静かで、甘い夜
───11月08日 夜。
同棲するマンションに戻ってきたふたり。
昼間の穏やかな気候とは違い、外はすっかり冷え込み、吐く息が白い。
「寒っ…、やっぱ11月やな」
「まみ、風邪ひくなよ」
そう言って相澤が中村の頭を軽く撫でる。
昼間の水族館の名残がまだ胸の奥に残っていて、どちらもどこか穏やかな表情をしていた。
───
部屋着に着替えた中村は、冷蔵庫からカシスリキュールとテキーラの瓶、炭酸水とオレンジジュースを取り出し、リビングにある扉付き棚の上に並べた。
「では!!相澤消太生誕祭・夜の部、開始〜っ!」
手をあげて宣言する声に、水族館で買ったペンギンのぬいぐるみや職場へ持っていくお土産などの荷物の片付けを終え、部屋着であるグレーのスウェットに着替えようとしている相澤が振り返った。
「夜の部?」
「そう!!水族館は昼の部、今から夜の部!俺が勝手に決めた!!!」
中村は腰に手を当て、ふふんっ、と得意げな顔をする。
相澤は苦笑しながら、コートをハンガーにかける。
「そういう発想、まみらしくていいな」
中村は嬉しそうにキッチンへ向かいグラスを取り出した。
「カシスショットって、度数強めやからなぁ…。…消太、飲みすぎたら寝てしまうかもな?」
「お前の前で気を抜くのは、嫌いじゃない」
「……それ反則」
カシスリキュールとテキーラ、炭酸水を注ぐ音が静かな部屋に響く。
ゆっくりとグラスがカシス色に染まっていく。
「見てみ、色。クラゲのトンネルの照明とおんなじ」
中村がグラスを傾け、光に透かして見せる。
「ほんとだな」
着替えが終わった相澤は少し笑ってソファに座る。
カクテルを作り終えた中村もグラスをテーブルに置くとソファに座わる。
───
「今日、ずっと楽しそうだったな」
「…そりゃ、消太とデートやもん。それに、水族館なんて久々やし」
「…俺もだ。まみと一緒だと、どこへ行っても悪くない」
「ん…、そう言ってもらえるの、嬉しい、けど照れる…」
相澤用のカシスショットと、下戸である中村用にリキュールを少なめにしたカシスオレンジが入ったグラスが、軽く触れ合う。
“かちんっ”という小さな音が、部屋の空気を震わせた。
「消太」
「ん」
「誕生日おめでとう」
「ありがとな。……今年も、お前と過ごせてよかった」
「来年も、その次も、ずっと言わせてな」
「当たり前だろ」
少し照れたように相澤が笑い、グラスを傾ける。
テキーラとカシスの甘さが舌に広がる。
そのまま、ふと視線を横に向ける。
扉付き棚の端に、昨日中村が包んで持って帰ってきた小さな鉢植え──ヒイラギが置かれていた。
淡い灯りの下で、その葉が光を反射している。
「…こいつにも水をやらねぇとな」
「お、ちゃんと覚えてくれてるんや」
「当たり前だろ。お前から貰った大事なものだ」
相澤はソファから立ち上がり、グラスを片手にジョウロを持ちヒイラギの鉢に水を注いだ。
カシス色の液体が揺れて、光の中で少し滲む。
その仕草が静かで優しくて、中村の胸の奥がぎゅっと鳴った。
───ピロン
カメラのシャッターが小さく切られた。
「……撮ったな」
「撮った。めっちゃええ顔してた。“誕生日の相澤消太さん、ヒイラギとカシスショットでご満悦”って感じ」
「…タイトル長ぇよ」
「保存名、“好きな人”にしとこ」
「やめとけ」
「やめへん」
相澤が呆れたように笑って、「……好きにしろ」と低く呟いた声が、どこまでもやさしい。
ジョウロを鉢植えの傍に置き、ソファに腰を掛ける。
持っていたグラスをテーブルに置くと中村の頬に手を伸ばした。
「……じゃあ、その“好きな人”からお返し」
唇が触れた。
一瞬で、世界がカシスの甘い香りに包まれる。
「……、甘いな」
「え?」
「酒より、お前が」
中村の顔が真っ赤になる。
「……あかん、…これは酔うわ」
「ふっ…、もう一杯飲むか?」
「……酒よりキスで、酔わせて」
相澤の目が細まり、唇の端が静かに上がる。
「……何度でも、望むだけ」
再び唇が重なり、ヒイラギの葉が微かに揺れた。
その棘はまるで、ふたりを包む小さな守りのようだった。
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