四角
「草若ちゃん、これが四角やったら葉書書きにくぅてしょうないよ。もっと四角く四角くしていかんとね~。」
「はい!」と声を出すと、向かいにいた喜代美ちゃんのお母さんがにこにこと笑っている。
「オチコちゃん、おばあちゃんの言うこと横から取ったらあかんよ~。」
「そうかて、草若ちゃん、おばあちゃんに毎日同じこと言われてるもん。」
「そらまあ、こんだけ付け焼き刃ではなあ。」
喜代美ちゃんのお母さんがため息を吐きながらカレンダーを見た。
オレがこないして蕎麦打ちの練習してんのは再来月のそば付き落語会のためやねんけど、どっちかいうと越前蕎麦食べるのがメインていうか。
『日暮亭プレゼンツ 徒然亭草若の寿限無付きお蕎麦の会~はてなもあるよ~』てタイトル、ほんまなんやねんな……。
喜代美ちゃんのハチャメチャな企画にゲラ笑いした草原兄さんは、オレがおまけでタコ芝居もやったるから、ついでにつまみでタコ刺しも出さへんか、とか適当言うし。
タコ芝居はとりあえずやってもらうことにしたけど、刺身は出るか出んかはその日の寝床の熊はんの仕入れの状況によるわけで。
結局オレもタコに釣られて、色もん同然の話をこうして引き受けてしもたわけや。
「お母ちゃん、大根おろしやっぱいる? 季節が季節やで、あったかいお蕎麦がええねんけど。」と喜代美ちゃん。
「あかん、越前蕎麦言うたら大根おろしや。」
いや~、どこのうちも、親が師匠やと厳しいなあ。まあオレも今はこないして他人事やけど、三十年前は地獄やったからなあ。
「あ、草若ちゃん、おうちでもちゃんと蕎麦打ちの練習しとる? いくら四草師匠がうどん好きやからて言うても、もう時間ないんやで。」とオチコちゃんに言われてしもた。
「いや……夜は落語の稽古があって。」
「ほうやねえ、そらそうやわ。お稽古頑張ってな~。」と喜代美ちゃんのお母ちゃんが笑った。
まあ、ほんま言うたら落語の稽古が半分、なんやブツブツ不平を言うてるうちのでかい猫ちゃんのご機嫌取りが大変でして……。
「私も当日までおられたらええんやけど。草若ちゃんの落語、久しぶりに聞きたいわ。」
「お母ちゃんもう~、夜に出歩くのは危ないからて、こないだの草若兄さんの昼席、オチコと一緒に聞いたやろ。」
喜代美ちゃんは、今日は写真係や。
エプロン付けて慣れない蕎麦打ちに奮闘する草若ちゃんの勇姿を、日暮亭広報のホームページの来月の更新に合わせて掲載予定てわけや。
予算で買った型落ちの、今時のデジカメやら言うヤツ、いつまで経っても慣れへんなあ。
「そうやった、そうやった。小草若ちゃんのは聞いたから、お母ちゃん、四草さんと草原さんの落語も聞きたいわ。」
喜代美ちゃんのお母ちゃん、記憶の方がときどき混乱してまうらしいとは聞いてたけど、やっぱり、寄る年波ていうのは勝てへんもんかなあ。
「喜代美に蕎麦打ち教えてた時は、まだ師匠さんに弟子入りする前で、なんぼ飲み込みが遅いていうても、まだ十代やったからなあ。毛利さんが宇宙に行って、喜代美が大阪に出た年、あれいつやったっけ。」
「92年やと思います。」
おかんが死んだのが89年の冬、その後の三年間で、落語家の看板を外した師匠のせいで、三代目徒然亭草若一門はすっかりばらばらになった。
オレは底抜けの一発ギャグで売れて、分相応とは程遠いマンションを買って、時々オヤジの顔を見に行って、自分の師匠が落語から離れた生活を続けとることに落胆して……。
あ、あかん……あの頃のこと考えてたら、暗~い小草若ちゃんに戻ってまうで、と思って顔を上げたら、喜代美ちゃんのおかんがオレの顔を見てにっこりと笑ろた。
「その年に、私が母から教えてもろたお蕎麦を、喜代美から作ってみたい~、て言われて、ほんまにびっくりしてねえ。なんや嬉しなって。……オチコちゃんも、蕎麦切る包丁が持てるようになったら、忍者の食べてたお蕎麦、おばあちゃんと一緒に作ってくれたら嬉しいわ。」
「うちかて、蕎麦の粉こねて丸めるだけなら、今でも出来るよ!」
「今は草若ちゃんが先に打てるようにせなあかんから、そこで見て、もうちょっと待っとってな。……草若ちゃん、角がまーるいそれ、ちょっと貸してくれん?」
「はい~。」と言うてオレが喜代美ちゃんのお母さんに立ってる場所を明け渡したら、あっという間に蕎麦らしい形になっていく。
まーるいお蕎麦を、四角くしてくれる麺棒、ほんまにありがたいなあ。
「草若ちゃんと同じ麺棒使うてるはずやのに、なんやおばあちゃんの手つき、底抜けに早いなあ……。」
「オレもそう思う。後は切るだけやし、お湯でも沸かしてくるわ。」
「こら、オチコ! 草若兄さんも、感心してへんと、しっかりしてください~! あと二週間ですよ。」
「喜代美ぃ、忍者の蕎麦は一日にして成らずや! おかあちゃんがおらへんときは、あんたがしっかり草若ちゃんのこと見てるんやで。あと、人数分の大根おろしを作っておいて。」
「……わたしもおかみさんの仕事があるんやけど。」
「それとこれとは別や! たまには自分で蕎麦打ってみんと、作り方忘れてまうで。」
「そらそうやけど……。」
「若狭姉さん、ご指導お願いします!」
「お願いします!」横からオチコちゃんがちょいと出て来て頭を下げた。
「草若兄さん、止めてください~。あんたも悪乗りせえへんの!」
「そうかて、喜代美ちゃんも一緒の方が楽しいやん♡ あんまり叱らんといてや~。」
一回り年下の妹弟子は、「しょうがないですね、後で四草兄さんにも教えなあかん気がするでえ。」と聞き捨てならないことを言うて腕まくりをした。
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