情を交わす


 恋仲になった二人に審神者が与えたのは離れの一室だった。玄関や食堂からは遠いものの周囲に住人は少なく、付き合い始めてすぐの二人に配慮した部屋割りなのがうかがえた。
 引っ越す日は、昼間は部屋の掃除や荷物をまとめることに費やされ、夕方になって漸く本格的に物を移動させる作業に移ることができた。だが二人とも最低限の必需品しか持っておらず、常備された箪笥や文机に私物をしまってしまうだけで済んだので、夕飯前には部屋は一通り整った。以前住んでいた部屋と変わらない、ちゃぶ台と座布団が置かれた和室だった。
 ひと風呂浴びて、就寝前の時間をだらだらと潰していた。ちゃぶ台の上にはソハヤから貰った蜜柑が積んであった。引っ越し祝いという名目で貰ったが、食べきれないくらいに実った蜜柑の処理に過ぎないことを大典太は知っている。隣に座っている大包平はそれを丁寧に剥いて食べていた。大典太はその様子をただ理由もなく見ている。綺麗に白い筋が取り除かれ、薄皮に包まれた橙が口の中に消える。咀嚼し、味わい、飲み込んでから、また白い筋を取り除く。
 二人きりになると会話よりも沈黙の方が長かった。まだ共に時間を過ごすということに慣れていなかった。
「一口、くれないか?」
「ん、いいぞ」
ちょうど剥き終えた実を差し出される。手渡すつもりなのか、手はちゃぶ台の中空で浮いている。その手首を掴んで口元に引き寄せた。不意打ちのことに大包平の表情が変わるのを見ながら、指ごとぱくりと実を食んだ。さっと頬が朱に染まる。
「まだそれほど甘くないな」
「あ、ああ。本丸に生えてる、野生の木だからな」
受け答えがぎこちない。大典太にも照れや羞恥はあるのだが、大包平がいつもあからさまにうろたえるので、かえって冷静になった。だからか、何となくからかいたくなる。閨のことに限らず、手を出すのは大典太からの方が多かった。
 浮ついた空気を誤魔化すように、大包平はまた蜜柑の筋取りに取りかかる。温州蜜柑は大包平の手にはとても小さく見えるが、指先が神経質に細かい筋を引っ掻いては剥いていく。そういえば、と大包平が口を開いた。
「お前の気持ちが駄々洩れになる原因は分かったのか?」
二人が恋仲になったきっかけは大典太の霊力だった。なぜか食べ物にそのときの大典太の気持ちが記憶されるのだ。やはり普通のことではないということで、審神者に報告は上げていた。
「色々調べられたが、結局原因は分からず仕舞いだった。そんな問題もないしな」
「大丈夫なのか?」
「色々試したが、漏れるのもあんたに関することだけだからな。実験で俺の霊力を食わされた長谷部が辛そうだった」
調査の一環で大典太は食べ物に霊力を込めることになったのだが、審神者が神気を摂取するのも問題が出る。そこで近侍の長谷部が食べる羽目になったのだ。大典太もかなり恥ずかしい思いをしたが、一方的に惚気を味わわされる長谷部の方が堪ったものではなかっただろう。最後の金平糖を飲み込む頃には三徹明けのときよりもげっそりとしていた。
「お前のあれを味わったのか……。しばらく長谷部の好物を献立に入れてやろう」
「そんなに凄まじい味なのか」
「食ってるこちらがいたたまれなくなる」
大典太には感じ取れないのだが、なかなかに強烈な味がするらしい。
「考えている内容で味が変わるらしいということだけは分かった」
大包平の手から蜜柑を奪い取って、夕飯の献立を思い出しながら実を剥く。口元に差し出すと、少し困った顔をしながら大包平は口に入れた。
「どうだ?」
「蜜柑の味だな」
「じゃあこれはどうだ?」
再度、口元に蜜柑を押しつける。唇に触れる実に不審げな顔をしながら、大包平は食べた。
「馬鹿! お前! 破廉恥な!」
一噛みするかしないかで飲み込むと、真っ赤な顔で怒られた。初夜のことを考えていたせいか、羞恥に頬を染めている様と閨での姿がだぶった。
「こういうことらしい」
「もう少しましなことを考えられなかったのか!」
「咄嗟に思いついたのがこれだった」
「色ボケめ」
「恋仲なのだから仕方ないだろう」
あからさまに恋仲であることに触れると大包平は黙り込んでしまう。照れくさくてどうしたらいいのか分からないといった様子だ。その物慣れなさをつい、突ついてしまいたくなるのだ。
「まだ蜜柑残っているぞ」
「ちゃんと筋を取れ」
そう言いながら、大典太の手ずから蜜柑を食べるのだ。本当に気恥ずかしいだけなのだろう。照れはするが、まず二人きりなら拒まれることはなかった。
「色々漏れてるぞ」
最後の一口を食べ終えたときに言われた。
「隠しても無駄だからな」
大包平は一から大典太の恋慕を知っているのだ。恋仲にまでなって隠し立てするものもない。そう考えて、ふと疑問に思った。
「あんた、いつ俺のこと好きになったんだ?」
「え?」
よく考えれば大典太が勝手に伝えているだけで、大包平がどう思っているかを詳しく聞いたことはない。いざというときにははっきりと言う性格なので、審神者や兄弟の前でも堂々と恋仲になったとは言い放っていたが、大典太は睦言の類も言われたことがなかった。
「まず俺はあんたにちゃんと好きとも言われてないぞ」
「そうだったか……そうかも、しれないな……」
眉間に皺を寄せて大包平は固まってしまった。閨での半ば意識が飛んだ状態を除けば、大包平にしらふで恋慕の情を告げられたことはない。じっと見つめていると、苦悩するように顔を手で覆って呻くように言った。
「分かった……言う」
「嫌ならいい」
「そういうわけではない!」
耳まで赤くなっている。
「まず、いつ好きになったかだったか?」
中空を見ているのは恥ずかしいからか、思い出そうとしているからか。
「まだ手紙のやり取りしかなかった頃、珍しく部隊が同じになったときがあっただろう」
今では大包平も追い付いて来たが、昔の二人にはかなりの練度差があった。だから共に出陣することは滅多になかったのだ。大典太も出陣したことは覚えていた。同じ部隊だったのに、意識してしまい話すどころか視界に入れることもできなかった。
「お前あの時、真剣必殺したのを覚えているか?」
「そんなこともあったな」
「そのときにまあ、観念した」
「どういうことだ」
「俺を庇って前に出た結果の真剣必殺だったろう。腹は立ったが、俺が未熟だったせいなのは理解している」
いざ語りだすと大包平の声音は淡々としたものだったが、やはり悔しそうな顔をしている。
「間近でお前の殺気を浴びて、その余韻が本丸に帰ってからもずっと消えなかった。部屋に帰って、毎日一つずつ消費しようと決めていた飴玉を食べて、ほら最初の方に寄越してきたやつだ、そのときに初めてその飴を美味いと思った」
どこを見るともなく、それでも大包平の視線は真っ直ぐだった。
「お前の気持ちが嬉しくて、叶えてやりたくなった。求められるままに応えてやろうと思えた。だから好きになったのがいつかと問われれば、きっとあのときだ」
混じりけのない純粋な思いだ。大包平のように羞恥が顔に出る質でなくて良かった。そうでなければ今頃真っ赤になっていたことだろう。
「ちゃんと俺はお前のことが、その……好きだぞ」
ちらりと大典太を見て大包平は言った。照れて言葉が詰まってしまうところも、それでも決して目を逸らさないところも大包平らしい。
「どんな風にだ?」
「この期に及んでまだ言うか……好きは好きだろう」
呆れる大包平に覆いかぶさってくちづけをした。舌を入れるとすかさず絡めあわせてくる。恋仲になって互いに最も上達したのは接吻だろう。気持ち良くなれるところを互いに把握している。さっき告げられた言葉を胸の内で反芻しながら唾液が零れるくらい口内を掻き回した。くたりと脱力して身を預けられると一旦口を離す。大包平の背後に座って後ろから抱きしめた。
 首筋をなぞりあげながら、顔をこちらに向けさせる。そしてもう一度唇を奪った。今度は色を乗せて、口蓋をちろちろと舐る。そうすれば反応が一変する。とろりと瞳が潤んで蕩けた。ひとしきり口の粘膜を舐めしゃぶって、そっと唇を離した。宥めるようにこめかみに唇を寄せ、鼻を埋めた。鼻孔一杯に大包平の匂いを嗅ぐ。
「なあ大包平、好きと言っても色々あるだろう」
「それを言うためだけに、あんなしつこく口吸いしたのか」
「分かりやすいかと思ってな」
単に大典太がくちづけをしたかっただけだ。大包平も分かっていて、ため息をついていた。
「どんな風に……か」
そう言ったきり、大包平は考え込んでしまった。
 大包平は随分と悩んでいた。生真面目だからどう言ったらいいのかと思い悩んでいるに違いない。時折呻いたり、うろうろと視線を彷徨わせている。大典太はその様子を見て、肝心の言葉を貰う前から心の底から満足してしまった。耳まで真っ赤に染めた恋人が慣れない睦言に苦心しているのだ。それも思いの丈を伝えるための言葉である。
「大切だと思っている」
悩み抜いた末にぽつりと呟かれた言葉は短かった。ありふれていて、月並みな言葉だ。だがその一言で十分だった。
「そうか」
「ああ」
いつ果てるとも知れぬ身なのだと、そのとき痛切に感じた。死を恐れはしないが、生きて思いを交わしていたいと思う。それだけの真心があった。衝動のまま耳の裏に吸い付いて痕を残す。残さずにはいられなかった。
「おい、見えるところにつけるな。明日も出陣するんだぞ」
「見えないところか。ならここか?」
もどかしい気持ちに蓋をして、するりと内腿をなぞりあげる。ぴくりと脚が跳ねた。
「何でそこ……」
「よく真剣必殺して帰って来るからな。上は見えそうだ」
秘部に至るぎりぎりのところを撫でる。服越しでも敏感だった。大包平の口から艶やかな溜息が零れ落ちた。
「今日はしないぞ」
「分かっているが、触るだけならいいだろう?」
「そんなわけあるか!」
襟もとを掴まれて、強引にくちづけを与えられた。触れるだけのものだった。
「明日の夜ならいい」
大包平の目にも欲望が宿っていた。求めているのが己だけではないと分かって、我慢する気になった。
「痕をつけてもいいんだな」
「くどい」
ふいと視線は逸らされてしまったが、そのとき何かに気がついたように大包平の口から「あっ」と漏れた。
「だいたいお前だってろくに言葉にしてないだろう」
「そう言われるとそうか」
にやりと大包平が笑った。
「お前もちゃんと口にしてみろ」
「好きだ」
間髪入れずに耳に吹き込む。腕の中の体が熱を持った。閨で思いを告げたときと同じ反応だった。あのときも好きだと繰り返すほど、体の緊張が解けて昂っていった。
「大包平」
名前を呼べば、身を震わせる。大包平は向けられる心情をあしらえない。愚直に受け取って、自分のものにする。だから大典太は臆せず何度もくちづけるし、言葉にできるのだ。
「少し黙れ!」
「口にしろと言ったのはあんただろう」
それに黙れと言われたらくちづければいい。問答無用で唇を奪った。

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