ふたりぼっち
ふたりで住むには部屋の余る韓屋の扉の前に立ち、周囲を見渡し人目がないことと尾行されていないことを確認してから鍵を開ける。隠匿生活が長くなるにつれて外出時の警戒を怠らないことがすっかり習慣として根付いていた。加えて、悪目立ちすることなく周囲に溶け込むことも。総督府勤めだった頃に身につけていたモダンガール風の衣装は、農村地帯に身を隠す今では箪笥に仕舞われたまま、当分日の目を見ることはないだろう。アン・ガンオクが今日一日の間身に纏っているのは着古して生地がよれかけている韓服だった。断崖絶壁の監獄から尋問で死にかけていた己を抱えて連れ出してくれた女と生活を共にし、季節労働者の貧しい姉妹として名前と歳を偽って暮らしている。あるときは政務総監第一秘書の日本人の女、その後は夫に先立たれた未亡人、さらにその後は病床に伏せった姉の面倒を見る独身の女と、黒色団に入団してからは身分を偽ることが日常の一部となった。
この家はふたりの雇い主から借りている家で、みすぼらしい服装のふたりを哀れんで格安で住まわせてくれている。今の身分は食うに困って路上生活をしていた姉妹だ。黙々と働き、自分の身の上について多くを語らない季節労働者は、この地域にはありふれていた。
板間では同居人の女が眠り込んでおり、服は土埃にまみれている。仕事帰りで疲れて寝てしまったのだろう。休みをとって街に出て買い込んだ当分の食料や日用品を倉庫にしまいながら、ガンオクは色濃く隈の残る女の目元を見ていた。女について知ることは少ない。京城の資産家の娘で、映画や音楽を好む同性愛者であるということが、パク・チャギョンについてアン・ガンオクが知るすべてであった。妙齢の女二人での生活はやはり異質に映るようで、嫁に行くつもりはないのかと囃し立てられる度にチャギョンがしかめっ面をするのを見続けていた。隠れ暮らすならば、男と女の方が馴染みやすいことは承知していたが、互いにその選択肢は選ばなかった。ガンオクは生き残るために男に気に入られる必要のない生活を、チャギョンは己を偽る必要のない生活を望んだ。周囲の目とは裏腹に存在しないことになっている者同士、同病相哀れむといった調子で同居生活は案外順調だった。チャギョンがどう感じているかは分からないが。
「……ナニョン」
時折こうやって死んだ女の名を呟く時があった。初めて顔を合わせたときから全身に諦念と哀しみを染みこませたような風体をしていたが、ここ最近は以前にも増してひどかった。農婦と黒色団の任務の二重生活は、明らかにチャギョンの心身を蝕んでいるようだ。スパイには珍しく動揺が顔に出やすく、さらに瀕死のガンオクを助けに戻ってくるような情の厚さを見るに、おそらく恋人の死も団員の死も未だに克服できていないのだろう。
――亡霊に取り憑かれながら生きていくのね、あんたは
人死になんて珍しくもない稼業をしているのに、いつまで経っても割り切ることのできない不器用さを愚かだと思いながらも、同時にそんな純粋さを嫌いにはなれなかった。
もし自分が死んでしまったら。太腿の傷を見ただけで涙ぐんでいたくらいだ。あのときいつ死んでもいいと言った。それは今でも変わっていないが、チャギョンの顔を曇らせてしまうことを思うと、その決心も鈍ってしまう。
愛してはいない。それでもパク・チャギョンは己を偽り続ける人生の中での唯一残された真実だ。明日もチャギョンと朝食を食べて働きに出て、夜には家に帰って寝るだろう。そういう生活をきっと死ぬまで続けていく。
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