草むしり
人生で冷静沈着でいるには、思いもよらないことが起こるのが人生だと覚悟することだ、と誰かが言った。
小学校の担任か、はたまたテレビで見たのかももう覚えてない。
子どもの頃のことだ。
元々普通の人生を生きてるようなヤツなら、そういうこともあるやろうと思てた方がいいのは分かるけど、僕みたいに片親の子どもに、これ以上思いもよらないことが起こるとかあるんやろうか。
僕の思考回路は小学校に上がる頃には、こんな風に十分ひねくれていて、それなのに、頭の中から出て来るのは、『一般的な家庭に生まれた』誰かの『成功した人生』の模倣でしかなかった。
今では笑える話だが、あの頃はそれに疑問を持つことすらしなかった。
子どもの僕は、ああでもないこうでもない、とつらつら先の人生のことを考えながら、算数や理科のドリルを解いたり、他人からどんな風に見えたら有名大学に入りやすいかというようなことを考えたりしていた。
あの頃の自分に会えたら、そない頑張らんでもええで、と肩を叩いてやりたいくらいだ。
人生の曲がり角なんてもん、子どもの頭をひねって考えるよりもずっと簡単にやってくるもんや。
……あの頃の自分に何かアドバイスが出来るなら、何が言えるんやろうな。
丈の伸びた草を軍手でむしりながら、そんなことを思った。
草むしりはそれこそ小学生以来のことで、あの頃も不得手というよりは苦手の部類だったが、この年になってやらされると、横並びに全員やりましょう、の時代を経て一人で行うことになったわけで、嫌な作業、の『嫌』の度合いが増したような気がする。
そもそも、本業でない人間に管理を押し付けるには、この庭は広すぎる上に、学校の校庭と違って、この時期になるとアレがいる。
モスキート音を出して足元やら腕に近寄って来るヤツらが。
虫刺されの跡が痒いことを忘れるくらいにぐっすり寝られてはいるが、そうは言っても、電動の草刈り鎌をレンタルして作業が出来るというなら、いっそそうしたいくらいだった。
しかも、嫌なタイミングで邪魔が入ることが多い。蚊に食われることより何より、それが嫌だった。昨日は、麦わら帽子を被って草を取っているところに兄弟子三人ががやがやとやって来て、僕の頭の上の麦わら帽子が似合うかどうかを品評していた。「からかいに来たんならそのまま帰ってください。」と口にする前に、師匠も一緒になって僕の草むしりの様子を肴に縁側で落語の稽古をしていたのだからたまらない。
崇徳院という話は、聞いているだけでもほんまにアホらしい話やった。
布団に寝付いてしまえば周りが自然とお膳立てしてくれる。好いた相手がどこの誰とも知らん馬の骨だったというただそれだけのことで、調査費用を出し、探そうとしてくれる。そんな話というだけでも十分あほらしいのに、下げはその百倍はアホらしい。
稽古が終わった後で、引き返してここに戻って来た草々兄さんが、明日は早く来て朝の十五分だけ手伝ってやると言い残して帰って行ったが、あの後三人で飲みに行きでもしたのか、この時間になっても、影も形もない。
「シノブ、ちょっと休憩せえへん? 冷やしたスイカの残りが食べごろや。」
スイカの残り、というのは、昨日の草原兄さんが丸ごと買って来て食べ切れなかったスイカの残り半分ということだ。
スイカか、と思うと、首の裏辺りにじっとりとかいた汗がまたじわりと新しく滲んで来たような気がする。
庭の雑草は、ここまで毟ってあるから、後は後回しでええか。明日やればええやろ。
「すぐ行きます。」と威勢のいい返事をして、勢いよく立ち上がる。
立ち眩みでくらくらと眩暈がした。
とっさに「僕の西瓜には塩振っておいてください。」と言うと、「それ昨日は嫌や言うてたくせに。」と言って、おかみさんがころころと笑っている。
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