たっちゃん

オリジナル百合。年末年始に地元に帰ってきた新卒の女が、ふらっと入った近くのコンビニで同級生のたっちゃんと再会する話です。


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「それでもあの子、結局すぐ出戻ってきたでしょ。ほんと勝手っていうか、まだまだ娘気分っていうか」
 伯母さんのその言葉で、父も母も笑っている。従弟の光輝くんはまだ小さくて話の意味が分からないみたいできょとんとしていた。私も、意味なんて分かんなかったら良かったのに。
 光輝くんの年の離れた姉、つまり伯母さんの娘である陽菜子さんの話だった。陽菜子さんは私の6つ年上で、東京で暮らしている。離婚した直後、確かにほんの少し実家に帰ったけど、すぐに東京で一人で生活し始めたらしいのに、なんで「出戻り」なんて、そんな風に言うんだろう。結婚してみてやっぱりだめだったというなら、だめなままずっと一緒にいるよりも早く別れた方がいいだろうに、どうしてそんなに非難されないといけないのかな。
 まぁ私には全く関係のない話だけど。
「それにしたってあんたとこも」
「え? なにが。お姉さん」
「なにって、ねえ? 早紀ちゃん」
 急に水を向けられて、おかきを喉に詰まらせそうになった。やばい、きた。私に関係ないままにはしてくれなかった。というか本当に一番言いたかったのはこれだったのかもしれない。もごもごとおかきを嚙み砕いて飲み込んでしまってから、一応笑顔を貼り付けて、なんですかと聞いてみる。
「ほらほら、そろそろ誰か良い人いないの?」
「うーん、いないですね」
「もう、そんなんじゃだめよぉ。子ども産めるにも限りがあるんだから。若いうちがいいのよ。20代前半ならまだまだ引く手あまただから。誰か紹介してあげようか」
 ニッと笑う伯母さんに、私は首を傾げながらハハハと笑う。こういう時、なんで私が笑わないといけないんだろう。両親の方を見やると、伯母さんの言葉に頷いている。普段そのテの話は全然振ってこないのに、本当は心配で心配で堪らないんだろうな。
 私が思ってること、全部言っちゃったらどうなるんだろう。両親は私に何て言うのかな。考えただけでも面倒くさすぎて、息をするのが億劫になる。結婚したいって思ったら誰もが結婚できる世の中だったら、私もこんなにひねくれてなかったのかな。
 ドンと音がして、光輝くんがこたつ机の上に倒れこんでいた。電気ストーブのコードを踏んづけて転んだらしい。その場の視線は一気に光輝くんに向けられて、伯母さん達がすぐさま介抱している。転がった湯呑の中には幸い何も入っていない。光輝くんに怪我がないのを確かめて、お茶を淹れなおすことになった。
 そのどさくさの中で、私はコンビニ行ってくると言って家を出ることにした。
 玄関を開ければ空は重たいグレーで、びゅうびゅうと北風が吹きつけてくる。どう考えても出掛けるよりは温かい部屋の中にいた方がいいだろう天候。しかし振り返って家の中の温かさの根底にあるもののことを考えて、やはり足を踏み出した。

 年始の住宅街を歩いている人なんてほとんどいない。通り過ぎて行った乗用車の中には、はしゃぐ子どもや着物を着た女性が見えた。あんな風に私も楽しめたら良かったけれど、遊びに行くエネルギーなんてない。労働から離れて実家でゆっくりしようなんて考えは早々に打ち砕かれた。年末は掃除やおせちの準備でこき使われるし、年始にやってくる親戚はあんなだし、全然ゆっくりしていない。そもそも遊ぶとして、地元の同級生が何人くらいこっちにいるのかすらよく知らなかった。
 とにかく外に出たくてこうして出てきたが、これといって目的もなかった。とりあえず自分の言葉通りコンビニにやっては来たが。
 夕方に差し掛かろうとしている時間帯だからだろうか、店内は空いていた。私はぶらぶらと歩きながら、全部の棚を見て回る。定番のお菓子の冬限定の味が出ていた。カップ麺の棚はやけに激辛を推している。冷蔵品のコーナーには野菜やバナナなんかがやけにたくさん置いてあって驚いた。私が一人暮らしをしているマンションのすぐ近くにもここと同じ看板をしたコンビニはあるけど、ちょっとずつ違いがあるのが面白いなと思う。この辺りは歩いて行ける距離にスーパーがないから、青果品の需要があるのかもしれない。
 結局手にしたのは雪見だいふくだった。生チョコ味のもあったけど、定番のバニラのやつを選んだ。こんなに小さかったっけと思いながら手に取ると、先程北風に吹き付けられた指先を、キンキンに冷たいパッケージが容赦なく冷やしてくる。心持ち早足になってレジに向かった。
「151円が1点」
 バーコードが読み取られ、一瞬で会計が終わってしまう。それもそうだ、一つしか買っていないのだし。袋いりますかと聞かれて頷いた時、レジの店員と目が合った。
 たっちゃんだった。
 たっちゃんはこちらには気が付いていないようで、レジ袋の分の料金を打ち込んでいる。明るい茶色の髪が肩の上で揺れていた。随分おとなしくしたんだなと思った。初めて会った時のたっちゃんは短い髪を金髪に染めていたから。

 たっちゃんと私は小・中学校時代のクラスメイトだった。たっちゃんのフルネールは辰川沙姫。私の名前が田嶋早紀。だから五十音順で席に着くと、たっちゃんが私の後ろになる。
 最初にたっちゃんって呼び始めたのは誰だったんだろう。私もたっちゃんもどちらも「さき」だったから、間違えないようにって名字から取ってたっちゃんって呼ばれ始めたんだったと思う。でも私のことはみんな「さきちゃん」って呼んだ。なんかさきちゃんっぽいからって言われて、それを誉め言葉として受けて取ったけど、たっちゃんから「さき」を奪ってしまったような感じがして、なんだか後ろめたかった。だってたっちゃんの名前にはお姫様の「姫」っていう字が使われているのに、きっと相応しいのはたっちゃんのはずなのに、私なんかがとっちゃっていいんだろうかって。
 たっちゃんは他の子とは明らかに違う子だった。特別だった。金色の髪はもちろん教室で誰よりも目立っていたけれど、それだけじゃなかった。たっちゃんは一番後ろの席だったので、椅子をずいぶん後ろに引いて、4本ある脚のうち後ろの2本に体重をかけて、組んだ足を机の上に乗せていた。担任にやめなさいと言われても、こうして座ってる方が楽だと言い返していた。最初はとっても怖い子だなと思った。他のみんなも同じで、気軽には声をかけられなかったけれど、話してみると案外普通に何でも喋ってくれた。女子がみんな好きだった可愛い文房具には興味がなかったみたいだけど。
 たっちゃんはハッキリと物を言う子だった。授業中に当てられた時、分かる時にはちゃんと答えたし、分からない時には分からないとちゃんと言える子だった。たとえ間違っても、分からなくても、それを恥じたりはしなかった。今分かるようになったんだからそれでいい、そういうさっぱりとした態度がなんだか大人っぽくて格好良かった。
 たっちゃんはドッジボールが強くて、投げる球はどれも豪速球。強い球を投げてこられても絶対に受けることができた。相手のチームの男子が、ドッジが苦手そうな女子を狙い打ちし始めると必ず守ってくれた。
 やがて男女分け隔てなくクラスの信頼が厚くなっていった。クラスで何か出し物を決めるとき、たっちゃんがやりたいと言えばみんながそれに賛同した。

 たっちゃんは時々物凄く機嫌が悪いときがあった。
 いきなり机を蹴ったり、上履きを黒板に向かって放り投げたり。それを押さえようとする先生を突き飛ばしたりした。でも給食を食べると大抵おとなしくなって、帰る頃にはいつもの気のいいたっちゃんに戻っていた。帰りの会で担任に促されてごめんなさいをすることもあった。
 小学校最後の年、たっちゃんが一週間ほど行方不明になったことがあった。最初は風邪でも引いたのかと思っていたけど、どうやらそうではないらしいと風の噂で聞いた。たっちゃんが住んでいるのは私の家があるのとは反対側の区域で、そっちに住んでいる子が言っていた。団地の辺りを警察が捜索していたとか、いなくなった日の前日にたっちゃんの家から激しい口論が聞こえてきたらしいとか、そういう内容だった。
 しばらくしてたっちゃんは戻ってきた。久しぶりに学校に出てきたたっちゃんはそれまで以上に大人びて見えた。
 地元の中学に進学し、クラス表を見た時、私の名前の次にたっちゃんの名前はなかった。同じクラスではなくなったんだと思った。中学はクラス数が多いからそんなものだろう。それに、もしたっちゃんが後ろの席になったとして、何と話しかければいいか分からなかった。
 最初のホームルームでみんな自己紹介をしていって、その終わりがけに扉が乱暴に開けられた。たっちゃんだった。たっちゃんが教室に入ってきた。随分金髪の、プリンでいうとカラメルの部分が多くなった髪を振り乱して、一番奥の窓際の席を蹴とばすようにして座った。
 担任がたっちゃんを呼ぶ。
「渡辺だな? 初日からえらい遅刻だな。今自己紹介してるから、番が回ってきたらよろしく」
 たっちゃんは担任の方を睨みつけるように一瞥して、気だるそうに、俯くみたいに頷いた。
 渡辺沙姫。それがたっちゃんの新しい名前だった。

 私は中学では吹奏楽部に入部して、練習漬けの毎日を送ることになった。思い出の9割は部活のこと。たっちゃんはほとんど学校に来ていないみたいで、上の学年の不良っぽい人たちと一緒にいるのを何度か見かけたくらいだ。
 一度だけ、保健室で鉢合わせたことがある。私が体育の時間に派手に転んで、手当をしてもらいに行った時だ。自分の膝に大げさに巻かれた包帯を見て、家に帰ったらお母さんびっくりしちゃうだろうな、怪我は大したことないのになんて思っていたら、ベッドから誰かが起き上がる気配がした。
「あら沙姫ちゃん、起きたの」
 包帯を片付けていた保健の先生が振り返る。
「うっせ。その名前で呼ぶんじゃねえわ殺すぞ」
「もう、物騒ね~。いいじゃない、可愛い名前なんだから」
 私はすっかりたっちゃんの物言いに気圧されていたけれど、先生は微笑みながら受け答えしていて、たっちゃんがここによく来ているんだろうことが察せられた。
「まじキモ。二度と呼ぶなよ。自分の名前死ぬほど嫌いだから」
「はいはい、どうもすいませんでした渡辺さん。頭痛は大丈夫?」
 たっちゃんはそれには返答しないで、そのまま出て行った。
 その時、私の胸に込み上げてきたのは安堵だった。
 私はたっちゃんから「さき」を奪ってしまったのではなかったのだ。たっちゃんが「さき」をそんなに嫌だったのなら、私が「さき」でよかった。本当によかった……。たっちゃんは「たっちゃん」になるべくしてなったのだ。もう辰川ではないからたっちゃんではないのかもしれないけれど。
 その後私もすぐ保健室を出たが、もうたっちゃんの姿はどこにもなかった。
 それからたっちゃんのことを見た記憶がなかった。卒業式の時も来てなくて、確か数年前の成人式の時も見なかった。どこで何をしているのか全然知らなかったけれど、こんなところで会うなんて。

「ええっと、154円ですけど」
 言われてはっとして、トレーに小銭を置いた。ぴったりの金額は持っていなかったので、46円のお釣りをもらう。財布をしまってレジ袋を手に持とうとしたら、たっちゃんが私の方をじっと見ていた。
「もしかして、さき?」
 呼ばれて、一瞬息が止まるかと思った。店内には私とたっちゃんしかいなくて、合宿免許のCM音声だけが高らかに響いている。
 ぎこちなく頷いたら、たっちゃんがぱあっと笑った。
「そうそう、さき。田嶋早紀だよな? ははっ、懐かしいな」
「うん。たっちゃん、元気?」
 話し出すと案外ちゃんと話せたことに驚いた。そうだ、たっちゃんは昔からこんな感じで、実はすごく人懐っこいのだ。あの頃から私のこともずっとさきって呼んでくれていた。その名前は嫌いだったろうに。
「元気元気。ってかそれ。久しぶりにそのあだ名で呼ばれたわ」
「だって、たっちゃん以外しっくりこないし、なんて呼んでいいか分かんないから」
「下の名前一緒だしな」
 穏やかに笑い合う。こっちにいるのか聞かれて、帰省してるだけだと答えると、確かにここらで見かけなかったと言われた。たっちゃんは高校卒業後に結婚した後、5年で離婚して今はこの辺りに住んでいるらしい。
「もっといろいろ話したいとこだけど、もうすぐシフト終わるし、子どもがさ」
「子どもさん、まだ小さいの?」
「4歳。近所の人が見てくれてて。別にいいよって言ってくれるんだけど、やっぱり何時間もってなると悪いし」
「そっか。シフト終わったら早く行ってあげなきゃね」
「うん」
 たっちゃんと子ども。同級生に子どもがいることには大抵驚きや違和感の方が先に立つけれど、たっちゃんであった場合、なんだかすごくしっくりきて、それが嬉しかった。
「じゃあ、仕事中ごめんね」
 軽く手を振って歩き出そうとしたら、たっちゃんが、あのさと言った。
「ずっと言いたかったんだ、犬の消しゴムのこと」
 言われて私は目をぱちくりさせる。何のことだっただろう。
「ほら、小4の時。貸してくれて、そのまま貰っちゃった消しゴムだよ」
 小4。貸した消しゴム。犬。
 記憶を手繰り寄せて、ようやく思い当たった。
 あの日は次の時間に小テストがあるのに、たっちゃんは消しゴムを忘れて困っていた。当時色んな可愛い形の消しゴムを集めるのが流行っていて、私はいくつか持っていたので、そのうち一番地味な黒い犬の消しゴムを貸した。テストのあと返してくれたけど、あげると言って渡したのだ。
「あの消しゴム、消しにくかったでしょ。可愛さだけで作られたやつだったから」
「うん。確かにそうだった。でも嬉しかったんだよ」
「消しゴムが?」
 急にそんなことを言うのがなんだか可笑しくておどけたように返したけれど、たっちゃんは真摯なまなざしをこちらに向けていた。
「あの頃くらいから、私ちょっと荒んできてたろ? 家で色々あって。でも、あの犬の顔がばあちゃんちの犬に似てて。それで消しゴム見るたびほっとしたんだ。だから、ありがとう」
「そんなの、私なんにもしてないよ」
 どう答えていいのか分からないままそう言うと、たっちゃんがあっという顔をした。私の後ろに別のお客さんがいるのだった。慌ててそこから離れる。たっちゃんはすぐにその会計を終えて、そのお客さんを見送ってから、改めてこちらに手を振った。
「じゃあ、また」
「うん、またね」
 胸元のネームプレートには「渡辺」と記されてある。それを見ながら、彼女の名字がこれまでにどれだけ変わってきたのかを想った。そしてこれから先、どうしたってもう「辰川」に戻ることはないのだろうなとも思った。それでもたっちゃんはずっとたっちゃんだ。
 コンビニを出ると、さっきよりも空気が冷たくなっていて、耳がきいんとした。ガサゴソとレジ袋が揺れる。ちょうど家に着く頃には雪見だいふくは少し溶けているだろう。それでも、なんとなくまだ帰りたくなくて、私はなるたけゆっくりと歩みを進めながら、コンビニの方を振り返る。
 「またね」が社交辞令ではなくて、本当にまた会えたらいいなと思った。
 雪が降り出して、見上げていたら額の上に舞い落ちて、溶けた。

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