「ただいま」/冬弥+春道(2022.10.19)
すっかり日の落ちた暗闇から、そっと玄関に身を滑り込ませた。長かった冬を抜けて、風もぬるくなっている。あまりに寒い季節はセカイで練習していて、いつもの公園にはあまり寄り付かなくなっていたのだが、近頃は暖かくなってきたし、久しぶりにこちらで歌っていた。中学時代から数えきれないほどの時間を過ごしたその場所は冬弥たちにとって原点でもあり、つい興が乗って、区切りがついたのは普段より時計の針が進んだあとだった。
とうに照明が落とされているだろうと考えていたリビングから明かりが漏れていて、珍しいなと思う。たまに、仕事が長引いて起きていることもあるとはいえ、さして多いことではない。ドアを開いて、あいさつをするより先に鋭い声が飛んだ。
「冬弥」
「……父さん」
キ、と細められた視線に、体が強張る。正面から衝突していた時期があったためか、いまだにそうやって見られると反射的に身構えてしまう。以前のように咎められることは減ったけれど、なんとも言えない顔でただすれ違う日もある。
「今、何時だと思っている」
「……え、」
深いため息とともに吐き出された言葉が、予想していたものと違っていて、間抜けな母音がおちた。
「遅くなる日は連絡する、と言っていたな」
「あ、……すみません」
イベントを見に来てくれたあの日、そう約束したのは己だ。イベントに出る際には事前にメッセージを入れていたが、今日はできる限り早く帰ろうと足を動かすのに必死で忘れていた。
「自分で言ったことくらい守りなさい。私はもう寝る、お前も早く寝ろ」
「──はい。すみません、次から気をつけます」
ひょうしぬけだ。目は一度も合わなかったけれど、たぶんその瞳にあったのは怒りや不快感ではなくて、心配だったんだろう。
ぱたん、と閉じた扉は、拒絶されているわけではなかった。なんだか、胸の奥があたたかくて、やわらかい。
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先に帰るね、と駆け出した小さな背中を見送って、ポケットから端末を取り出した。触り慣れたアイコンをタップして、開いた画面に言葉を打ち込んでいく。
『遅くなってすみません。これから帰ります。』
青い紙飛行機のボタンを押して、送信されたのを確認してから、もう一度仕舞い直す。すぐに読まれることはあまりないけれど、きっと家に着くころには、横によく見る二文字が並んでいることだろう。返事が返ってくることはなくても、いつもそうだから。
「終わったか?」
「ああ。待たせてすまない」
分かれ道に着くまで、と隣を歩く相棒にそう告げると、ハッと笑って首を振られる。
「待ってもねえよ。ていうか、毎度律儀だよな」
「そうだろうか」
「それにしても、あの堅物親父がなー」
揶揄うような響きの中に、確かにあかるさがある。そうやって冬弥が関係を改善していくことを、ともに喜んでくれる人がいるのだ、と知るたびに、こころに灯る熱はどんどん温度をあげている。その感謝を伝えるために、冬弥は口を開いた。
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