落ち着け



「あれ、何やった、お前の弟弟子。」
「四草ですか?」と答えると、それやそれ、と鞍馬会長が手土産の大福を頬張りながら言った。
四代目を名乗るようになってからは、やってなかった歳末の三代目草若一門会を久しぶりに天狗座でやりたい、という話が寝床で出たので、かつてトリで出るのをすっぽかしたオレが、こないしてお先棒を担いでやってきたのだ。
塩大福はオヤジが好きだった店のもので、今では開店から一時間も並んで買いに行く必要があった。
うまいことひと箱を確保出来て、昼も食わずにやってきた天狗芸能のビルはもうすっかり人も机も入れ替わっていたが、この会長だけはまだまだ現役だった。
「顔だけかと思ったら、早朝寄席で、えらい評判立ってるみたいやないか。」
「はあ。」
どないな話の流れかと思って内心ヒヤッとしたけど、最近始めたばかりの日暮亭の早朝寄席の話だろうと気づいてほっと胸を撫で下ろした。
サラリーマンの界隈で朝活という単語が流行っているらしいというので、東京みたいに、若い落語家の顔見世興行の向きがある朝席をもっと時間を前倒しして、近間の会社が学校に間に合う時間にやったろ、というので平日だけのことと始めた早朝寄席に、このところ四草のヤツが頻繁に顔を出すようになったのだ。
自分より年の若い落語家と肩を並べて今更前座のような小噺をする理由はただひとつで、あいつが三度の飯より好きなきつねうどんをペーペーの連中に奢らせるために朝の五時から起きてぼちぼち家を出ていくようになってから、もう二月は経つだろうか。
小さかった子どもも、もう多少は手が離れて、朝飯は昨日の残りで勝手に食べて出ていくような年になったので、兄弟子の構いつけもそこそこに、朝も早から日暮亭に顔を出して小金を稼いでくるようになった。
そうこうしているうちに、噂はあっという間にミーハーな界隈を駆け巡って、流石に徹夜の人間までは出てないものの、徒歩圏の勤め人やOLの来客もさることながら、深夜のバスで地方から出て来る客も混じって門前市を成すような大事になってしまったというわけだ。バイトが悲鳴を上げたので毎朝のもぎりを並んで手伝うようになったという喜代美ちゃんから、次から入場料上げて別の会場を借りなあかんかもしれません、とSOSが入って、オレが今の状況を把握したのもほとんど三日前のことだ。
「あいつとお前で、二人会でもどうや。」
「オレとですか?」
今の四草の実力なら草々と肩を並べるくらいが丁度いいのではと思ったが、鞍馬会長もどこであいつの落語を聞いていたのか「ちょいちょいここで出てるの見ても、二番弟子のアレとは噺が被るやろ。」と言われては苦笑するしかない。
四草は、オヤジに入門するのが遅かったこともあって、オレと同じで、オヤジに教えて貰った手持ちの噺は、ほとんど頭打ちになっている。
好きな落語には柔軟にもなれる草々とは違って、四草のヤツは、時折は草原兄さんから習って新しい噺をレパートリーに加えることはあっても、他所の師匠に習いに行くのは頑としてやらないと決めているのだ。まあ、あいつのあの性格では、オヤジくらいの度量……てのは言いすぎか、まあある程度いい加減なとこがないと、別の師匠方では、堪忍出来んとこが多すぎるという気がする。
それにしても、鞍馬会長は、今年の晦日に始まるという漫才王座決定戦の方でどえらい忙しいと聞いてるのに、どっからこんな話を仕入れてくるんやろ。
心の中で腕組みをしていると、腹の中では何を考えているのか分からない妖怪は「会場を埋められたら、その三代目一門会も考えたってもええわ。」と言った。
埋める、というのはつまり、席がそこそこ埋まってるという話とは違う。
もし隣にいたら、そこまで言うならやってやりますよ、と啖呵を切りそうなあの生意気な弟弟子の顔を思い出して、オレは真顔になった。
「もし、満席に出来なかったら、」とオレがそこまで言ったところで「草若の名を継いでも、そういう半端は前と変わらんのか。」とつまらなそうな顔をして手を振った。
ここで帰れ、という合図だ。
オレは失礼します、と礼をして会長の部屋の外に出た。
大きな失点がひとつ。
でも、一門会の提案が、かつての常打ち小屋の時のように一蹴されたわけでもない。
ふう、と息を吐いた。
四草との二人会と言っても、会長の意向を把握して、天狗座での日程を決めるのはマネージャーの仕事だ。
はてさて。オレとあいつで今年か来年に久しぶりに一門会が出来るかどうかの瀬戸際ちゅう話でも、平日か休日かでも客の入りはすっかり変わる。
今のオレでは平日の天狗座をほとんど満席にするのは至難の業や。
四草は……まあ分からんな……。




「えっ、四草兄さんと二人会ですか?」
「そうやねん。喜代美ちゃんから見て、今の四草の早朝寄席の客層で、どないかして天狗座を満席に出来ると思うか? どうせ朝だから聞きに来る、ちゅう客のが多いやろ。一見の人間も多いんちゃうか?」
草原兄さんや草々、四草にまとめて連絡して後で寝床に来てもらうことにしたけど、ここに集まって話す前に、ちょっと聞いてや~と言いたくなるのが人情だ。
四草のあの狭い部屋には置いておきづらい紋付袴をここで着替えたところで、喜代美ちゃんがオチコの散歩出掛けるとこを捕まえて、寝床に入ったら、これからもう夜の仕込みに入るとこやねんけど、という寝床のおかみさんに甘えて昼の総菜を分けてもらった。
日暮亭の朝席に出る落語家にはタクシーチケットならぬ寝床のランチチケットが出ているらしくて、今日もほとんど総菜は浚えられてしまった後だった。足りないのでうどんも追加してもらって、残った鳥の唐揚げを頬張りながらオレは今日の話を可愛い元妹弟子に洗いざらいぶちまけた。
「ええと……あの、草若兄さん、て最近の早朝寄席って来たことないんでしたっけ。」
「最近も何も、もう内弟子修行中で早起きは懲り懲りやで。オレが朝苦手なん、喜代美ちゃんも知ってるやろ。ほんま、酒入ってのうても起きれんし。」
「それは……ええと、はいぃ。」
「草若さんも、一遍四草くんの出てる日に来てみたらええんとちゃう? 最近の早朝寄席、もう大変よ。」という寝床のおかみの横で喜代美ちゃんが手をばたつかせてる。
「ほとんど美人OLさんの舞踏会やで、あれは。」と言われて目を見開いた。
「はぁ?」
舞踏会とはまた。
「お、お咲さん、その話はそこまでに。」とうちの事情を知ってる喜代美ちゃんが小さくなっている。
「皆、でっかいイヤリングとか、買ったばかりのスーツとかでおめかししてて、就職活動っぽいスーツ着てる子とかでキャリーカート持ってる子もいてるけど、真っ赤な唇してるの。……これが朝でのうて、夜で、四草くんとこの子も、もうちょっと大きかったら、あのグルーピーみたいな女子のひとりでもお持ち帰りしてるんとちゃうやろか、てうちの人と話してたとこなんよ。」と言われて〆の味噌汁を吹き出すところだった。
何や、何や。
(あいつまさか、澄ました顔してお姉ちゃんが目当てで早起きしてたんか?)と喜代美ちゃんに目で聞くと、(ちゃいます!)と言わんばかりに首を振った。
「……今はほんま、そないな客層なんですけど、逆にこれまでのずっと早朝寄席来てくれてはったお客さんが、寄り付かなくなってしもて、売り上げが伸びるより、そこを心配しとるんです。落語好きなお客さんばかりでもないから、四草兄さんの他に出てる若い子の自信も、ちょっとも付かへんし、お咲さんと熊五郎さん寝てる時間にも日暮亭の横に並んでるお客さんがやがやしてるから、周りのお店にも迷惑で。そろそろ土日も早朝寄席することにして、四草兄さんだけそこで別料金取らせてもらおうかとか話してて。」
「へ、へえ~。」
そうか、お姉ちゃんほいほいお持ち帰り出来る環境に居ったんかあいつ……。
「本人のいないとこで何の話してるんですか。」
「四草兄さん!」
「四草、お前どこから湧いて来てんねん。今日は部屋の掃除するて言うてたやないか。」
戻って来るのが遅いから、ここやと思って、と耳打ちされる。
お前はもう、どっから聞いてたんじゃ。
「今喜代美ちゃんとおかみさんに、お前の華麗な客層聞いてたとこや。」
「華麗な客層て……。ブスばっかですよ。」と四草が言うのに、「四草くんのその口調、昔とちょっとも変わらんねえ。」とおかみさんが苦笑してる。
「四草くんから見て、どないな人やと美人なん?」
「さあ。まあ顔とかどうでもいいです。」
「へえ~。そういえば、あの子のお母さんもグラマーな感じやったもんね。」
「し、四草兄さん、今日ジュースでもどうですか? 日暮亭から奢りますよ!」と喜代美ちゃんの声が裏返しになってる。
「今はもう間に合ってますから。」
そらそうやろ、オレとあんだけしといて。
そんなことを考えていたら、お咲さんが「……えっ、四草くん今付き合うてる人いてんの?」と言って来た。
「あ、いや。お咲さん……。」
喜代美ちゃんが無言で首を横に振っている。
「そうか、今そういう話が広まったら、せっかく増えたお客さん減ってしまうかもわからんもんね。皆のために私も黙っとくわ。うちの人も口が軽いから。あれ……草若さん、驚いてへんのやね。」
あ、そうか。
今のこれって、オレの他にこいつと付き合ってる女がおる、てことになるんか?
「おい、お前他にも誰かおんのか?」と聞くと、四草の顔が固まった。
「草若兄さん、僕の今の話聞いてました?」
……いや、今の話て、完全にそういう話やったやろ。
おい、しぃ、お前、ちょっと顔怖いで。
四草、お前ちょっと落ち着け、な。

powered by 小説執筆ツール「notes」

68 回読まれています