わたしの知ってる七海くん

 コーヒーより紅茶。ギターよりピアノ。りんごよりラフランス。柴犬よりゴールデンレトリバー。
 わたしの七海くんへのイメージといったら、だいたいそんな感じ。

「な、七海くん…、七海くん!」
「なんですか」
「もう、いいから」

 その言葉に従うように七海くんの手から力が抜けて、呪詛師と名乗った見知らぬ男の人はずるりと壁をつたいながら座り込んだ。でももうほとんど意識はなさそうだったから自分から座ったわけではない。勝手に崩れ落ちたという方が正しかった。
 ぽたぽた。七海くんの、ピアノを上手に弾けそうな綺麗な長い指を覆う不思議な柄の布には血が滲んでいて、吸いきれなかったものが地面へと落ちていっている。これは彼の血ではなく、彼にたくさん殴られていたあの男の人のものだから黒くて汚い。七海くんの血はきっともっと綺麗なんだろうなと思った。
 男が動かなくなったのを確認して七海くんはわたしのほうへやってきた。さっきまで音が響くぐらい人を殴っていた人とは思えないくらい、いつもと同じすました表情が見える。周りに散らばったわたしの呪具を拾ってから、同じ目線まで屈んでくれた。ほとんど使い物にならなかったそれを渡されたので機械的に受け取る。
 七海くんの方は見れなかったし、わたしは腰を抜かしたままだったので立ち上がれなかった。
「歩けますか」
 首を横に振った。足のどこかがかくかくしてふわふわしてうまく力が入らない。
 それに気づいてか、七海くんはその腕に捕まらせてくれた。手の震えが少しおさまった。
「乗れますか」
 尚もその場からどうともできないわたしを見かねたのか、七海くんはしゃがんだま今度は背中を向けてくれた。おんぶをしてくれるということだった。
 本当は恥ずかしかったけれどこれ以上彼に迷惑をかけたくないのといつまでもこの空間にいたくない気持ちが勝って恐る恐るその背中に捕まる。ちゃんと乗れたかな、と心配している間にいともたやすくふわりと視界が高くなった。
 目の前にやってきた七海くんのうなじは予想通り綺麗で、色素の薄い髪の毛は細い。広い背中に擦り寄りながらやっと安心して息をする。なんとなくいい匂いがしそうだと思っていたのにとくになんの匂いもしなかった。
「七海くんて、意外なところがたくさんあるね」
 無口で大人しそうに見えて理不尽なこととかおかしなことになちゃんと文句を言うし、本音は隠しそうなのに五条先輩がいると平気で嫌そうな顔をするし、興味なんてなさそうなのに意外と食べ物とか小物にこだわりがあるし。
 ひとつひとつ数えるように言った。灰原くんがよく七海は見かけによらないよと言っていたのを思い出す。灰原くんは見かけ通りのひとだったけれど。
 途中でなにも思いつかなくなって七海くんの意外なところを指折り数えるのはやめた。また指が、手が、震えてきた。
 高専にはまだつかない。「そういえば」とまだ他の話題も見つかっていないのに無理矢理に七海くんの後ろ頭に声をかけた。
「無理に喋らなくていい」
 もう大丈夫だから。その声は初めて聞く優しい声で、こんなふうに話せるんだとびっくりした。本当に見かけによらないんだとぼんやり思いながら、じわりと滲んでくる涙を必死に堪える。
七海くんは、おんぶよりお姫様抱っこのイメージだった。
そう言ったら、少しだけ笑われた気がした。

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