シンナグみじかいの

 夜更けは空気が冷える。換気のために開けた窓から入ってきた空気が、性行為の余韻を攫うようにシンの肌を撫でた。見れば、うっすらと鳥肌が立っている。半袖のTシャツと半ズボンではもう寒い時期だ。
 シンが契約している単身者向けのワンルームは大柄な南雲がいるだけで少し狭く見える。行為の前に投げ捨てたシャツを拾っている彼の背は丸く、その窮屈さが尚更部屋を狭く見せる。その様子をぼんやりと見ては、しょうもない行動ですら様に見える南雲を、なんだか腹立たしく思う。この腹立たしさには幾分の思い通りにならないことへの不本意が含まれていることに、シンは気付いている。
 拾った服をけだるげに身に纏おうとする南雲に、シンはいつものように告白の言葉を投げつけた。
「南雲、付き合えって」
「え~やだ」
 南雲は眉一つ動かさずに言った。そこにあるのは明確な拒否だ。シンは何に、とは言わなかったが、意図は伝わっているから問題が無い。拒否についても、特に堪えることはなかった。まあ、ちょっと腹立ちはするが。
 この可愛げの欠片もない告白は過去に何度も行い、その度にきちんと拒否され続けている。最初の頃こそ緊張したり茶化されたりもしたのだが、今となってはなんだか買い物でも頼むかのような気楽さで、告白をしては拒否をされていた。
 何度も体を重ねて、キスをして。告白をしてはフラれて。何をやっているんだ自分は、と思わなくもないが、それでもこの関係をやめるつもりはあまりなかった。いや、フラれるのだけはさっさと止めたいが。シンはジト目で南雲を見た。
「なんでだよ、他に付き合ってるやつでもいるのかよ」
 いつもなら、告白して、拒否されて、それでおしまい。別の話題へと向かっているが、今日は違った。そんな気分だったのだ。寒さのせいかもしれない。南雲も、シンがいつもと違うことに気づいたのか、じっと大きい目でシンを見つめた。いないけど、と南雲は前置きをする。
「シンくん、束縛しそうだし」
「はあ?」
 それこそ今更すぎる。お前が束縛なんか許すタマかよ、という言葉を飲み込みはしたが、シンは唸り声しか上げられない。けんもほろろ、という言葉がぴったりの様子に頭を抱えたくもなる。
 しかし、どうしても恋人という肩書きが欲しい。そもそもの話、シンがこんなにも恋人にこだわるのは、この男がセックスとキス、それ以上に踏み込ませないからで。でもそれは別に、恋人らしいことを期待しているわけではない。ただこの男の人生の隣にいたいだけ。人好きのする笑顔を浮かべる割に、懐には滅多に人を入れないのはもう分かっている。先ほどは揶揄したが、付き合ってるやつどころか、セックスをするほど身体を明け渡しているような相手もいないのだろう。ならば、どうせ空いてる彼氏とか言う席に、自分が座っても良いのではないか。
「本当に、頼むから隣に居させろよ……」
「隣かあ」
 必死の懇願もいざ知らず、南雲はへらへらと笑った。そんな彼に、シンはだんだん腹立ってきた。
「……初めての、キスも童貞もお前に渡したのに?」
「あはは、良かったじゃん。卒業出来てさ〜」
 泣き落としじみた言葉もさらりと流され、シンは恨みがましい視線を送るしか出来ない。でも、どうしても諦めきれない。そんなシンの様子に気付き、南雲は肩をすくめた。
「キスしてセックスして、別にそれって今までと変わらないのにねえ」
 彼の視線が窓の外を見る。本当に必要を感じていないと言った様子だ。それならと、シンは背筋を伸ばす。
「ちゃんとしてえの、俺が、お前のことを」
 黒い瞳がじっとこちらを見た。吸い込まれそうな大きな瞳だ。
「……なんだよ」
「今のはちょっとグッと来ちゃったな〜」
「じゃあ!」
「でもだめ」
「なんでだよ」
「シンくん死んじゃうから〜」
 南雲の思いがけない言葉に、シンの思考が停止する。死んじゃう、俺が? あまりにも想定しなかった発言に、シンは怪訝な顔しかできない。
「……俺、殺される?」
「んなわけないじゃん」
 本気で悩んで捻り出した言葉も、呆れた顔で一蹴された。だからもう一度考えるしかない。
 死んじゃうとはなんだろうか。そもそも人間はいつか死ぬ。そのことは南雲も勿論分かっているだろう。まさか不老不死を要求されている? かぐや姫か? いやそんなわけはないだろう、多分。
 シンが考えすぎて目を回しているうちに、支度を終えたらしい南雲が立ち上がった。
「じゃ、またね〜」
 窓の桟に乗り、そのまま南雲は帰って行った。直前までの性行為を感じさせない軽やかな動きだ。南雲を追うようにカーテンが揺れ、そして止まる。数秒後にはベッドの温度も冷え、ただポカンとした顔のシンだけが残された。
「あいつ、本当に意味分かんねえ……」
 そのつぶやきを聞く人は誰もいない。

 年が明けて程なく、南雲は久しぶりにシンの住むワンルームを訪ねた。坂本商店のシフトをなんやかんや手に入れており、特に連絡はせず、シンのオフの日を狙って行くのが恒例だ。別にセックスするだけなのだから、居れば運が良い程度ではある。しかし案外在宅の場合が多い。シンくんってば暇なのかな、と失礼なことを思っている。
 そういえば秋口に顔を出したきり、仕事が忙しくて向かうことができなかった。
 久しぶり〜なんて言いながら押し付けられた合鍵を使って入ると、めちゃくちゃに驚いた顔のシンがこちらを見ていた。タイミング悪かったかな? なんて思っているうちに、ズカズカと歩いてきて背中を押され、テーブルの前に座らされる。テーブルにはラップトップコンピュータが置かれていた。
 シンがスイスイとマウスを操作すると、ラップトップの画面には何やらパワポ資料が表示される。
 これ何? という問いには答えられず、その代わりテーブルに書類が置かれる。こちらは健康診断書と書かれている。受診者名は朝倉シン。あそこの商店、意外とちゃんとしてるな、いや個人的に受けたのか? シンくんが? まさか。そう思いつつ南雲はシンの様子を見ていると、資料説明が始まった。
 いやだから、これは、どういう状況だ?
 セックスしに来たら、何故か他人の健康診断結果とパワポを見せられている。流石の南雲でもこれは想像していなかった。
「これからも健康に気をつける。職も、お前より安心だと思う。それに危険なことに顔を出さない」
 動揺を隠せない南雲をよそに、シンはクソ真面目に説明を続けている。
 人間はいずれ死ぬが自分はそうそう死なないと思う。お前ほどじゃないが暴力に慣れているし。エスパーだから周りの悪意にも気付きやすいし。今の日本で、南雲の条件を考えるにほどほどの優良物件ではないかというプレゼンだった。
 つまりこれは、自分が恋人に相応しいことを説明するプレゼンというわけだ。
 シンが資料作成を得意だとは聞いたことがない。経歴的にも作ったことは無いだろう。よく見るとシンの目の下にはうっすらとクマが出来ていた。こんなものを作るためにクマまでこさえたということか。笑ってしまう愚かしさだ。
 南雲はひとしきり笑ったあと、健康診断書をしげしげと眺めてから床に捨てた。
「何がおかしいんだよ」
「必死だな〜って」
「必死にもなるだろ」
「寝不足だって健康を害するものじゃないの?」
 それは! と言い訳しようとするシンを見ながら、南雲は自分が前回言ったことを思い出していた。
 シンくん、死んじゃうから。
 そういえば、確かそんなことを言った。だとしたらさっきのプレゼンは、その言葉へのアンサーということになる。その馬鹿正直さに、南雲はつい笑い声を堪えきれなかった。
 大切なものなど、もう必要無いと思っていた。優しいものから死んでいくのであれば、失われたときに尚のこと辛い。だから、もう二度と大切なものをは作らない。そう確かに思っていたはずなのに。
 しかし目の前のシンはあまりにも眩しく、なんだかこれがずっと隣にいるのも良いのかもしれないと、南雲はぼんやりと思い始めていた。少なくとも自分を置いて死を選ぶようには見えない。まあなんか、それならいいかもな、そんか楽観的な考えが頭をよぎる。
 それで良いのか? という疑問を、その程度で良いのかも、という納得が、少しずつ覆っていく。
 南雲はシンに向き合った。その唇は、なんだかうるさいことを言っている。内容は、まあ、もう関係無いから無視するとしよう。そう思いながら唇をつまむと、むぐと苦しそうな声が聞こえてから静かになった。
「シンくんがそこまで言うなら仕方ないな〜。しょうがないから、付き合ってあげる」
 そう言った瞬間、シンの顔がぱっと明るくなった。あまりにも分かりやすい喜びように、なんだかちょっと面白くない。だから南雲は少し水を差すようなことを言った。
「僕より先に死なないでね〜?」
「……おう」
 南雲が思った通り、シンは気を引き締めたような顔をする。なんて分かりやすい、単純な男なんだ。あまりにも予想通りで、南雲はなんだか気が抜けてしまった。だからだろうか、南雲はつい溜息に混じり、呟いてしまった。
「捨てないでね」
 言った瞬間、リオンや豹、死んでいった知人たちの顔が南雲の脳裏に浮かんだ。
 そのとき、自分は捨てられたなんて思っていたのか、と南雲は初めて気が付いた。
 優しい人たちばかり、先に進んでしまうとは思っていた。しかしそれに対して自分が何を感じていたのか、考える暇なんて少しも無かった。
 オーダーとなってから、文字通り身を粉にして働き、泥のように眠って、思考の端をナンプレで埋めていた。南雲の生活はそればかりだ。その端々で赤尾という心残りに情報を拾っては、関係無いことに落胆していた。それら全てを、誰にも言えないまま。
 でも、それも全て終わってしまった。南雲はまだ殺し屋を続けているが、殺連はもう無いし、オーダーも勿論解散だ。赤尾はもうとっくに失われてしまい、その後始末すら終わった。自分には、もう何も無い。
 だというのに、求めてくる人がいる。こんなにも、バカみたいに。
 南雲は深く溜息を吐いた。もう何も無いはずなのに、まだ思うことがあるどころか、たくさん生まれてくる。それが南雲には不思議に思えて、少しだけ嬉しかった。
 きっと明日の空は青い。南雲の目の前で右往左往するシンを見て、何の根拠も無くそう思った。
 
 南雲が去ってから夜な夜な作ったプレゼンは何故か好評のようだ。ひとしきりバカだなんだと笑われたと思ったら、告白を承諾された。数週間の寝不足が報われたように思った。
 しかし次の瞬間には、南雲は何故か置いて行かれた子供のような顔で捨てないでと言った。でも、そんなの、こちらが言いたい。
 飽きないで。
 好きになって。
 捨てないで。
 それらをぐっと飲み込んで、隣に居させてと言ったのは、南雲が前回家にやってきた時のことだ。しばらく前のことなのに、そのときのことを鮮明に思い出せる。
 無遠慮な大きい手がシンの鼻に伸びてつまんでくる。
 なんだよと言えばケタケタと笑ってパソコンを床に落とした。がしゃんと嫌な音がする。シンは慌てて画面を見たが、先ほどと同じパワポが表示されていた。ほっと胸を撫で下ろしたシンを強い力が引き戻し、マットレスに押し倒す。目の前には、なんだか楽しそうな南雲の顔があった。
「恋人をほったらかしにするのは、悪いことじゃない?」
「お前……何度も断った癖によく言えるな……?」
「まあまあ、そんな細かいことは気にせず」
「こいつ……」
 腹立たしい事この上ない南雲の言葉に、シンは拳を握った。しかし殴ることはしない。そんなことをしたら怪我をするのはシンの方で、それは健康に害することだからだ。先程の約束を思い出し、いやでもその場合、俺を傷付けるのはこいつだよな? それはこいつが悪いのでは? そんなことを思ったが、とりあえず落ち着こうと思い、目を閉じて深呼吸をしようと息を吸った。
 ちゅ、とリップ音が鳴り、シンは慌てて目を開ける。
「……奪っちゃった〜」
 キスなんて何度もしているはずなのに。キスしてセックスして、それは付き合っていてもいなくても、変わらないはずなのに。
「……え、南雲、照れてんの?」
「……うるさいなあ」
 なんだか気恥ずかしそうな南雲を見て、シンは自身の悩みなんて必要なかったのかもしれない、と思い直した。

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