見たわよプロジェクトヘイルメアリー
映像の話ではあるけど、宇宙SFって実はちょっと怖い。あのわけわからんほどの黒い空間に放り込まれる虚無への恐怖、大海に放られる恐ろしさとはちょっと違う次元の絶望を感じる。苦手度でいうとホラーとかスリラーと近しい。
スプラッタもゴアもスラッシャーも映像として見るのは本当に苦手で、和製ホラーも当然大変怖い。それに近いものを感じてしまうのが宇宙SF。映像の話で小説やゲームはまた別なんだけど。
原作を読んだのは一昨年ぐらいだったと思う。シム系のゲームゆっくり実況をオススメされるまま見てて、とあるシリーズ最終話のタイトルが『たったひとつの冴えたやりかた』だった。
その小説を読んだのは高校生のときだったんだけど、タイトルクッソかっこよくない!?としびれて手にとったのがきっかけだったのを思い出した。二次創作界隈でも相当擦られてる文言だよね。そんで近年話題になってたなぁ、まだ読んでなかったなぁと読む気になったプロジェクトヘイルメアリー。「ヘイルメアリー」って込められたであろう切実さもいい。アルマゲドン的な話だよなと想像もした。宇宙的危機にさらされる決断はどうしたってドラマティックだ。SCP財団のtaleもだいたいそうだ。悲劇的でメリバも多くて。『火星の人』を書いた人の本だし。面白いが保証されているも同然だ。勝ち確である。よっしゃ風呂入ってくるわとポチった。
で、面白かったわけよ。ユーモアがあって、孤独も郷愁も愛もあって。私にもっとエンジニアや科学の素養があったならより面白いんだろうとも思うけど素直に面白かった。紙で読むことをオススメしたい。京極夏彦ばりに話の流れと改行・改ページ構成に気を使われた編集がされている。京極御仁は自ら意図的に文章の長さで調節してるとかいう怖いことおっしゃっていたけども。
初鑑賞まで公開から一週間空いてしまったので、ネタバレを恐れたというより人の感想を摂取する前に自分の感想を吐き出したかったというのもあってXでは気を使った生活をしていた。刀ミュの歌合わせ以来ではなかろうか。いや歌合わせはネタバレ厳禁だったからみんな気を使っていたけれどもさ。
映画の内容にあまり深く切り込まずにでも内容に軽く触れつつも初見、一回見ただけのうろ覚えで色々思ったこととか連想した既読書・鑑賞映画などをメモ的に羅列していくま。
原作の人類を救うという壮大さとその中においてミニマムな感情のやりとり、科学者という人、権威という力のやりとり、深刻さを想像はすれど、時間や個人の絆と人類の願いに思いは馳せども、ユーモアの軽快さ、ゴールデンレトリーバーほどの大きさのロッキーとのコミュニケーションが愛しくてわくわくさせてくれる。
・『ご冗談でしょう、ファインマンさん』
かのマンハッタン計画(第二次世界大戦時核爆弾開発)にも参加していた物理学者ファインマンのエッセイ。難しい物理学の話より権威クソくらえテヘペロないたずらの話が多い。そばにいてほしくはないけど聞く分にはクッソひでぇwwwという感じ。感情的な内面の話はすごく少ない。からこそ、その少なさに切実さの輪郭を見るエッセイ(自己解釈)
PHMの映像もそういう効果的な部分はあったと思う。削られたエピソードより、ドラマティックで迫力のある画面作りは映画のエンターテイメントとして正しいと思うし、さりげなく映り込む、サラッと口をつくセリフから受け取れるバックボーンに色々を思い描くことができた。
・『インターステラー』
ハイハイハイ、ノーラン大好きワイが一生懸命見た宇宙SF映画。科学的選択の要素に、「愛」は含まれまぁす!!!重力と量子力学的な参照もあるので時間軸のギミックも盛大だし監督の作家性が強いせいで教養も鍛えられるんだが、ユリーカ!!!って叫ぶ余裕はPHMにはない。
インターステラー上映当時はサプライズとしてゲスト出演しているマッド・デイモン。同時期映画『オデッセイ』(火星の人)で主役だったから同じ宇宙で頑張る科学者ってキャラクターなのに役どころの性格性質の温度差でグッピー風邪引く。PHMの規模感だと火星だったらまだなんとかなる感出てきちゃうのはなぜなのか。
あとノーラン映画を絶対翻訳してくれるSF映画字幕安心と信頼のアンゼたかし先生。冒頭「おったま元素」はあまりにもあまりと思った。もうそうとしか見えなくなっちゃったよ。あれ字幕として訳す必要あったか?元素表記がわかればジョークの文脈もわかるやつじゃない?って思うじゃん?出さずにおれんかった感があのTシャツを着るグレースのひととなりも現してる気がして愛しくなったが?
健康管理してくれるアームも含めたAI、TARSを彷彿とさせてロボットへの認知について考えてしまう。ロッキーも生命体なんだけどね。形があって、意思の疎通か疎通「らしきもの」ができる対象というものは気がかりになりうる(AIのチューリングテストを描いた映画『エクスマキナ』、濱野ちひろ著『無機的な恋人たち』やロボット工学・石黒浩氏の関係著書を思い浮かべる等)
冒頭といえば、原作のカテーテルの描写の映像化されるのかな…でもペトロヴァ・ラインの伏線的描写だしコメディすぎるけど大事だよね…とか思ってたけどいい感じに別の演出になってて若干残念とは思いつつ納得した。
エヴァ女史が歌うカラオケ選曲も心情くさすぎると思いつつも映画的にはよかったな。「以上」って締め方も含めて。終盤、タウメーバを受け取った彼女のしわが深くなっているのもなんかたまらなくなった。
ロッキーが反響でモノを捉えている、という気付きとコミュニケーション。なんかどっかの大学の面接試験かなんかの小論文のテーマで「可視光線は見えないが、不可視光線を捉えることができる生命体がつくる文化について」みたいな(すごくぼんやりあやふやふわふわしている記憶おれたちは雰囲気で云々している)のがあって、こういう「できること、できないこと、知っていること、知らないこと」の積み重ねを想像するって権威の社会構造、差別構造と切り離せない話しだよなぁみたいな思っちゃったりもしたりして。マーヴェルの『エターナルズ』の耳が聞こえないキャラとか。派生して『みんなが手話で話した島』とか。
音声言語の限界的な話。須和雪里の『サミア』に出てくるエイリアンの名前も、聞いても耳じゃ音の構造もわかんなくて発音できない。『君の名前で僕を呼んで』じゃなぁい???と思ってしまう浅はかさですよ。『7 Days to End with You』ってゲームでも聞いたことも見たこともない言語を会話を重ねて解読するやつで、最終的に名前の綴はわかるんだけど、なんて発声して読むのかまではわかんないの。そういう夢を食ってる。
ロッキーとグレースが出会うまで、別れてからのロッキーとグレースは、共に居た隣人の思い出や気配、そして郷愁への期待でことさら際立つ孤独なんだけども、彼らには科学技術という共通言語があって、科学技術は先人の営みの道程にある。火星の人もだけど、科学に情熱や関心を持つ人は、その多くの人が耕した道程の中で孤独というほどでもないのかもしれないと考えもする。
結末の以降の話って、異世界転生譚っぽくもあるよね。
お互いの絶対必須気体がお互いにとって絶望的致命傷ってすごくエモくない??????全然関係ないんだけど狂聡とか思い浮かべちゃったりしたのよね。関係を築く前の石かりとか。ね?
グレースとロッキーの個人的テーマソングは日食なつこの『流水のロック』。
「考えさせてくれ」→「三時間」(なお3分もなく制圧される)
「考えさせてくれ」→「ずっと悩んでて」(なんだこの眩しすぎる無邪気な愛は)
吹替で二週目行きたい所存。自認花江夏樹ロッキーとミサトさんっ…!?グレースはシンジくんなの???(逃げちゃだめだどころか全力逃走)なエヴァ女史が気になりすぎて。
メモ程度なので追々、追記もしていこうという所存。
〈追記一度目〉
・原作を削る、映像化・舞台化
単純な「エピソードを削る」では文脈・バックボーンを不明にしてしまう。だからといって省略し過ぎは薄味に、辻褄を合わせる改変では大筋から逸れるものになりかねない。
昨今この「原作を多少変えてでもエンタメとしての映像・ドラマ化で成功している例」で素人なりに薄らぼんやり共通しているんだろうなと思うことは「筋は通しつつも別の要素を盛大に盛ることなのかな」と。今も昔もだ。
『きらきらひかる』は原作は恋愛要素もある漫画、法医学が題材のストーリーってぐらいでドラマは主要登場人物が全員女性で自立して活躍するタイプの話にガラッと変わっていたが漫画もいいけど正直ドラマのほうが好き。
『カバチタレ』原作漫画はまんがタイム版すごくマイルドなうしじまくんなんだけど、ドラマはすごく堅実で女を諦めてない司法書士なナナと人の良さだけで生きてるけど人の良さのせいで騙されまくってるハチみたいな女二人を軸にしつつシスターフッドな内容に仕上がってて全然違うけど扱う法的な題材と人間模様は原作に寄り添いつつ改変というにはでかい。がドラマ面白かったよ。
『アイアムアヒーロー』和製でありながら正当なゾンビ映画。ゾンビ映画というフレーバーに振り切ったのがよりよかった。漫画は、まあゾンビという症状とは厳密には違うというか似て非なるニュアンスなんだけど、映画はちゃんと、ゾンビ映画好きの人が「ゾンビ映画じゃん!!!」って喜ぶゾンビ映画だった。
『容疑者Xの献身』そもそものTVシリーズ、湯川と草薙の間になんで女が入っとるんや💢というのはさておき、劇場版になるとシリーズ主要人物へのスポットが弱くなる演出で演者の力量を堪能できる。バチスタシリーズのTBS製作の劇場版には「なんでやねん」がおさまらなかったが、とりわけ『容疑者Xの献身』は良かったよ。堤真一と松雪泰子良かったよ。あのラインを盛大に盛ったから良かったとさえ思う。『沈黙のパレード』も好きだけど濃厚さで言ったら登場人物の少なさもあってか『容疑者X〜』かなと。
こないだ見たゲ謎の舞台もだったんだけど、いやゲ謎舞台はいっこも削ってないけどしっかり時間をとるシーンと流すシーン、舞台上の都合の演出と映画との表現の違いはありつつもいいあんばいに緩急つけてあって役者の上手さ魅力もさることながら大変良くまとまっていた。
PHMもエヴァ女史が垣間見せたセンチメンタルな一面は誇張されていたと思うし(微妙な表情がなんつーかそう思わせる、小説の表現にはなくてもよ)、映像だからこそたっぷり見せてくれる宇宙の壮大さ、「浸ってる」のシーンとか、いち場面としての宇宙葬の端的ゆえの切なさとか、フラッシュバックする記憶の演出や時系列や順序、それによる小説で感じた伏線回収の感動と映画で理解する思考の導線は、どちらの体験であったも同じぐらい、あるいはその時の体験だからこその感動は過不足なく受け取れるものだったと思った。
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