明日世界が滅ぶとしたら、
Q.明日世界が滅ぶとしたら何をしますか?
A.たらふく酒を呑んで楽しく死ぬ
『却下です』
「なんで!?」
とある雑誌の企画を引き受けた紅は自身が入稿したデータをモニター越しに見つめながら、容赦ない担当編集の声に反射的な声を上げた。
読者の質問に一枚絵で答えるというシンプルな内容のそれにまさか没を食らうと思っていなかった紅をよそに、担当編集は呆れた様子を隠すことなくわざとらしい溜息を吐く。最近の電話はそういった吐息がノイズにならないから便利になったものだが、その分紅の心にささくれを作る。
『当たり前でしょ、貴女一応は子供に夢を与える絵本作家ですよ』
「そもそもの質問が夢もクソもないじゃないですか」
『貴女のファンからの質問ですよ』
「チョイスしたのはそっちじゃないです?」
『嘘を描けとは言いませんがもう少しどうにかしてください』
紅の頭と口がよく回ることを理解している担当編集は、そのまま返事を待つことなく突き放すように通話を切った。そのまま紅のスマートフォンに通知が鳴ると、改めて締切日が書かれたそれ。反射的に紅はスマートフォンをベッドの上に放り投げた。
最初に質問内容を見た時は余りにも簡単に浮かんだ回答に紅の手はすらすらと動いた。それこそ締め切りなんて気にすることもないくらいに。ただそれが簡単に感じたのは質問の回答が“それしかない”ものだったからだ。それがあっさりと却下されてしまうと、今度は途端に頭を抱える羽目になった。編集が言いたいことは何となくわかる、きっともう少し前向きな、明るくポップな回答をしてほしいことを。紅としては十分前向きで明るくポップな回答だったが、きっとそれが世間的に見られている目と違うんだろうと紅自身も薄々感付いてはいた。
紅は、余り未来への執着がなかった。少なくとも、明日世界が滅ぶことをそのまま受け入れてしまうくらいには。
その理由は実に単純で、いつ死んでも後悔しないように自分なりに毎日楽しく生きているからだ。それ以上の理由もそれ以下の理由もない。なので明日世界が滅ぶと分かっているからって、特別何かをしたいと思わなかった。寧ろ自分が好きなものに酔って死ねるなんて、死に方を選べる時点でハッピーじゃん!くらいに紅は思っていたのだ。だからそれをありのままに描いた。描き始める瞬間、ほんの一瞬“きっと求められているものと違うかもしれない”と思いはしたものの、自身作品の読者からの質問ということも分かっていたので、尚更嘘偽りを描こうとも思えなかった。その一瞬の勘は大正解で、こうして思い悩む羽目になっているのだが。
ああもう、いっそ嘘ついてでもこう描けって言ってくれれば良いのに。紅は先ほどの担当の言葉を思い出しながら大きな溜息を吐くと、放り投げたスマートフォンを拾い上げる。恐る恐るロックを解除した画面に映った締切日は、嘘のない他の回答が欠片も思い浮かばない今の紅にとって、とても安心出来る日にちではなかった。
□□□
綺麗な一列を作って巣へ餌を運ぶ働き蟻たちの仕事を眺めながら、紅は途方に暮れていた。
紅が蟻の観察をする時の理由は大きく3つ。頭を空っぽにしたい時、頭を想像で一杯にしたい時、そして単純に働き蟻たちを観察したい時。余りにもアイディアに煮詰まった紅は、空っぽと想像を繰り返しては“嘘を描けとは言わない”という言葉に頭を悩ませた。想像しても、一番最初に上げた理由以外見当たらない。せいぜい酒を呑んで、の部分が友達と遊んで、だとか絵を描いて、だとか、そういった言葉に書き換わるだけで楽しく死ぬことには変わりない。お酒じゃないだけまだ先ほどよりはマシだろうが、苦虫を潰したような声で受け取られるのは容易に想像がつく。簡単だと思っていた仕事にここまで時間や思考を奪われるとは思わなかった紅は、本日何度目になるか分からない溜息を吐いたが、それをかき消すかのように背後で足音が響いた。
「べに」
「…っマチ子? あれ、仕事は?」
「今日はもうおしまい」
「え、もうそんな時間?」
「ふふ、それだけ集中してたのね」
喫茶店の制服に身を包んだマチ子は、そのまま紅の隣にしゃがみ込む。裾大丈夫かな、なんて紅は一瞬思ったが、マチ子が気にしないということはそういうことなのだろう、と何を言うでもなく視線を再び蟻の隊列へ戻す。蟻たちはどこから見つけてきたのか、その身より大きな小さな砂糖菓子のようなものを仲間たちと共に運んでいた。マチ子もそれを眺めているのだろうと思ったが、そうでなかったことに気付くのはすぐ後のこと。
「べに、珍しい顔をしてるわね」
「えー、どんな顔?」
「すこし心配な顔」
「そっか」
元々マチ子に何かを隠そうと思っていない紅だが、マチ子の洞察力はそれを上回ってきた。元々人の機敏に敏いマチ子だが、紅のことになると尚更のように紅自身は感じていたし、己惚れていた。そしてそれが間違いではないという確固とした自信があった。それくらい、マチ子は紅をよく理解していた、機微どころではない。どんなに拙い絵でも、言葉でも、感情でも、マチ子はいつも紅の思考を的確に汲み取る。そう、“いつも”。
「読者の人からさ、明日世界滅んだらどうするーって聞かれて」
「壮大な質問ね?」
「ね。私は酒呑んで楽しく死ねればハッピーって答えようとしたんだけど、担当に止められちゃって」
「そうなの」
「嘘はつかなくて良いって言うんだけど、それ以上の答えが難しくてさぁ」
悩みの種をそのまま口にしては困ったように笑って見せる紅の様子を眉一つ動かすことなく見つめていたマチ子は、ふいと蟻の隊列に視線を向ける。砂糖菓子は既に巣へ運ばれたようで、その功労者の蟻たちがどの蟻なのかもう分からない。
「べにが描きたいことを描くのがいちばんだと思うの」
「あは、紅ちゃんもそう思う」
「ただ、明日世界が終わったら、べにの絵がもう見られないのね」
「……え?」
「それはすこし、残念ね」
蟻の隊列を眺めながらそう言葉を紡ぐマチ子の声に、紅ははっと顔を上げとぱち、とマチ子と目が合った。優しい顔で笑っている。
マチ子は紅を否定しない。押し付けもしない。ただ紅の考えを受け入れ、肯定し、その上で淡々と自分の気持ちを伝えてくれる。紅はマチ子のそんなところが大好きだった。愛されてるな、とすら思えた。だからこそ紅は、残念と紡ぐマチ子を否定したかった。明日世界が滅ぶことになった時、マチ子が世界の終わりを残念と思う理由に自分が入ってしまうなら、それは阻止しないといけない。それがもしも話であろうと例え話であろうと、マチ子の不幸は紅の不幸だから。
「じゃあ、どうにか世界が滅ぶのを食い止めた方がいっか」
「あら、お酒を飲む暇がなくなっちゃうわよ?」
「世界を救ったら全世界の奢りで浴びる程飲むってことで!」
「なら安心ね」
あっさりと変わった考えに、きっと担当からも驚かれるだろうと思い至るのは容易だった。きっとこれから描く1枚は、世間が紅に求める回答に一番近い形になるのだろう。少なくとも、酒を飲んで死にたい、なんて回答よりは。
マチ子からの言葉一つで作り替えられる紅の世界があることは、紅だけが知っていれば充分だった。
(生きていて欲しいと、貴女が願うなら)
(自分を作り替えることなど、造作もないことなのです)
(貴女にも秘密だけど、秘密になってないかもね)
powered by 小説執筆ツール「arei」