正義の話


 人生は一期一会。出会いがあれば別れもある。死刑執行人にとってそれは最初で最後の出会いであり、別れである。多くの人間は「また会いましょう」と再会を信じるだろう。しかし死刑執行人にそれは叶わない。何故なら相手は「さようなら」と永遠の別れを遂げるからだ。
 私は今までの人生の約半分を死刑執行人として生きてきた。その中でも特に自分の記憶に残る人々が存在する。彼らのおかげで色々考えさせられるものが山ほどあった。そして私は「死刑執行人として」成長できた。
 これから語るのは、私の中の「一期一会」の思い出である。思い出といっても、幸せなものばかりではないのだが……。


 そう、私にとって出会いと別れの場所は大抵の場合紛れもなく処刑台という舞台の上なのだ。

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 私はいつだって死刑執行人という役職の存在意義や正義の真偽について考えている。そして自問自答を繰り返す。任務とはいえ己のしていることは果たして本当に正義と呼べるのか。私は決してそうは思っていない。何故ならば、下された命令に従っているだけにすぎないからである。
 二十歳を少し過ぎた頃のことだ。
 私の家に一通の執行命令書が届いた。死刑囚は三十代の男で、罪状は強姦であった。イヴェール王国では強姦は時に死罪に値する。おかした人数が一人や二人ならば鞭打ち程度で解放されることが殆どだが、再び繰り返したり被害者の数が多くなると当然罪も重くなり死刑判決が下される。
 執行命令書に書かれていた男は、実に何十人もの女性─中には幼い少女もいたようだ─を自らの快楽のためだけに弄んだというのだ。彼女たちの心や身体を傷つけた罪は重くて当然だ。


 死刑執行当日になると、男と共に馬車に乗り込み刑場へ向かう。死刑執行人は、処刑が行われる日になると死刑囚を監獄から連れ出して(この際、自由を奪うため後ろ手に縛る)同じ馬車に乗り、刑場へ赴くことになっている。その間、ごくわずかな時間を共に過ごすことになるのだが、そこで死刑囚の口から興味深い言葉を聞ける場合がある(中には終始無言で俯いたままの者や、取り乱して暴れようとする者もいる)。
 私はその男の横顔を見た。彼は、自分のやりたいことをもうやり尽くしたかのような、満足でもしているかのような表情であった。横から見ただけでもそれが伝わってきたのだから。なんて自分勝手な奴なんだ。
 男は大人しく座ったままだったが、突然こちらを向いて話しかけてきた。
 「処刑人さん。あんたは随分と若いが性欲に溺れたりしないのかい?」
 いきなり何を訊いてくるのだ、この男は。いくらなんでも失礼だろう…と普段の私なら思ったであろうが、彼の最期の言い分は聞いておきたかったのでとりあえず返答しておいた。
 「溺れるまでには至りません。訊くまでもないですが、貴方は?」
 「こちらも答えるまでもねえんだがな」
 そう言って男は正面に向き直った。そして淡々と己の罪を語り始める。
 「はじめは一人、二人でよかったんだ。だが次第に物足りなくなって三人、四人……おかしい、俺はどうかしてる。そう思ったがな、刺激と快感が忘れられなくて。気付いたら十五人も犯してしまった。…だがこんな人生は今日で終いだ、処刑人さん」
 男は空を見上げて深呼吸した。やはり彼はどこか清々しい様子である。それは、これまでの人生に悔いはないということなのか、処刑される覚悟はできているのか、あるいは──。
 そう考えている間に刑場へ到着した。多くの民衆が公開処刑を人目見ようと待ち構えていた。
 馬車から降りたらすぐに処刑台に取り付けられた階段を上る。壇上にはすでに断頭台が設置されており、見たものを恐怖に陥れるかのような斜めの刃が日光に反射している。それを見た男は一瞬身を竦めたが何でもないような振りをした。
 その後、数人の助手が男の身体を無理やりうつ伏せに寝かせて拘束した。男は一切抵抗せず首が刎ねられる態勢となり、静粛に死刑執行された。
 これで彼は断罪されたが、果たしてこの男は反省していたのだろうか、被害を受けた女性たちへ懺悔の念はあったのだろうか。それは永遠に解らない。


2022/3/7

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