甘噛みの練習

「シ、シド…待って、ちょっといたい…」
「このくらいでもか?本当に肌が柔らかいんだな」
 動物特有のその目を丸くしてシドはわたしの腕に寄せていた牙のように鋭い歯を離した。
 少しだけ歯形のついてしまったそこを彼の大きな手がさすさすと撫でる。ハイリア人とは違う鋭い指先が当たらないように気を遣ってくれているから動きはいつもぎこちない。その手に自分の手を重ねると、申し訳なさそうな顔がこちらを覗き込んでいる。
 わたしが泣いていないかを確認しているように感じて、大丈夫と伝えるために笑ってみせた。
「でも本当にちょっとだけだよ」
「しかし、知らないあいだに君を傷つけてしまいそうで心配だゾ」
「いつもは痛いことなんてないから大丈夫だよ」
 ね、と言い聞かせるように言うとシドは複雑そうな顔をしてからわたしの額に口を寄せた。そのまま体を引き寄せられ、ひんやりとした胸板に頬がくっつく。ハイラル人とは違う不思議な感触と体温を感じながらわたしは目を閉じた。
 自分のことを強いとか弱いとかはあんまり考えたことがなかった。戦ったりはできないから強くないのは確かだけど、シドと触れ合うようになってから自分の脆さを嫌でも体感する。時々我慢できなくなるシドに甘く噛まれた場所はうっすら傷になっていて、彼はそれを見るたびに罪を犯してしまったような顔をしてはそこにキスをする。
 正直なところ、シドに傷つけられるのが嫌じゃなかった。だからそんなふうな顔をしないで欲しいのに、彼はわたしを傷つけることを何よりも嫌うのでそこだけが分かり合うことができない。
 よく見ないと分からないようなやわらかな跡よりも、もっとくっきりと、消えない紋様のようにして欲しい。とは思ってもそんなことは恥ずかしくて言えない。
「わたしがシドを噛んだらいたい?」
「噛んでみるか?」
 差し出される赤と白の腕を見て、やわらかそうな白いほうを噛んだ。ハイラル人とは違う、皮っぽい張りがある。口を離してシドを見上げると、慈しむような顔で彼はわたしを見ていた。
 その眼差しがあまりに優しくて、同時にこちらが本当にか弱い生き物だと思われているようでたまらなくなってすぐに口を離した。
「いたかった?」
「くすぐったいな」
 シドの腕が離れていって代わりに顔が近づいてくる。キスをされると思って目を閉じると熱を感じたのはくちびるのほうじゃなかった。
 牙が、肉に食い込む感触がする。その熱はきっと痛みなのかもしれないけれどわたしには気持ちよくて、そのまま浮かび上がりそうになってしまう。身を委ねながら離れないようにシドにしがみつく。ぴりぴりとからだが知らせる信号は、きっと。
 生ぬるいものが首をつたっていくが分かる。それを追って舐めとるシドの舌はざらざらしていて少し痛いくらいだった。
「いたいか?」
「…ううん。いたくない」
 わたしのうそをシドはどう思っているんだろう。本当はもっと痛くしてほしいと言ったら、どうなってしまうんだろう。
 目の前にある扉に気づかないふりをしながら、わたしたちは生ぬるい熱を分け合い続けた。

powered by 小説執筆ツール「notes」