織姫彦星
天の河の東岸の領主をしている則宗には、年頃の娘が一人いる。彼女は名を姫鶴と言って、うら若い娘の容姿をもつ美しい女神である。
元来鼻っ柱が強い性格なのもあってか、長らく姫鶴の周囲には男っ気というものが皆無で、朝から晩まで機織りの仕事に精を出すばかりの日々を送っていた。
しっかりしているのはいいが、こんなに若いのに一人きりで働きづめでは少々哀れだ。則宗はある日ふとそう思いついて、彼女に婿をとってやることにした。川向こうを治める親類とも相談して、日光という牛飼いの男を選んだ。見るからに凜々しく頑丈そうな美丈夫だし、大変真面目な働き者だともっぱらの評判だ。
きっとうまくいくに違いない、と思ったが、子どもは親心を解さぬものだ。「お前さんに似合いの婿を見つけてきたから、一緒になったらどうだい」とすすめても、姫鶴は煙たがるばかりだった。「別に婿とかいいし……男がいないと|可愛《かあい》そうとか、ほんとやめて」と眉をひそめ、日光と会おうともしない。
正攻法の見合いは到底受け入れそうにないので、その年の七夕の節句、則宗は姫鶴を適当な口実で天の河の川辺に連れだし、婿殿と無理矢理に引き合わせた。
姫鶴が彼を気に入ったのはすぐにわかった。これから婿がねの男がくる、ときいた姫鶴は「だまし討ちだ、こんなの」と激怒し、家に帰ると言い張っていたが、日光の姿を見るや魅入られたように沈黙し、完全に抵抗をやめたのだ。「こいつが婿さんだが本当にイヤかい」と則宗がしつこく訊くのすら無視し、彼から目が離せないようすである。
「……まあ、イヤじゃないなら良いんだがね」則宗はとうとう、我が娘の口からまともな降参宣言を聞くのを諦めて言った。「川端に家を建てたからお前さんたちにやるよ。これからは夜は二人でそこで過ごすといい」
わかったか、と肩を揺さぶるとさすがに姫鶴は頷いて、そのまま日光と手に手をとって、彼らの家へと歩いていった。則宗は自分の見る目にすっかり満足した。日光もだいぶ満更ではなさそうな様子だったし、きっとうまくいくだろう。
だが、困ったことに、夜が明けて翌日になっても翌々日になっても、姫鶴と日光はまったく家から出てこなかった。姫鶴の織り機には埃が積もるばかり、川向こうの親類も、日光の姿をさっぱり見ないという。とはいえ神々は呑気なので、しばらく待とうということにはなったのだ。翌週、翌月――夏が過ぎ秋が来て冬になり、とうとう半年経って年が明けたところで、則宗の辛抱にも限界が来た。
新雪を踏み分けて彼らの家に向かい、扉を叩いた。数分して寝乱れた風情の姫鶴が出てきて、「なに、朝から」と白々しくも顔をしかめた。仕事を全て放り出しておきながらのこのふてぶてしい態度に、則宗はすっかり頭にきてしまったので、姫鶴が外の雪景色に気づくや狼狽したように何度もまばたきして、「え、雪? どゆこと……?」などと呟いたことには全く気付かなかった。
「ああ、朝だな、正月七日の朝だよ――お前さん、いったいどういうつもりなんだ? よくまあこんなに長々と没頭できたもんだな」
姫鶴は目を丸くして室内を振り返り、連れ合いを呼びたそうな素振りを見せたが、則宗は彼女の袖をつかみ、そのまま引きずるようにして自邸に戻った。途中で日光が追ってきたので、「川向こうに帰って、僕が許可を出すまでこちらに来ないでくれ」と告げて、有無を言わさず追い返した。半年もの間、周りの心配や迷惑も何も考えずにいちゃついているようでは駄目だ。結婚させるには二人ともまだ若すぎたのだ。
「まったく――半年はやりすぎだ。一体何をしていたらそんなことになるんだ?」
姫鶴は皆目反省の色を見せず、「そんなに経ってるとか全然知らなかった」と言い返してきた。則宗が日光を追い返したことについて姫鶴は大変怒っていた。
「横暴だ。勝手に結婚させたのに、問答無用で引き離すなんて……」
言い訳はやめてここ半年分の機織りをしたらどうだ、と説教したが、姫鶴はまったく納得していない様子だった。それから季節が一回りして、また新年が来ようという頃になってもまだ、機織りにも何にも全く身が入らない。則宗は本当に手を焼いて、一度、天の河を渡って対岸の元婿殿の様子を見に行くことにした。日光はちゃんと立ち直って働いてるぞ、と言えば姫鶴も多少は諦めるのではないか。
だが、そのような期待をするだけ無駄だということは、日光に会った瞬間に分かった。哀れ青年はすっかりやつれ果てた面持ちで、牛たちに髪の毛を喰われそうになりながら、「全て俺の責任です」と憔悴しきった声で謝罪してきた。
「俺があまりにも我を忘れていました。一夜と思っていたら、まさか半年も経っていたとは――」
日光は世にも情けなそうな調子で言った。姫鶴はともかく、この、嘘をつくことなど考えたこともなさそうな男がそういうからには、本当に一晩のつもりでいたのではないか。今一度則宗に謝罪して持ち場にしおしおと戻って行く娘婿のしょげた後ろ姿に、則宗はかける言葉がなかった。
帰りしなに対岸を治めている親類のところに寄ったら、「我が翼があのように気落ちしているのはそちらの責任もあるだろう、本当にどうにかしてやってくれ」とだいぶ責められるし、家に戻れば戻ったで、姫鶴がものすごい目で見てくる。則宗はとうとう音を上げた。
「……わかったよ。年に一度は逢わせてやるから、お前さん、そんな顔をするのはやめてくれ」
織機の前に座っていた姫鶴ははたと視線を上げたが、七夕の一夜に限っての話らしいと理解すると、呆れたように鼻を鳴らして顔を逸らした。
「一年に一晩って……そんなんじゃ会えないのと変わんない」
べつにわざとサボったわけじゃないのにこんなのってない、と相変わらずの言い分を繰り返す娘を前に、則宗はため息をついた。
「だから言ってるんだ。一夜のつもりで半年過ぎちまったんだろう。その計算でいくと、二晩で丸一年になるじゃないか」
それじゃ働く暇がまったくないわけで、|一晩《・・》で十分だ。そう口にするや否や、姫鶴はぱっと顔を上げ、「御前」といつもあまり呼ばない敬称を使った。則宗はもう一度ため息をつきたくなったが、どうにかのみ込んで娘に告げた。
「いいかい、正月の七日で七夕から半年だ。それまでに正気付かなかったら僕が直々に呼びに行くぞ。頼むから、それ以外で倍は働くくらいの気持ちでいてくれ」
姫鶴は「わかった」と即答するや猛然と機を織りはじめた。それから半年後の七月七日の夕方には、丸一年分の仕事をしっかり終わらせて連れ合いのもとへ飛んで行き、一晩、もとい半年帰らなかった。
そういうわけであるから、今年も則宗は正月七日を過ぎると新雪を踏み分けて娘と娘婿の愛の巣の戸をたたき、いい加減にしろと大声で叫ばねばならないのだった。もとはといえば全て、己の思いつきひとつで結婚なんぞをさせてしまったせいである以上、その結果に対しては則宗自身が責任を果たす必要があるのだ。
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