なんとなく


内心では落ち着こう落ち着こうて思ってるのに落ち着けない、そんな経験ってありますよね?
十年もキャリアあるのに、ま~た間違えたんけ、ビーコ、と。
誰が見ても美人で、だからこそ面憎い友達の顔を思い出しながら、昨日までに切り離ししとくのを忘れた今日の分の当日券を鋏でチョキチョキやってる私です。
昨日は、草々兄さんも外飲みに行ってたし、昨日のうちに気付いてたら小草々くんたちに手伝ってもらえたのに~!とは思うけど、ほんま人生はそんなに上手くいかんていうか。
事務所の中もただいま節電中なもんやから、お客さんの入ってない朝のうちは、日の光の入るピロティ部分で腰を屈めてチョキチョキやらせていただいてます、て思ってたら、施錠していない戸ぉが勝手に開いた。
九時半かあ、いつもの開場時間やなあ。
外観の清掃とお箸の手入れをする日やから、てあれだけ言うて玄関のとこに張り紙も貼ってんのになあ……まあ朝席ない日やて分かってへん人は一人や二人くらいはおるかもとは思ってたけど。
そこまで考えてから顔を上げて、今日の開場は十二時半からです、と言おうとしたら、見覚えのある背の高いシルエットとボストンバックに気付いた。
「喜代美ちゃん、ただいま~! やっと大阪戻って来たで~♡」
「草若兄さん!」
「おー、ウェルカムバック草若ちゃんや♡♡♡」
片手にボストンバック、片手に手土産の袋を持ってるていうことは、つまりこれは駅から直行してきたていうことかも。
「おかえりなさい。……四草兄さんは?」
「荷物の片付けとかあるから、ふたりで先に帰らせてん。オレもお土産置いたら帰るわ。朝一のが帰りの人少ないからて早起きしてしもたから、戻って昼寝したいしな。」
なんでこの時期にここまで日焼けできるんやろ、て思ったけどまあ元気そうでなによりていうか。
草若兄さんて最近、うちと四草兄さんちで子守もしてるし、テレビにも出てへんし、て言ってあんまり日焼け止めクリーム塗ったりせえへんようになったんか、真っ黒になるのにほんま躊躇ないからなあ。
「あ、どうでしたか和歌山?」
「海とパンダ、ほんまに良かったで~!」
こっちほんま人多いな、て私も小浜から戻った時、ほんまにそう思います。
まあこんだけ人が多いから、毎日誰かが落語聞いてくれはるんですけど。
「後で写真見せてくださいね。」
「これから現像に出しに行くねん。おチビがアホみたいに海の写真とパンダ撮ってたから、今回は人の写真あんまりないんと違うかな。デジカメ買ったら買ったでええと思うんやけど、写ルンですのが荷物にならへんし、やっぱラクやな。」
ほんまに和歌山楽しかったみたいやなあ。
「そうですねえ。」
「これ、土産や。皆で分けたってくれ。こっちはオチコちゃんにパンダの鉛筆と、四草からクリーム入り饅頭。あんこ入ってんのもあったんやけどな。」
ようけ入ってるのにしといた、と言って、出して来たのが箱入りのパンダのクッキーと饅頭。それから紙袋に入った何か。
「子どもの分まですいません、ほんまにありがとうございます。」
「鉛筆はおチビのアイデアやねん。ぬいぐるみにしようかと思っててんけど、喜代美ちゃんが手入れ大変やろうから、やめといたらええて言われてな。可愛い鉛筆やったら宿題やりたい気になられへんかな、てよう考えてるわ。」
抜かりないなあ。さすがは四草兄さんのお子さんていうか……。
「あ、今度の四草兄さんの落語、どうでしたか? 久しぶりに高座で崇徳院掛けはったんですよね。」
「ああ~、まあ良かったで。オレも次なんや崇徳院にしてもええかもなあ、て思った。あの話面白いし。時々草原兄さんも掛けてるからな。」
「そら、ええですねえ。」 
草若兄さん、師匠の十八番で自分の出来てへん落語を少しづつ覚えようとしてるみたいやけど、四草兄さんにだけは教わりたない、て草原兄さんとこまで毎回通ってるもんなあ。こういうとこ変わらへんなあ、ていうか。
「あ、私が取った旅館、どうでした? ゆっくり出来ました?」
なんや四草兄さんの落語会の近くのホテルて縛りで予約サイトあちこち見てて、どこもあんまりピンとくることなかったから、エーコが社員旅行で行ってみて、夕飯のお魚が美味しかった、って言ってた旅館を取ってみたんやけど、ほんまにいいお値段ていうか。
上げ膳据え膳はええなあ……とは思うけど、旅館はビジネスホテルと比べて食事が付いてしまうから、予算がオーバーていうか。
かと言って、海辺の町行ってまで、コンビニの朝ごはんていうのもなあ……。
「あ、旅館、うん……せやなあ。」と言いながら草若兄さんは首のあたりを掻いた。
「……せやなあ、て何ですか? ご飯があかんかったんですか? 食中毒ですか?」と言うと、「食中毒なってたら、ここまでよう来られへんわ。」と草若兄さんは吹き出した。
「……そらそうですねえ。」
「飯はほんま、美味しかったで。」と言いながら視線を逸らされてピーンと来た。
「ご馳走様です……。」
「ええ? 喜代美ちゃん、食べてへんやろ。」
いえ、なんとなく。

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