軍師天鬼、利土を描く(5)

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 それからというもの、天鬼は利土の筋書きを組み立てようとするたびに利鬼を呼びつけるようになった。
「山田利吉はここでどう思う?」
「知りません」
「何故だ」
「私は山田利吉ではありませんので」
「歳も近いし、同じ忍者だろう」
「それだけで同じ心理になるなら、世の忍者は苦労しません」
 勿論、本人なので分からないわけではない。むしろ分かりすぎるのが問題だった。天鬼が考える山田利吉は土井半助に長いこと懸想している。けれども相手を困らせたくないため口には出さず、傍にいられるだけでよしとしている。そこまでは利吉自身とさほど違わない。
 違わないからこそ天鬼から「ここで山田利吉は何を考える」「土井半助にこう言われたらどうする」と尋ねられるたびに、利吉は自分の腹の中を覗かれているような気分になった。
「──では、こうしよう」
 天鬼は筆を置いた。
「山田利吉として考えなくていい」
「それは助かります」
「お前自身で考えろ」
「何をですか?」
「懸想している相手のことを」
 利吉の動きが止まった。
「…………」
「いるだろう」
「何故そうなるんです」
「いないのか?」
 天鬼はごく普通に聞いている。利吉は少し迷ってから、諦めたように答えた。
「……いますけど」
「であれば、その相手を土井半助だと思って考えればいい」
「簡単に言いますね」
「駄目か」
「私の恋心を制作資料にしないでいただけます?」
 天鬼は少し考えた。
「名前は聞かない」
「最初から聞かないでください」
「どんな相手だ?」
「聞いてるじゃないですか」
「名前ではない」
「そういう問題ではありません」
「年上か?」
「天鬼殿」
「忍者か?」
「もう話を戻しましょう」
 利吉が紙へ手を伸ばす。その手を見ながら、天鬼はふと思いついたように言った。本当に、思いついたように。
「私か?」
「…………」
 利吉の手が止まった。今度こそ、本当に何も言えなかった。天鬼は特に冗談を言った様子もなくただ利吉の顔を見ている。利吉はゆっくりと天鬼を見返した。
「……何です?」
「お前が懸想している相手だ」
「それは分かってます」
「私かと思った」
 あまりにも事も無げに言われて、利吉はしばらく言葉を失った。心臓が大きく鳴る。何故──どこまで分かっている。まさか正体まで気づかれているのか。ほんの一瞬でいくつもの可能性が頭を駆け巡ったが、天鬼は首を傾げただけだった。
「違うのか?」
「……どうして、そう思われたんです」
「お前の態度を見ていたら、そうなのだろうかと」
「…………」
「お前は私に甘い」
「そんなことは」
「ある」
「ありません」
「頼めば大抵付き合うだろう」
「それは天鬼殿の部下だからです」
「世話もよく焼いてくるし」
「忍務です」
「私のことをよく見ている」
「忍者ですから」
 答えるたびに苦しくなる。何より腹立たしいのは天鬼の指摘がほとんど当たっていることだった。自分では隠してきたつもりで、土井にだって知られたくなくてずっと押し込めてきた。それを記憶を失った天鬼に、二次創作の資料を集める片手間のように見抜かれている。
「だから──そうなのかと思っていた」
 天鬼はあっさりと言った。その言い方が利吉には腹立たしかった。こちらがどれだけ彼の一つ一つの言葉に振り回されているか、この男は知らない。自分の腹の裡をこんなふうに言い当てておきながら、天鬼自身は少しも動揺していないのだ。
「──違います」
 利吉は言った。
「あなたじゃありません」
 思ったよりも強い声が出た。天鬼がわずかに目を見開く。もう引っ込みがつかなかった。
「あなたじゃない。あなたによく似た人です」
「…………」
 今度は天鬼が黙った。ほんの僅かだったが先ほどまで迷いなく動いていた視線も手元も止まり、利吉にはその沈黙が妙に長く感じられた。
「……そうか」
 やがて天鬼はそれだけを言った。
「はい」
 利吉もそれ以上は言わなかった。
 嘘ではない。好きなのは土井先生だ。目の前にいる天鬼と同じ顔、同じ声をしていて、同じ身体を持つ男ではある。それでも今の天鬼に「あなたではない」と言ったことは、利吉の中では嘘ではなかった。そう思わなければやっていられなかった。
「……では、話を戻そう」
「そうしましょう」
「山田利吉は、土井半助も自分を好ましく思っていると知ったらどうすると思う」
「……知りません」
「またそれか」
「私は山田利吉ではありませんので」
「では、お前なら」
「その話はもう終わりです」
 少しだけ険のある返答になった。天鬼が何か言いかけたように見えたが、結局そのまま口を閉じた。


 その後も二人であれこれと話し、少しずつ筋書きは形になっていった。土井半助は山田利吉の気持ちに気づいている。山田利吉はそれを知らない。土井半助自身も山田利吉を好ましく思っているが、相手の将来を思って応えない。そこへ、今までの関係をそのままでは保てなくなる何らかの出来事が起こる。
 まだ肝心のきっかけこそ決まっていないものの、最初の頃に比べれば随分と話らしくなってきた。
「今日はここまででいい」
「分かりました。では、失礼します」
「ああ」
 戸口へ向かう利鬼の背中を、天鬼は何となく目で追った。戸が閉まり足音が遠ざかり、やがてそれも聞こえなくなった。
「…………」
 静かになった部屋で、天鬼は原稿を見た。今日はかなり進んだはずだ。土井半助と山田利吉の感情も整理でき、どういう流れでそれを描写するかまで固まった。次に考えるべきは二人の関係を動かすきっかけである。あとはそれだけなのに──妙に集中できずにいる。
 ──あなたじゃありません。
 先ほどの利鬼の声が蘇る。
 ──あなたに、よく似た人です。
 天鬼は筆を取り、続きを何行か書こうとしてやめた。誰なのだろう。自分によく似た人。顔立ちの話か背格好の話か、はたまた声や雰囲気か。忍者であれば変装という可能性もある。そこまで考えて天鬼は眉を寄せる。
(……何を考えている)
 利鬼が誰を好きだろうと自分には関係がない。名前すら聞かないと言ったのだからそこで終わりでいいはずだ。そう思うのに、考えがやまない。それではこれまで利鬼が自分を見て赤くなったことも、目を逸らしたことも、近づけば妙に緊張していたことも──あれは全部。
「……その男に似ているからか」
 口に出すと、胸のあたりがまた妙にもやついた。以前、利鬼に他の男を相手に実演させようとした時の苛立ちとも違う。今度はもっと分かりにくい。これまで利鬼がこちらへ向けていたと思っていた反応のその先に別の男がいる。微笑ましいと思っていたあれは自分を見ていたのではない。自分によく似た誰かを見ていたのだ。
 それの何が気に入らない。考えても答えは出ない。利鬼が誰かを好きだということが嫌なのか。それが自分ではないことが嫌なのか。それとも自分によく似た男を見ながらこちらに心を乱していることが嫌なのか。どれも似ているようで少し違う。
 ただ、もしも本当に利鬼が自分のことを好きだったなら、あの赤くなった顔も、逸らした目も、こちらの言葉に一喜一憂する様子も、全部自分のものだった。
「…………」
 そこまで考えたところで、天鬼は勢いよく原稿に視線を戻した。
「……ぷろっとだ」
 そうだ。今考えなければならないのは利土のプロットである。利鬼の恋愛事情ではない。ましてや自分が誰に好かれたいかなどという話では断じてない。
 天鬼は気を紛らわせるように筆を取った。
 土井半助は山田利吉の懸想に気づいている。山田利吉は土井半助も自分を好ましく思っていることを知らない。この二人の関係をどう動かすか。そこを考えなければならない。女中は、大きな事件を起こせと言っていた。だが必ずしも大事件でなくてもいい。関係を無理に壊すほどの出来事でなくとも、どちらかの心が大きく動くきっかけさえあればいい。
 天鬼は筆を止めて考えた。
 たとえば──嫉妬。
 山田利吉か土井半助のどちらかに別の相手を近づければ、隠していた感情も表へ出やすくなる。
(とはいえ桂男を出すと……途端に陳腐になる気がするな)
 桂男。要するに間男である。横から別の男を出して、相手を取られそうになって初めて自分の気持ちへ気づく。確かに分かりやすいが……あまりにも分かりやすすぎる。天鬼は少しばかり可笑しくなって笑った。
「芸がないか」
 ふと、女中の言葉が思い起こされた。
『天鬼様に足りないのは実践です』
 恋愛物を描くためには実際の距離感や反応を見た方がよいという話だった。人の心がどう動くのかを頭の中だけで組み立てるより、実際にそれに近い状況を作って観察した方が早い。軍略でも、机上で兵を動かすだけでは分からないことがある。地形を見て、兵の癖を見て、敵の反応を見て初めて読める流れもある。
「……実践か」
 そこで、笑みが消えた。先ほど聞いた言葉が、またもや胸の中に落ちてくる。
 ──あなたじゃありません。
 ──あなたによく似た人です。
 やはり、胸の奥がわずかにもやつく。なるほどこれかもしれない。誰かが実際に相手を奪う必要はない。好ましく思っていた相手の心が自分のものではなかったと知るだけで、人はこれほど落ち着かなくなるのだ。
「……使えるな」
 天鬼は筆を取った。
 ──土井半助が、山田利吉が他の誰かに心を移したことを知る。あるいは最初から、自分ではなく別の何かを見ていたと分かる。そこで心が初めて乱れる。
「……ふむ」
 悪くない。少なくとも、ただ間男を出すよりはいい。しかも今、自分の中にあるこの妙な感覚を使えば、土井半助の心理も描けそうな気がする。
 自分によく似た誰かを、利鬼は好きだと言った。その言葉を聞いた時、何故あんなにも胸がざわついたのか。何故それを嫌だと思ったのか。そこを考えればいい。
 天鬼は少し気分が軽くなった。
 これは作劇上の研究である。そう思えば、胸のもやつきも多少は意味のあるものに思えた。
「よし」
 まずは土井半助に、「山田利吉の気持ちはもう自分には向いていないかもしれない」と思わせる。そこから何が起きるかを見る。問題はそのきっかけをどう作るか。そして土井半助の焦りを知った山田利吉がどう動くかだ。
 天鬼は筆を指先で転がしながら考え──ふと目を細めた。
「……実践」
 利鬼。
 山田利吉と年齢も近く、懸想する相手がいる。しかもその相手は自分によく似た男らしい。ならば少し状況を変えて反応を見れば、山田利吉の心理を考える材料になるかもしれない。そう考えて、天鬼はよしよしと頷いた。
「試してみるか」
 何を試すのか、まだ具体的には決めていない。けれどもそれを考えている天鬼の顔は、いつの間にか軍議の最中とほとんど同じになっていた。

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