折檻


 おやすみなさい、と声をかけて自分のベッドに潜った。
 蝋燭の火も消えて幽かに差し込む月明かりだけが頼りの、闇に包まれた部屋の中。幼いフィエルテは毛布を被るとそのまま眠りに落ちた。
 しばらくしてふと目が覚める。まだ外は暗い。真夜中だった。
 それから毛布の中でもぞもぞと身体を動かした。なかなか寝付けないのだ。
 起き上がりベッドからおりた。そしてゆっくりと手探りでドアを探した。
 真っ暗な廊下に出ると、違う部屋から幽かな光が洩れていることに気付いた。
 父から決して入ってはいけないと言われていた部屋だ。子供達はその言いつけを必ず守り、この部屋には近づかないようにしていた。しかし今のフィエルテには恐ろしい興味が湧いていて、そっと禁断の扉に近付いた。
 扉の隙間から中を覗いてみると、父と女の使用人の姿があった。父は彼女に対して何か言っている。小さい声だったがフィエルテの耳にはしっかりと届いた。
 「お前は掟を破ったな。私の言いつけを守らなかった! 子供達たちでさえ親の言うことは聞いているというのに、お前ときたら……」
 「ご主人様、お許しを……」
 使用人は椅子に拘束された状態だった。父は家族が寝静まった後、使用人に対し折檻を行なっていたのであった。
 そういえば、以前別の使用人の腕に傷痕を発見したことがあった。どうしたのかと訊ねた時は「擦りむいてしまいまして」と言っていた。もしかしたら彼女も同じように父から折檻を受けていたのかもしれない。あの傷痕は拘束された時の縄の痕だろう……。
 フィエルテは「父の見てはいけない姿」を見てしまった。この部屋に決して入ってはいけないよ──その言葉の意味を理解した。
 それから何日か経過してもあの時の光景は脳裏に焼き付いて離れない。
 父は子供達に優しく接してくれるし、折檻を受けた使用人も普段と変わらぬ様子であった。
 自分が見たのは幻だったのだろうか。そう錯覚してしまうほどだった。
 父や使用人に思い切って尋ねてみたかった。「夜、あの部屋でなにしていたの?」と。だが怖くて聞けなかった。問い質したら最後、自分も父に折檻されてしまうのではないかと思ったからだ。
 兄も姉も父の別の顔を知らない。おそらく母もだ。秘密を知っているのは自分と、当事者である父と使用人だけだ。

 ──この秘密を、知らないふりをしたまま時は経ち、やがてフィエルテも大人になった。そしてディオンという名の男の使用人を雇うようになった。
 可愛いディオンはまさに彼のお気に入りであった。仕事も卒なくこなしてくれるし自分の気持ちも理解してくれる。しかし主従関係である以上、時折は主人としての権力を行使することになる。
 その日、ディオンを一室に監禁してまるで拷問でもするかのように殴った。
 「お前は掟を破ったな」
 「そんなつもりは……」
 「口答えするな」
 「フィエルテ様……!」
 ディオンは何度も許しを懇願した。
 それでフィエルテは幼い日のことを思い出す。あの時の父の姿を。優しい父が何故こんな酷いことをしていたのかと、当時は理由などわかるはずもなく苦しんだ。しかし今は自分も「主人」だ。
 無闇に理由もなく暴行するのとは訳が違う。掟を破ったり、従わなかったりしたら罰を与えるのは当然だ。使用人のために。それが「主人」の立場である。
 今自分が感じているものはあの時の父の気持ちと同じものなのだ。
 


公開日 2021/6/4

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