神さまの鱗(人外×人間)

「君主だとか言うものだから、てっきり集落の長的な役職のことかと思っていたのですがね」

 頭上に落ちる黒々とした濃い影。陽光を遮る分厚い巨躯を振り仰ぎ、HiMERUは驚嘆とも現実逃避ともつかない曖昧なため息を吐いた。
「──まさか竜とは」
「まさかだよなァ〜」
 遥か高みから聞き慣れた声が降ってくる。なんだ、普通に喋れるんですね、人語。え〜、なに残念がってンの。

 故郷に用があるからと一週間の休暇をとった天城燐音に、尋ねてみたのは気まぐれだ。
「ついて行っても?」
「あァ? 観光地じゃねェぞ」
「構いません」
 HiMERUは一泊したら帰ります。仕事がありますので。あっそ、別にいーけど、田舎なだけで面白くもなんともねェよ? だから構いません、と。

 仕事、山ン中。そう言い置いてなだらかな裏山を登っていった天城に追従した。『君主さま』の働きぶりを拝見、と。なんてことはない好奇心で。

 そうしたら、竜だった。

「ここら一帯の山の主ってやつ。『君主さま』で大体合ってるっしょ?」
 てかあんま驚かねェのな。深紅の鱗の竜が唸るように喋った。驚きが一周回ると頭が冷えるものなのですよ。ぎゃはっ、確かに。伝説上の生き物と、ごく当たり前に会話が成立している。
「合っている……でしょうか」
「人間は細けェことばっか気にする」
 言葉尻から〝彼は人間ではない〟という瞭然たる事実をまた、ぶつけられる。ぶん殴られた脳がぐらぐら揺れるようだった。
 真冬の山中にあって剥き出しの指は赤く、足先は芯から冷え切って痛いくらいだ。静寂に研ぎ澄まされた五感が、HiMERUの直面している不可思議は実存であると訴えてくる。そんなわけあるか。
「……何してンの?」
「自撮り」
 幻覚の類なら写真に写らないのではないか、そう思いつき、おもむろにシャッターを切ってみる。蝙蝠の羽を馬鹿でかくしたような翼を器用に折り畳み、太い首を嫋やかにしならせて、天城は抜け目なく写り込んできた。車一台軽々と飲み込んでしまえそうな口の両端を持ち上げ、半分閉じた瞬膜で笑みの形をつくる。どうやってるんだそれ。如何にも人懐っこそうな顔つきに早くも懐かしさが過り、HiMERUは慌てて首を振った。
「どォ?」
「……」
「俺っち男前? なァなァメルメル〜」
 ばっちり写っている。全開笑顔の深紅の竜。ひとつひとつが道端の郵便ポストほどもある牙。マグマを溜め込んでいるかのように時折オレンジ色に発光する、二本の角。
 現実、か。腹ばいになった巨躯が面を持ち上げて懐いてくるのを、ぞんざいに顎下を撫でることであしらった。爬虫類(?)らしくひんやりしているかと思われた体温は意外にも覚えのあるそれ、狐につままれていると言い切るにはあまりにも、天城燐音の温度そのものだ。遅れて困惑が襲ってくる。

 四年に一度のおつとめ、なのだと言う。この姿になると三日三晩人型には戻れず、その間は山の洞窟に籠って飲まず食わず、五穀豊穣の祈りを捧げる。君主ってなんだっけ、少なくとも神さまとは別ものだったはずだが。いや、歴史上は王権神授説などがまかり通っていた時代もあるわけだけど。いやしかし。
「……なぜこんな重大な秘密を『俺』に……?」
 疑問が口から零れ落ちた。問うつもりはなかった、はぐらかされるだろうと思ったから。
 けれどHiMERUをぐるりと囲んでとぐろを巻いた長いからだの天城は、歌うように答えた。
「『おまえ』が知りたそうにしてたから」
 HiMERUは口を結んだ。頭を抱えてしまいたい。抱えないけれど。くそっ。喜んでなんかやらないからな、そんな理由で。
 どけ、の気持ちを込めて前を塞ぐ鱗にチョップを入れた。あっさり離れて行ってしまう尻尾がすこし寂しかった。数歩歩いて振り返る。
「……戻ったら食べたいものは?」
「ん?」
「椎名に頼んで用意してもらっておきますから。何が食べたいのですか」
 さあ言えはやく言えと急かすと、何がおかしいのか天城はふふっと笑った。軽く吐き出された竜の鼻息は強風となり、HiMERUの前髪をオールバックにした。
「ん〜、鍋かな」
「鍋?」
 それなら椎名に頼まなくとも、HiMERUにだって作れます。前髪を直しながらつまらなそうな顔をすれば、どうだか、と再び笑われた。断食明けにもかかわらずそんなものでいいとは、無欲なことだ。
「ンじゃまた、鍋パで」
「鍋パ……いいでしょう。ではまた」
 おう。気さくに片翼を上げて、竜は微笑んだ。

 ゆるい斜面を下りながらHiMERUは、何味の鍋にするか、リクエストを聞きそびれたことを思い出した。
 ──まあいいか。
 人間であれそれ以外であれ、仲間と囲む鍋の温かさを知っている。それで良かった。

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