深夜、ドラッグストアにて

※教師パロ
※モブ生徒が少し出てくる

 言い訳はいくつかある。
 勤務している高校から結構離れていたから。お盆休みの中日だったから。もう深夜に近い時間帯だから。人が少ないからと選んだドラッグストアだから。
 とにかくすっかり油断していたのだ。

「あ、司せんせーじゃん!」
 いきなり声を掛けられ、司は咄嗟に自分の持っていた買い物かごを背中に隠した。それからしまった、と思った。だって買い物かごはまだ空だ。別に焦らなくてもよかったのに。
「こんばんは、田中さん」
 司の目の前に現れた男子は司が副担任をしているクラスの生徒だった。明るくて声が大きくてムードメーカー。つまりクラスの中心人物の一人だ。それがまた司の冷や汗を滴らせた。
「こんな深夜に出歩き?」
「へへ、アイス買いに来ただけ。もう帰るから」
 そう言う田中の片手にはカップアイスが握られていた。他のものより一回り大きい、正方形の容器に入っているバニラアイスだ。あれは司もよく学生時代に食べていた記憶がある。大容量でさっぱりしていて夏でも食べやすいのだ。
「先生こそこんなとこで買い物? ここ学校から遠いっしょ。先生の家もここらへんだったりする?」
「あー……ちょっと用事があって……」
 嘘は言っていない。司の家はこの辺りではないが、このドラッグストアにはよく来ていた。ポイントカードもあるしどこに何があるかも大体分かっている。
 だからこそ声を掛けられたのが適当に足を止めた歯磨き粉売り場の前でよかった。司は冷や汗をかきつつ胸を撫で下ろしていた。そういえばもう切れそうだっけ、ストックでも買っておこうかな、と思って出入り口近くのコーナーで足を止めた自分を褒めたい。今となってはストックなんてどうでもよかったけれど。
 とにかく早くこの場を切り上げなければ。
「早く帰らないと補導されるよ。夏休みだからって羽目外さないように」
「はいはい。めっちゃ先生みたいなこと言うじゃん」
「先生ですから。こんな夜に出歩いてる生徒も心配だ」
 だから早くレジに向かってくれ! 司のそんな願いも虚しく、背後から声をかけられた。
「司」
 それはもちろん聞き慣れた声なのだけれど、出来れば今一番聞きたくない声でもあった。ぎゅん、と首を捻って後ろを振り返る。最悪だ、こっちに来ないでくれ。
「あ、よだせんじゃん」
 同じ方を見ていた田中が言った。
 よだせん。夜鷹純先生。司が副担任をしているクラスの担任の教師である。ついでに司の先輩に当たる。
 少し離れた通路からひょっこりと顔を出してこちらを眺めていた夜鷹は、しばらく司の顔を眺め、ずんずんとこちらに向かってきていた。今アイコンタクト気付いたはずだろ、と司は思わず夜鷹を睨んでしまった。来るなと確かに念じたのに。それを全く意に介すことなく、夜鷹はこちらへやって来てしまった。
「わー、白衣以外初めて見た。よだせんTシャツとか着るんだ。しかも真っ黒」
「何でこんな深夜に出歩いてるの」
 夜鷹は眉間に皺を寄せて生徒に尋ねた。それは怒っていると言うより心配や気がかりの割合の方が多いようだった。この人の言葉はぶっきらぼうだが、相手を案じていないわけではない。
「アイス買いに来ただけ! ここウチから歩いてすぐだし。ねえ、それよりよだせんと司せんせーって仲良いの? よく遊んでたりする?」
「君には関係ない」
「担任と副担任が仲良かったら嬉しいじゃん!」
 どんな嬉しさだそれは。高校生の適当な受け答えに冷や汗をかかされている大人の身にもなって欲しい。
 夜鷹は田中の答えに深い溜息を吐き、片手に持っていたものを司の買い物かごに入れた。司は横目でそれを確認し、どうにか平静を装うことで精一杯だった。買い物かごを背後に隠したままにしておいてよかった。
「こっち」
 夜鷹に呼ばれた田中は、ふらふらとレジに向かった。そのままレジに置いたバニラアイスを夜鷹が電子決済で支払っている。
「え、いいの!? ありがとうよだせん!」
「全部内緒ね」
「えー、他のヤツに自慢したい! あ、私服写真撮ってもいい?」
「駄目。早く帰りな」
 そう言って夜鷹は田中の帰りを出口まで見届け、司の所へ戻ってきた。
「よかったんですか? 生徒にアイス買ってあげちゃって」
「ああでもしないとずっと帰らないか、僕たちのこと周りに言いふらすでしょ」
 ふう、と夜鷹が息を漏らした。多少は夜鷹も思うところがあったのかもしれない。
「ていうか夜鷹先生! こっち来ないでって言ったじゃないですか!」
「言ってないし、今は夜鷹先生じゃない」
「俺必死にアイコンタクトしたのに……!」
「ああ、あれアイコンタクトだったの」
 気が付かなかった、という言葉が白々しい。あれは絶対気が付いていた。ばっちり目があった上に夜鷹は司の顔を凝視していたはずだ。
「ローション見てる時に声かけられなくてよかったね」
「ロッ……! そもそもこの前先生が注文しとくって言ってたのに! 忘れてたから買いに来る羽目に……!」
「だから今は先生じゃない」
「……純さんはゴム片手にこっち来ちゃうし」
 司の空っぽだった買い物かごには、今はコンドームの箱だけ入れられていた。パッケージにデカデカと書かれた0.01。見られてしまえばとても言い訳が出来そうにない。
「教育者としては正しいんじゃないの」
「でも生徒の前で……!」
「想像でもした?」
 僅かに上げられた口角に、司は思わず言葉を飲んでしまった。この人はこういうところがある。司が少し焦ったり狼狽えているところを見て楽しんでいるのだ。見世物じゃないんですけど、と再び夜鷹を睨みながら、司はレジに向かおうとした。もうさっきのような焦りは二度と味わいたくない。しかしそれを呼び止めるのも夜鷹だった。
「司、ローション忘れてる」
「もー! あんまり大きい声で言わないでください!」
「君の声の方が大きい」
 さっさとローションも買い物かごに入れ、司は一人でレジに向かった。買い物かごにはゴムとローションのたった二商品しか入っていなくて、何の言い訳も出来ない。本当は明日の朝食用のパンも買おうと思っていたのに。
 しかしそれよりも一刻も早くここから出たかった。今度こそ、この状態で話しかけられてしまったら面倒なことになる。
 お会計で財布を出そうとすると、いつの間にか隣に来ていた夜鷹に電子決済で支払われてしまった。ピピッと決済の電子音が鳴り響く中、司は目の前の店員の顔も見られない。あざましたーと店員の気の抜けた声を背に受けながら出来るだけ早く店を後にする。購入品を紙袋に入れてもらえたのがせめてもの救いだ。
「……もうしばらくここ来るのやめましょうね」
「僕は気にしないけど」
「俺が気にするんです!」
「それより早く帰るよ」
 夜鷹はするりと自分の手を司の手に絡ませ歩き出した。深夜になっても生温い風が全身をじりじりと焼いていく。
 わざわざ風呂上がりに汗までかいて、生徒の前でもレジでも焦りながらこんなものを買いに来ている自分は馬鹿みたいだ。
 そう思いながらも司は大人しく夜鷹の後ろを着いていった。休みも半ばだし、もう深夜なのである。今は先生でもない二人の男は、僅かに足を速めて家路についた。

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