問う、答える、問う、待つ


 触れる方法はいくつもある。頬を張ること、髪を引っ張ること、つまさきで小突くこと、肩をたたくこと、背中にもたれかかること、握手をすること。すべてが——そもそも顔を合わせる機会がないというのでもなければ——可能だ。どれを選ぶこともできるが、あれを選んでこうなるという明白な法則はない。あるいは背中にもたれることが自然なのか不自然なのか、握手はあたたかな友好なのかつめたい礼儀なのか、たったふたりの間で行き違うこともある。
 ここなにがうめーの、と三井が聞いた。年季の入った、何度か書き直された跡のあるメニューを、形のいい指が支えている。その爪が切り忘れられることはない。
「だいたいうまいよ、ラーメン以外は」
 おまえは? 麻婆丼。ふーん。L字のカウンター、テーブル二つ、内緒話には向かない店内で、すいません、という三井の声はよく通った。色あせたエプロンを低い位置で巻いた老年の女性が、時間給という概念のない足どりで油っぽい床を踏みしめる。「おまえも餃子食う?」「あー、うん」
 五目焼きそば、半チャーハン、餃子二枚、あと麻婆丼。他人が自分のぶんまで注文をすませるのを聞いているのが、水戸には不思議だった。それが往々にして自分の役割であることに気がつくと、役割というもののあいまいさにぶつかる。人が根本的に流動的な生きものであることを、誰もがいずれ認めることになる。
 三井が水をぐいと飲んで、八割がた空になったグラスにピッチャーから注ぎ足すと、その底からしたたる水滴がテーブルの表面に短い点線をつくった。水戸のグラスをちらりと見て、ピッチャーを元の位置に置く。三井がよく水を飲むのは、欲するからというより、習慣だろう。のどが渇いてもいないのに飲むことになんの意味があるのかと思いながら、水戸はほとんど無意識に、胸ポケットに指をのばしていたことに気がつく。むかし、あの水滴の点を指先でつなげたこと——たぶん小学生のころ——を思い出す。おざなりに拭いた跡が沈殿した合板、清潔とは言いがたいローテーブルだった。おそらく夏だったが、暑さよりも畳に射しこむ太陽光のくっきりとした輪郭をおぼえている。
 二度に分けてテーブルに運ばれた料理はすべてつややかに油をまとっている。エネルギーの使い道は人それぞれだが、これはとりわけ顕著であるように水戸は思った。自分とて腹が減るから食べるのだが、空くことも埋めることも、それはどこか惰性めいている。エネルギーの消費に価値も無価値もありはしないとしても、自分たちのそれを並べてみて同等性を認めることは憚られるだろう。価値だの意味だの、あるいは生産性などという下品なフレーズを蹴飛ばしてみるほど、それは脚にからみついて皮膚を覆うのだった。
 
 のれんをくぐった手が胸ポケットから煙草を取りだし、火をつけて、まずひと息に吸いこみ吐く。シュートのために適切なかたちでパスを受ける手のひらのように、それは反復によって染みついた動作だった。習慣というやつにもピンキリはあるものだと水戸は思う。三井は今日のうちに寮へ帰ると言っていた。詳しくは聞いていなかったが、あまり遅くなるべきではないだろう。「メシ食おうぜ、おまえのよく行くとこでいいから」。きのう受話器越しにそう告げた三井の用件は本当にそれだけであるらしく、だとすればもうこの街に用はないのだった。
 遅れて出てくるなり三井は、海見えるとこまで行こうぜ、とろくに返事も聞かずに、あの油をまとったようなスピードで歩き——彼にとって無駄にしてもかまわない時間があることを不思議に思いながら——拒むほどの理由もなく水戸は追従した。ところでこっちになんの用、と声をかけると、三井はちょっとだけ振り返る。端正な眉はぴくりとも動かなかった。
「だからメシ食っただろ。前みたいに会うこともねえしさ」
 そりゃそうだろうね。水戸が内心でつぶやいた相づちがどうやら顔に出ていたのを見とめた三井が笑い、それよりもいくらか低い声で言った。おお、海。そう口には出るものの、共有するほどの感動は、ふたりとも持ち合わせていなかった。この街で目新しい風景などほとんどない。水戸は手すりに腰をあずけて、夕暮れの光に紫煙がまぎれて消えるのを見送った。目も手も足もボールひとつに与えた男が見なかったものばかりを視界にうつして、灰が風に流れて、きっと最後には吸い殻だけが残る。
「あんたはなにがほしいの」
 水戸が問い、三井は今度はすぐに答えなかった。変化は毎日のなかではなく、交わらない日々と日々のあいまの一日に落ちている。ひとりが変わったねと言い、ひとりがそうでもないと言うとき、それはどちらも間違いではなく、確かなのは、事実と真実は異なるということだけだった。
「なに持ってってもいいけど。でも、おれが三井さんにあげられるもんはねえよ」
 三井はやや長い間のなかで、選ぶでも悩むでもなく、考えるようすだった。灰を落とす。三井の袖口が風になびいて、健やかな肌をつたって日が落ちていく。
「そんなんじゃねーだろ。おまえもそうなんじゃねえの?」
「なにが?」
「なにが欲しいとかあんのかよ」
 水戸が三井の言葉をほとんど信頼したのは、影響というものをついぞ考慮しないからだった。優位に立つための台詞、話の筋道を変えるための文句。傷つけないための、あるいは傷つけるための言葉。それは羨望でもあり、ただの好ましさでもある。そして好ましいものが好きだということは、くだらない同語反復のようでいて、水戸にとっては自分自身で感じられる唯一の美点だった。「あのさ」、秋の渚のようになめらかな声をひとごとのように聞く。
「おれは三井さんへの関心を、それなりに丁重に扱ってんだけど」関心。うん。丁重に。そう。三井の復唱を一つひとつ肯定して、水戸が続けた。「植物の世話みたいなもんだろうな。だから、おれはそれで事足りてんの」
 額で泳ぐ毛先を撫でつける。指のあいまの吸いさしがすこしずつ燃え去る。まるで柄の合わないパズルのピース、あるいはつじつまの合わない絵、それらを塗り替えようとはせずに見つめる視線を頬に感じながら、水戸は待っていた。待つことがなにを意味するのかを知っていて、それを受け入れていた。頬を張ること、髪を引っ張ること、つまさきで小突くこと、肩をたたくこと、背中にもたれかかること、握手をすること——話をすること。触れる方法はいくつもある。会話とは、数分であれ一日であれ、過去や未来ではなくここにいることなのだった。淡い波音が二度寄せて、沖へもどって、ふたたび寄せる前に、三井の声がする。
「オレだって関心ぐらいあるぜ」
「張り合うなよ」
「でも植物なんかじゃねえな。おめーは高校んときのオレだけでいいのかよ」
 それが親密さから導き出された言葉でないことを裏づけるように、三井は心底おもしろくないという顔をした。あのとき、そのとき、このとき、三井は断片化されたいくつかの自己を持っていて、それをひとつの連続体へ繋ぎあわせることを拒んだのは、三井自身ではなく断片への賛美だった。一度目の秋——それから一年が経ってまだとなりあっていることが不思議でならない——に、水戸は自分が言ったことをおぼえている。話の内容のほうはろくに記憶していないのだから、おそらく例によってバスケットの話だっただろう。いずれにせよ水戸は言った、中学んときのあんたなんて知らねえよ、と。そしてその幼稚な物言いには似つかわしくないほど爽やかな表情で、三井は笑ったのだった。二本目に指をのばすのは逃げのように思われて、心もとない両手をポケットにあずける。西日の切れ端がひどくまぶしかった。
「そうじゃないけどね。でも、わかんなくていいよ」
「おまえがよくてもオレがよくねえ」
「はは、ひでえ」
 そろそろ帰るだろ、と促すと、まだ、と三井が眉をしかめる。もう一本吸ってろ、と言うので、水戸はおとなしくポケットから手を引き抜いた。乗用車、オープンカー、二トントラック、原付。目の前の国道を走り抜けていく車体に反射する橙がやがて深い青に滲むころに、三井が「よし、わかった」と声をあげる。それは奇妙なほど清々しく、妥当な響きではなかったが、どこか真理めいていた。どのみち、夜のあとには朝と決まっている。
「なに?」
「また来るわ」
 はあ、と漏らした水戸を気遣うようすもなく、その眉のかたちに似た快活さで言う。「おまえも来いよ」「はあ?」
 暗い砂浜で人影がはしゃいでいた。甲高い声は、つぎの瞬間には不思議にしんと静まり、また遠くで声がする。それらが自分の生活にはまったく無関係であることを、水戸は悟った。つまり、夕暮れと夜明けの違いすらあいまいにした目の前の人間が、けっして無関係ではないことを思い知ると同時に。
「用事はなしでな」

 電車混んでっかな、とつぶやきながら歩き出した三井のあとを、二本目の紫煙が追った。ぴんと伸びた背中に声をかける。「メシもなし?」「おう」「試合見に行くのも?」「それはノーカン」
 信号の点滅する横断歩道の手前で、今度はからだすべてで振り返って三井が立ち止まる。すこし走れば渡りきれるだろう。それでも互いに、駆け出すそぶりすら見せなかった。となりに追いついて、それを眺めていた。やがて赤に変わり、また青が灯る。



2023.09.16
あいまの洋三、関心と口実

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