全部、嘘。




 なんでも嘘になる日がある、と言った。そうか、とローは小さく呟いた。肘をつき、指の先でこめかみを支えるようにしてゾロを眺めている。カウンターにローと並んで座るゾロは、目の前の樽型ジョッキに注がれた酒を喉へと流し込む。小さな店内はそこそこ混んでいた。テーブル席の客たちが楽しげな声で笑っている。ともすれば笑い声でかき消えそうなほど小さな声でローが聞いた。
「その、なんでも嘘になる日はいつなんだ?」
「四月一日」
「へぇ。昨日か」
 ローは首を少しだけ傾げてゾロを見ている。ゾロは片目を滑らせてローと目線を交わす。ローのジョッキは随分前に空になっていた。油断のならない暗い目が二つ、ゾロを捉えている。心の内側を覗くような目だ。知らない話じゃないだろうに、ローは初めて聞いたという顔をしている。茶番と白々しさの合間に潜んだ本音は、いっそいじらしくもあった。
「ゾロ屋はつきたい嘘でもあったのか」
「おれは嘘は好きじゃねェな」
 それにおれのつく嘘はすぐバレる、おれは嘘をつくのが下手なんだ、と続けると、ローは僅かに肩を揺らして笑った。違いねェな、と言う。「お前の嘘はうまそうだ」言うと、ローはそれも違いねェ、と応えた。安酒を煽る。ジョッキはすぐにでも空になる。四杯目を頼むかどうかを悩みかけたゾロに、ローが今日一番の密やかな声で言った。
「ところでゾロ屋。これは嘘なんだが、おれはお前に惚れている」
「そうか。嘘にしちゃあよくできてる」
「おれはお前に惚れてるし、お前を抱きたいと思うし、お前を俺のものにしたいと思うし、いつかお前と本気でやり合いたいと思っている」
「そうか。そいつは悪くねェが」
 ローの口調も表情も、ずっと平坦なままだった。静かな声がただ淡々と嘘を言う。
「嘘なんだろ?」
「ああ。嘘だ」
 ゾロは空になったジョッキをカウンターの上に置いた。ジョッキを上からしばらく眺めてから顔を少しだけ傾けて、ローを見た。ローは先ほどと同じ態勢でゾロを見ていた。二人の距離は一メートル弱。こんなに煩い酒場では、耳を澄ましても呼吸の音は聞こえない。短く息を吸う。
「トラ男。なんでも嘘になる日は今日じゃねぇぞ」
「それはさっき聞いたから知ってる。昨日なんだろ?」
「じゃあお前のそれは嘘にはならねぇな」
「お前が嘘にしたくなけりゃそうなる」
「嘘にしてほしいか。トラ男」
 おれはできるぞ、と続けると、ローは目を眇めた。下手な嘘だ。嘘をつきやがれと悪態をつけばいいのに、ローは何も言わなかった。ローは何かの言葉を口にする代わりに、ゾロから視線を外して遠くを見た。
 なんでも嘘になる日があった。でもそれは今日じゃない。このやりとりが昨日だったらよかった。なにを聞いても何を口にしても嘘にできたし嘘にしてやれた。でも今日はもう四月二日で、なんでも嘘になる日じゃない。だからローは「嘘にしてほしい」か否かを答えないといけないし、ゾロは「嘘にするか」否かを決めないといけない。酔客がドッと笑い声を上げる。天井から吊るされたランプには埃が溜まっている。場末の酒場は不健康で満ちている。
 あと少しでローの目線がゾロへと戻ってくる。嘘にできない日に口にした嘘の行方が決まる。

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