるようにしていた。
少しぶかぶかしたものを買いたくなるけど、それで姿勢が悪くなったり躓いたら元も子もないと、毎回ヒールのある細い靴を自分のために買いに行くついでのような顔をして、子どもではなく自分に言い聞かせるようにして言っていた。
「これな、買う前に草若ちゃんに履かせて貰ったから、ちゃんとぴったりやねんで。」
「そうか。」
子どもは、相槌のバリエーションのない僕のような親に、不満そうな顔ひとつ見せるでもない。靴を買ってもらったあの頃の僕は、今の子どものような顔をして見せたことがあっただろうか。
「シンデレラに出て来るおじさんみたいなことしたがるから、びっくりしたわ。ほんでもな、靴屋のお姉さんがな、素敵なお父さんやね、て褒めてくれてな。草若ちゃんめちゃめちゃ照れててびっくりした。オチコのおばさんの前でなくてもあんな風になるんやな、草若ちゃんて。」
「……。」
一瞬子どもに聞かせられないような考えが頭を過ぎっていったが、こればかりは、四六時中一緒にいる代償のようなもので諦めるしかない。
「そんでな、僕も草若ちゃんいつものピンクのシャツ似合うてるなあ、て思ってたから、なるほどなあ、て思って。次からそないして人褒めたらええんやな、て。デパート行くと、勉強になるなあ。」とそこまで言って、しゃべり過ぎたから喉乾いた、麦茶欲しい、と言って冷蔵庫から冷えたボトルをとりだしている。
一度始めたしゃべりがなかなか止まらないのも、草若兄さんそっくりになってきた。
喉が渇いたわけでもなかったが二人分のコップを出すと子どもが麦茶を注いだ。
それにしても、ピンクのシャツか。
「草若師匠、……兄さんの親も、ピンクのシャツが似合う人やった。」
「草若師匠て、草若ちゃんの前の草若師匠のこと?」
「そうや。」
「僕、写真見たことあるかも。草若ちゃんとあんま似てないよね?」こちらを見上げる子どもの目が、妙に切実な色を帯びている。
師匠と草若兄さんはあんま似てるとこなかったかもしれへんな、と言って欲しいのだろう。そう思っているのが、なんとなく分かった。
「草若兄さん、おかみさんとはちょっと似てるとこもあるけどな。」と言って、僕は子どもの頭に手を当てた。
僕も師匠の子どもになりたかった。今となっては、昔のことで、かつてそう思ったことがあったという話に過ぎない。
こんなところまで僕に似なくてもいいのに。
こういう時に抱きしめたらいいのだろうと思ったが、今の僕には、まだまだこのくらいが関の山だ。

――四草、お前なあ、師匠の猿真似すんなら、髪の毛ぐしゃぐしゃにするとこまで真似したらんかい。

「普段はめちゃくちゃやけど、お稽古には厳しい人やったで。」
「それ草若ちゃんから聞いたことあるわ。」
しんみりした気分でいたというのに、階下からは麻婆豆腐とエビチリと五目御飯、という声が中国語で聞こえて来るし、階段を上って来る足音が聞こえて来て、騒々しいことこの上ない。
「おーい、戻ったで! 頑張った草若ちゃんに茶ぁ入れてくれるか~!」
扉を開けて、騒々しい兄弟子がやってきた。子どもが似合うというピンクのシャツを脱いでしまって、気の抜けたTシャツ姿になっている。
「草若ちゃん、ありがとう! お疲れ様!」
子どもがコアラのようにしがみついて来たので「なんやなんや?」と戻って来た兄さんが目を回している。
「おかえりなさい、」と言うと、こちらに気付いた男は、お前もおかえり、と言いながら、これなんや過剰な歓迎とちゃうか、と言わんばかりの視線をこちらに寄越した。
「ソレ、靴下ありがとうて伝えたいんと違いますか?」
「そうかあ?」
そうだと思います、と僕が頷くと、ユーカリの木のように背丈のある兄弟子は、子どもて底抜けに可愛いなあと言って、その指で子どもの髪をぐしゃぐしゃにかき回した。



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