斜め三十度下/山月(2024.6.29)
「ツッキー、だめ?」
山口が甘えるような声を出して、舌打ちが出そうになるのを必死で飲み込む。十センチ少々しか変わらない身長でも、下から上目遣いで覗き込まれるのは、かなり。
「だめ」
「なんで!」
む、と下唇を突き出すしぐさは成人して五年は経った男とは思えないが、成人して五年は経った男にかわいいと思ってしまうのが月島の恋なのだった。ベタなことを考えながら、月島は山口の身体を押して距離を取る。
「ね〜ツッキ〜」
「山口、疲れてるでしょ」
「でもしたい!」
「途中で寝るんじゃない」
「寝ない!」
大体こっちはこの一週間残業続きのお前を気遣ってやってるのに。隈こそないがくたびれて、いつもより覇気がなく見える。終電とまではいかないが、遅く帰って、腹を満たして身を清めたら寝るだけの生活をしていたんだから、週末くらいちゃんと眠ればいい。
ツッキー、お願い。山口が言葉を重ねて、小首をかしげる。寝室の入り口で立ったまま攻防を行うくらいなら早く布団に叩き込みたいのだけれど、説き伏せてしまってからでないと山口は絶対に手を出してくる男だ。さすがにこの長身、ソファでは寝られない。
正直、たまらない気持ちにはなる。世の平均的な男性よりもずいぶん高い山口が、こうして見上げるような相手はそういないだろう。目線が上の相手に甘えるための手法を山口が覚えたのは月島のせいだと思えば、溜飲も下がるし、ぐらつく。山口もそれをわかって、追撃とばかりに月島の服の裾を握った。
「今日は絶対早く上がるからって言ったよね?」
「う」
「僕は頼んでないのに」
「えっと〜……」
相手の非を言い募れば、山口は分が悪いことを悟ってもごもご詰まる。山口が繁忙期であることや、帰りが遅いことに怒っているわけではなく、その状態で行為に及ぼうとして結果的に休息を蔑ろにしていることとか、しなくていい約束のために無理をするところを諌めたいだけだ。
「僕がどんな気持ちで待ってたと思う?」
「えっ! ツッキー、期待してくれたの?」
ここが勝負、と眉を顰めて述べる月島に、山口は華やいだ声をあげたかと思えば、ぱっと表情を明るくした。してない、とすげなく返しても、上がった口角が下がることはなかった。失敗した。
「途中で放置される側の気持ちも考えるべきでしょ」
「それは大丈夫」
俺がツッキーのこと放って寝ちゃったことあった? 焦って苦肉の策として絞り出した文句に、山口は微笑みながら言い放つ。瞳の奥にじわりと熱を浮かばせて、柔らかな表情とのギャップがずるい。ぞくりと背筋を駆ける興奮に思わず身を引いても、山口がたやすく距離を詰めた
頑張って切り上げてくるから、と昨日の夜に言われて、月島だってなにもしなかったわけではない。山口から、「やっぱり無理そう、ごめん」の連絡が入るまでの間に、月島はすっかり己の支度を整えてしまっていた。からっぽになった腹が疼く。
ないでしょ、と自信満々な山口が月島の手首を掴んだ。確かにない。どちらかといえば月島が先に意識を手放すことの方が多いのだった、こちらは長いこと鍛えているスポーツ選手だというのに。反論できなくて黙り込む月島を、山口が陶然とした顔で見上げてくる。それは、もう上目遣いなんて可愛いものじゃなくて──。
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