プロポーズ大作戦


そもそも、いつもの店が閉まっていたのが良くなかった。
ホリデーシーズンという時節柄、ほとんどの店が店を閉めているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。譲介の同居人兼パートナー未満のその人は、いつもの店のピザとブレンドコーヒーとにありつけないことにかなりご機嫌斜めの様子だった。

「オレが明日死ぬとして、おめぇはまだプロポーズすんのか?」
グラスに満たしたバーボンで唇を湿らせたTETSUにそう聞かれて、譲介はとっさに言葉に詰まった。その数秒の動揺を正確に読み取った年上の人は、いつものようにクックックとこちらを笑ってから「腰抜けはくたばれ。」と言ってグラスを傾け、ナッツをポリポリと齧った。

腰抜け?
今腰抜けって言ったか、この人?

「あの、徹郎さん、」
「遅ぇ。」
目を丸くする譲介に値踏みをするような一瞥をくれてから、一昨日来い、と言ってTETSUはグラスの中身を飲み干した。


譲介が、TETSUにプロポーズするようになってから、半年が経とうとしていた。
口が悪いのはまあまあ予測の範疇とはいえ、流石に高校時代はこんな風に言われることはなかった。
酒はバーボンをほんのちょっと口にしただけで、悪酔いしているようには見えない。
何が理由でそんな風に突っかかって来るんですか、と聞きたかった。その一方で、今それを聞いてどうなる、と考えてもいる。
そもそも、譲介は、これまで何度となく重ねたプロポーズをTETSUが受けてくれない理由に薄々は気付いている。年齢差とか、この先の話。
今の突拍子もない質問は、きっと、これまでの譲介からのしつこい求婚への返事、あるいは、返事がないことへの回答に近いのだろうと思う。
顔を合わせるごとに結婚してくださいと伝えてはいるが、こうまで延び延びになると、朝夕の|挨拶《キス》に近くなっていて新鮮味がない。この人が、譲介が寝ている間に返事をしているというのなら話はまた別だとして――いつまで経っても承諾の返事がないことに、譲介自身が慣れ始めてもいる。自分が逆の立場だったらと考えると、確かにOKを出すことは難しい気がする。
少し落ち着こう、と思って自分のグラスの中に入ったペプシを飲んだ。朝倉先生の好きな銘柄だ。
今日は、そういえばまだ結婚してくださいって言ってないな。
普段のTETSUは、譲介とセックスをするだけの関係でいる方が都合がいいと考えている節があるとはいえ、さっきの言葉にはまるで、譲介がTETSUのことをどれだけ好きでいるかを確かめるような響きがあった。

――勿論、この人はいつも、これからも、僕が目の前にいる限りは、僕を試そうとするのだろう。僕が子どもだった頃から、いつもそうしていたように。

子どもだった頃、一也に向けていた敵愾心に限りなく近い反発が胸に湧いてきて、譲介は深呼吸した。
思い返してみれば、酒のメニューを広げた一瞬、彼は何かに気を取られたような表情を浮かべていた。普段は譲介に合わせてワインを飲んだりもするし、パーティーなどでシャンパンを一杯引っかける、というような夜には、TETSUはむしろ陽気な酒になる。譲介とグラスを合わせて、笑いあって――だから、これほどまでに逆効果になってしまうとは思わなかったのだ。
普段は自主的に酒を嗜むわけでもない人が急にバーボンなんて言うから、きっと若い頃に好きだった銘柄なのだろうと思っていたのに、と思って、譲介はふと気づきたくない事実に気付いた。後から、またぞろKAZUYAさんとの思い出の酒と言われようものなら、食事の味は台無し、帰宅後はひとり自棄酒会に決まりだ。
それにしたって……徹郎さんだって口が悪いよな。
そう思って、譲介が顔を上げると、言い過ぎたか、とこちらの方を伺うような目つきになっている人と目が合った。
「今のは徹郎さんの言い方も悪いと思います。もしかして、本当に具合が悪いかと思うじゃないですか。もしそうなら、ちゃんと相談して下さい。今の時間からでも問診しますから。」
そう言って、譲介は主治医の顔を作って、TETSUの手首を掴む。本来なら、この店を出るタイミングを見計らって、デート気分の恋人つなぎを実践する予定だったというのに。
タイミングとやり方がずれてしまうのは、もうこの人相手では仕方がない、と譲介は胸の中でそっとため息を吐いた。口が悪い目の前の人は、煩わしそうな顔を作ってこちらに見せてはいるけれど、譲介の手を無理に振り解こうとはしていない。
そのことにほっとする。
食事を止めて今からでも職場に行きましょう、と本気の顔で言うと、途端に、彼はしまった、という顔になった。
ここで離せ、と反発のひとつもあれば、ここが家の外であることを忘れてキスのひとつでもしていたはずだ。
オリーブオイルのいい匂いが漂って来た。調理場から料理が運ばれてくる気配を感じて、譲介は、何もないならいいんです、と言って、そっと手を離した。
譲介の顔に浮かんだ心配や懸念を真剣に受け取ってくれたのかどうかは分からないが、愁嘆場ルートを寸でのところで回避したTETSUは「馬ァ鹿。ただのたとえ話だ。」まだくたばる予定はねえ、と手を振った。
この話は終わりだ、ということにしたいのだろう。こちらだって、大事がないなら、いいんです、と言いたいけれど、譲介の方では話は終わっていないし、勝手に終わらせないで欲しかった。
「この際だから正直に言いますけど、僕は、あなたのことを愛してるからプロポーズしてるんです。あなたの一番近い場所にいたい。そうでなきゃ、そもそも言い出しませんよ。」
あの毎日のプロポーズを、ジョークの一種とか、そうでなければ、譲介にとっての忍耐や献身のバロメーターだと思っているとしたら、とんでもない勘違いだ。
「今日がダメなら明日もありますし、明日の僕の方があなたのことが好きですよ。」
明日の僕の方がお買い得です、と年上の人を見つめて微笑みかけると、コイツはしょうのねえヤツだ、と言わんばかりの視線が返って来る。

一緒のベッドで寝てくれる今の関係が最高だけれど、時折リビングのソファでふて寝をしてるところも可愛い。
焦がしたピザを食べさせようとするところも。
アイスクリームを身体に載せると、食い物で遊ぶなと叱られるのは譲介の方だ。
TETSUの新しい顔を見つけるたびに、愛おしいと思う。

だから、この人が結婚を承諾してくれない理由を知りたい気持ちと同じくらい、その理由を聞きたくはないなと思ってもいる。
譲介がこの人を好きだと言う気持ちが十あるとしたら、この人から返って来る気持ちは三くらいだろうか。
そのくらいは好かれていると、勝手にうぬぼれていたいから。
(あなたは、僕が……あの言葉を守りたい、って義務感から言ってるんだろうと思ってるんでしょうけど。それだけじゃない。)
空になったグラスを見て、「二杯目は、コーヒーにしましょうか。」と言うと、TETSUは、何でもお前の好きに頼め、と言って苦笑した。
その間に、ウェイターが皿を持って来て、二人の前に料理を並べた。
アクアパッツァに、サラダに、アヒージョ。「箸を持って来て欲しい。」と伝えると、ウェイターはトレイを持って調理場に早足で戻って行く。
(徹郎さんにメインは任せて、僕はサラダか。)
譲介が取り分けの分担のことを考えていると、向かいの椅子に腰かけていたTETSUが「仕方がねえから明日も聞いてやる。」と言った。
「……え? 今なんて言ったんですか?」
鳩が豆鉄砲を食ったような反応をする譲介に、TETSUは何がおかしいのか、笑い上戸のようにクックと声を上げている。
平静を装って「食べましょう、徹郎さん。」と言うと、相手はアクアパッツァの皿に乗った鯛を、骨が多いとぼやきながらさっさとナイフで切り分け始めた。
途端に、譲介の腹が鳴る。
「……随分腹が減ってたみてぇだな。」
「こういう時は、聞こえないふりをしてくれたら嬉しいんですけど。」
今の言葉を、うやむやにしないで欲しい、とこの人に正面切って伝えるには、悪すぎるタイミングだ。
このプロポーズ作戦がちゃんと成功するまでに、まだまだ日が掛かりそうだ。
譲介はそう思いながら、心の中で小さくため息を吐いた。

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