アドベントカレンダー



仕事帰りのいつものスーパーマーケットで、譲介はふと懐かしいものを見つけた。
飴やキャンディー、クッキーの小箱を入れたアドベントカレンダーだ。
大学の寮で隣の部屋に住まいしていた友人が、安物の状差しのようなそれを、扉の内側にぶら下げていた記憶がある。
ちなみに、あの時は、商品が別売りだと言っていたかもしれない。抱き合わせで横に菓子を置いておくと、相乗効果で売れるのだろう。
日本じゃこういうのに薬を入れてるよと言ったら、そりゃあいいアイデアだ、と朗らかに笑う友人の顔は今でも思い出せる。出掛けに口に放り込めるような飴やクッキーなんかをこんな風に入れておくのがいいんだよ、と譲介に言いながら、机の引き出しから取り出した菓子の類を見つける端からぽいぽいと放り込んでいた。これやるよ、といつ買ったかも分からない、赤と白の包み紙の半分溶けた飴を寄越された。あの飴、やたら歯にくっついて食べにくかったな。
「良い」と言ったのは、つまり気分が上がるとか嬉しい気持ちだ、というよりは、血糖値が下がらないからいい、というくらいの意味だと言うのは後で聞いたが、悪くない、というイギリス英語が板に付いた男が珍しく口にした「GOOD」にはそれなりの重みがあった。
「うちに付けるとしたらどこがいいだろうな。」
すでに小さな小箱が二十四日分入ったアドベントカレンダーを手に、譲介はひとりごちる。すでに遠くなった学生時代を思い出しながら、譲介は、壁掛けになる状差しのような形のアドベントカレンダーをひとつ、籠に放り込んだ。


白いアドベントカレンダーは、家に戻った後で冷静になって眺めると、やはり子どもっぽいように見えた。
世間的にも、こういう遊びが許されるのはせいぜい大学時代までだろう。
多少は気にならないでもないが、サンタ帽やトナカイの顔だけのアップリケのようなイラストに罪はない。譲介は悩んだ末に、家の出入り口の内側にそのアドベントカレンダーを付けることにした。寝室の扉にどうかと一瞬迷ったけど、色が壁色と似ていて、インテリアとしては目立たなくなるし、万一徹郎さんとベッドの上でコトに及んでいる最中にカレンダーが外れて落ちた場合、互いの気が散るのは目に見えている。
正面扉の内側であれば、一歩中に入れば、あの人が行きつけの花屋に押し付けられたという松ぼっくりと薔薇、緑のシロツメクサのようなフラワーアレンジメント。
一続きのリビングにはツリーがあって、その下には譲介が欲しがっていた医学書の外箱やあの人の新しいタブレットの空き箱がリボンのついたまま飾ってある。(実益重視と外箱の大きさや包みで中身が知れてしまうのもあって、それぞれ既にリビングの所定の位置と書棚にある。)
クリスマスの雰囲気が多少過剰になってきたようにも感じられるが、二人暮らしはそのくらいで丁度いい。


早出が多い譲介に対して、パートナーの勤務は患者の来院日や当人のその日の体調によって替わることが多い。
朝食を一緒に取ることが出来る日には、軽く頬にキスをして、それから出掛けることにしているけれど、彼がまだベッドにいるときは、外出の直前まで、一分一秒を惜しむことにしている。
「いってきます。」
譲介が彼の唇から口を離してそう言うと、キスの直後に息を整えていた人は、ついさっきまで情感の火をくすぶらせていたまなざしから何かを思い出したような顔つきになった。どうかしましたか、と問うと「おい、譲介。今日か明日にでも買い物に行くぞ。」と言う。
普段は譲介が彼の診察室まで出迎えに行くとしても、その日の流れで行ったり行かなかったりというところなのに、珍しい。
そもそも、こんな風に息が続かないほどのキスを出勤前に許してくれること自体、と考えて、そういえば出掛けるところだった、と思い出す。譲介はちらりと時計を見て、「いつものところでいいですか?」と尋ねる。
「前に言ってただろ、ちょっと遠いところにあるとかいう。」
「ホール・フーズ・マーケットですか?」
「そんな名前だったか?」
まあいい、そこにしろと彼は言った。運転手は僕ですが、とうっかり口が滑りそうになったけど、彼の気が変わらないようにと慌てて口にチャックをする。
レッツゴー・スーパーマーケット。
譲介にとっては近間のデートスポットである。
早速クリスマスの雰囲気づくりの効果が出たみたいだ、と心の中で朝倉先生ばりにサムズアップしたけれど、顔には出さずに「何か欲しいものでもあるんですか?」と愛しい人に尋ねる。
「……着いたら教えてやるよ。」と言ってTETSUはニヤリと笑う。
この人は、年を取っても相変わらずの秘密主義だ。
譲介は、昨日悪さをした子どもを抱き上げた時に爪で引っかかれたという彼の頬の擦り傷の上にもう一度キスを落として、行きの車の中で教えてくださいね、と微笑んで寝室を出た。
去年買ったモンブランのバイカラージャケットを、いつものセーターを着た上に羽織る。
さて、出勤だ、といつものようにアドベントカレンダーの中に手を入れようとして、譲介は、カレンダーが昨日の出勤前の状態と違っていることに気づいた。
今日と明日の分のポケットの中身が忽然と消えている。帰り際には、振り返って出入り口扉を観察することがないので分からないのだ。

――さて、犯人は誰でしょう。和久井君には分かるかしら?

頭の中にしゃしゃり出てきた宮坂が探偵気取りで登場するにあたって、譲介は大きなため息を吐いた。
なるほどな、うん。

「徹郎さん、お菓子を食べたいならちゃんと言って下さいよ!」
もう二度寝してしまっただろうなと思いつつも、あの人のいる寝室に向かって譲介が叫ぶと、「おめぇがそんなとこに置いとくからだろうが。」と律儀に返事が返って来る。

詫びの言葉の代わりに許されたあの唇からは、チョコレートの味もキャンディの味もしなかった。
彼が自分の食べたい菓子を追加で入れておきたいというならそれはそれで構わないけど、僕も自分の食べたいものを入れさせてもらう、と決意して、譲介は車の鍵を手に扉を開ける。
十二月のロサンゼルスは快晴である。
買い物日和だな、と小さく呟いて、譲介はいつもの職場に向かって歩き始めた。


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