距離


やり過ぎたな、と思った時には後の祭り、というのは人生に良くあることなのだろうか。

「……なんや今日の布団、妙に遠くないですか。」
「べ、別にいつもこんなんやし……。」
暑い暑いと言いながらも半袖のパジャマの上下をかっちり着込んでしまった小草若兄さんがふい、と顔を背けた。
つい十分前までは、シャワーを浴びた後のパンツ一枚の格好でその辺をウロウロしていたのである。
ウロウロというか、ソワソワというか。
手を出して欲しい、と口には出さないだけで、明らかに普段よりはそうした状態、というか雰囲気があった。
珍しいからいつ誘って来るのかと思って待っていたら、全く声が掛からないまま、いそいそとしていた明るい雰囲気が徐々にしぼんでいって、最後にはぱっと布団を敷いて、おや、と思っている間にさっさとパジャマを着込んでしまった。
しまった、と思っても後の祭りだ。
(平兵衛、お前口が利けるんなら、この年下の男が一体何考えてるのか、僕に分かるように説明してくれへんか……。)

明らかに僕の布団が窓辺ぎりぎりやないですか、と言うと、まだ狸寝入りのところまで行ってない様子の小草若兄さんはそないなことないわ、て言いながら離した方の布団にほとんどスライディングの勢いで入っていってしまった。
僕の布団から離した場所に敷かれた布団――と今の季節は、いつもの布団が明らかに暑苦しいのでタオルケットになっている――それも、普段なら手足を延ばして大の字の形になっているところが、冬でもないのに丸まった海老の形に膨らんでいるし、こちらに不自然に背中が向いている。寝るから話しかけてくるなよ、という狸寝入りの前段の気配が濃厚だった。
そもそも、夜が更けてくれば、風がいくらか入って来る窓際の方が涼しいのだ。わざわざ部屋の奥に引っ込む理由がない。
(僕もそっち行ってもいいですか、て言ったところであかん、と言われてまうだけやな……。)

まあ、許可を取ろうとしたところで無理だが、蹴り出されるまではなんとかなるだろう。
「僕もそっちの方に入れてください。」
「……なっ!」
他の反論が口から飛び出す前に、上掛けを捲って身体を寄せると、暴れようとしていた身体がぴったりと固まった。まあ今のタイミングで振り返ったら、キスをされて流れがこっちに引き寄せられてしまうことくらいは学習済みということだろうか。
その気なのか、そうでないのか確かめるために、前に手を回してパジャマの裾から手を入れる。
下半身に触れる前にパンツのゴムの上の方の腹に手を当てた。
臍のくぼみ、細い腰。
襟足からは、いつものシャンプーの花の香料の強い匂いが薄れて、汗の匂いがした。
身体は熱を持っていて、この人がまだ生きているのがただ有難いような気持ちになる。
「今更、何しとるねん、とか言わんといてくださいよ。」
これだけ身体を重ねていても、こちらから触ろうとすると、反射で、そうした言葉が口から飛び出す人だった。
「嫌なら僕の布団で寝てください、あっちの方が涼しい。」と言うと「お前の好きにしたらええやろ、」と初めて触れた時のように言った。
最初の時ほど投げやりに聞こえない。
「それ、僕の好きにされたい、てことですか?」
そこまで硬くはなっていない下半身を尻に押し付けると、あっ、と小さな声が漏れて口を閉じる気配がした。
「……さ、触るだけでええから。最後までしたら、オレ、なんやおかしなってまうし……。」と言われて声が出そうになった。

セックスなんやから、いつもと違う風になるのは当たり前でしょう、の、その『当たり前』が分かってない。

分かってへんのやお前は、と僕のことを叱ったいつかの師匠の顔がちらりと頭の中に過ぎった。
そらまあ、僕かて分かってなかったですけど、師匠だって子育ての何も分かってないんと違いますか?
せめて高校くらい出しとけばもう少し免疫付いたんとちゃうか、と思うけど、今のこの人が腹立つほどに可愛いから仕方がない。
まっ平らな胸も、奥に穿つ間に腰に絡まって来る長い脚も、全部可愛いし、僕だけのもんにしときたい。せやから、触るだけ、ていうなら、好きに触らせてもらいますけど。
「小草若兄さん、ちょっとこっち向いてください。」
今の顔が見たい、と思って振り向いた人は、案の定泣きそうな顔をしていた。
「こういうのは、そんな悲壮な顔してするもんとちゃいますから。」
上掛けを剥いで細くて長い身体を仰向けにすると、手順が分かってるくせに、ぎゅう、と目を瞑ってしまった。
ゆっくりとパジャマのボタンを外していくと、衣擦れの音がするその間にも互いの下半身が反応してでっかくなっていくのが見えた。
全部食べていいですか、と聞きたくなって、今更は野暮なその言葉を口にする代わりに、ゆっくりと唇を食むようなキスをした。

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