修行
美味い蜜柑持って来たで、と暖簾をくぐると、仏壇屋のオバハンは読みかけの本から顔を上げた。
「ヒトシ、あんたなんや最近景気ええなあ! こんなとこ来ててええのんか? 忙しいんとちゃうん?」
「忙しいちゅうても、昔ほどでもないわ。」
「そんならええけど。あ、お茶でも入れよか?」
「そんなら貰うわ。あ、これ先に、仏壇の代金。」
「順調順調、このままいけばそろそろ完済やねえ。」と言いながらオバハンは枚数を確かめるために眼鏡を掛け直した。
すっかり老眼鏡が板についた顔つきを見てると、お互い年取ったなあ、と思ってしまう。
「これ、後で食べてくれ。」と有田蜜柑の入った網を手渡すと「こらまた底抜けにええもん貰ってしもたわ。小さくて美味しそうや、ヒトシ、ありがとうなあ。」とオバハンは笑顔になって奥に消えていった。
「若狭ちゃんから聞いたで~、レギュラー番組復活したんやて?」
「そうは言っても、関西ローカルや。ラジオとテレビと、一本ずつや。単発の仕事は、この先もうちょっと増えるかもしれへん。」
お、四草からなんやライン入ってんな。
帰りに液体洗剤買うてきてくれて……そんなん自分で買うてきたらええやんか。
そもそも粉の洗剤がまだあるんやから、そっち先に使ったらええんとちゃうか?
今日は時間に余裕あるのはどっちかというとオレの方やねんけどな……合点承知の助、て返しといたらええか。
ぽちぽちとスマホを売ってると、奥からオバハンが「こっちだけの仕事とか気にせんかて、構へんやろ。仕事あるとこなら、どこでもええやんか。」と言って来た。なかなかそういう訳にもいかんねんな、これが。
「そんなことないで。全国放送とちゃうかったら、なんや若狭のおかあちゃんが、テレビでオレの顔見れんからつまらん~ていうてるみたいから。」
「なるほどなあ。そういう理由か。まあ、それやったら録画撮って送ったったらええやん。」
「そうまでするような番組とちゃうわ。」と言うと、そうやな、と気の抜けた相槌が返って来た。
普通そこで、いや、おばちゃんやったら見たいで、とかお愛想するとことちゃうか?
まあええけど。
「最近ヒトシのこと、いつもの時間にテレビでよう見るようになったから、磯村屋さんとふたりで、そろそろ寝床にもでかい顔出して戻って来よるんとちゃうかな、て言ってたけど、あんたホンマに時間ないみたいやね。」
「おチビ迎えに行くついでにツケ払いに行くから、そこまでご無沙汰でもないで。」
「ツケなあ~。あんた毎回払ってるんと違うんか?」
「いや、オレと四草のとちゃうくて、子どもの分や。夕飯とか、昼飯とか、オレや四草の仕事終わりまで待たせてるときは、あそこで食うようにて言うてるからな。あんまり余分な金持たせて昼日中からどっかでカツアゲに会うようになっても困るしな。子どもが大きなったらなったで、また別のことごちゃごちゃ考えんとあかんのかなわんで。」
「……そうやねえ。」とオバハンの相槌に間があった。まあ、ほんまならあいつも四草の子やからなあ。
湯を沸かす音が聞こえて来て、その間に店の中を観察する。
叩きも掛けてなさそうな一角もあって、なんやたまに見に来てやって片付け手伝ったった方がええんと違うかな、と思ってしまう。
「テレビは今時録画ばっかりやけど、ラジオの仕事が夜にあるからな。……まあ、オレのことはええわ。オバハンこそ、また一昨年も着てたような服着て、景気悪いんか? 昔は、「ごっつい注文が入ったで~!」ってここらにある仏壇も、よく新台入れ替えしてたやんか。」
「新台入れ替えてあんた、……パチンコとちゃうで。」と笑いながら、オバハンがお盆にいれた茶の入った湯呑を持って来た。
色のついた水みたいなもんかと思ってたら、顔を近づけてちゃんと匂いがする。
どうぞ、と言われて、いつかのオヤジの真似して、おおきにありがとうさん、と答えて啜ると、緑茶の匂いにほっとする。オバハンも、今持って来たばかりの蜜柑を剥いて食べている。
青い蜜柑も、人が食べてるとわりかし美味そうに見えるもんやなあ。
普通の黄色い蜜柑よりなんやビタミン豊富みたいな気ぃするし。オレにも一個くれ、というと、好きに食べてええ、と言われてふたつ押し付けられた。皮を剥くと酸っぱそうな匂いするもんやなあ。
「オレにしてみたら、パチンコも仏壇も似たようなもんやて。そこそこの金がないと手ぇ出されへんやろ。」
「いつまで経っても口減らん子やねえ。まったく、ちょ~っと仕事あるようになったからて、偉そうな口利いて。」
「オレのこと、いつまで経っても子ども扱いしてんの、オバハンくらいやで。」
肌艶の良くないの化粧で誤魔化す年になってしもたし、すっかり五十がらみのおっさんや。
「子どもみたいに見えてんのやからしゃあないやんか。仕事ばっかり入れて、落語の方はちゃんとやれてんのか?」
「そのために仕事調整してるねんて。昔みたいにタレントの仕事ば~っかり入れてたら、落語の方がパンクしてまうわ。」
「そら、あんたの言う通りや。」
「昔みたいに、オヤジみたいになりたくてもなれへん、て苦しむばっかりが能とちゃうとは分かってんのやけど、ド下手でも稽古し続けるしかないし、オレにとっては、毎日が新しい草若になる修行みたいなもんやからなぁ。」
「ヒトシ、あんた、その年でまだ修行て。」
ぷは、とオバハンが吹き出した。
失礼なオバハンやなあ。
「まあ、若狭やて、毎日おかあちゃんになる修行みたいなもんやて言うてんのやから。オレくらいの実力やったら、そらそうやろ。」
オヤジの背中は遠いで、ほんまに。
「若狭ちゃんは、まあそうやなあ……今だにオチコちゃんの子育てに苦心してるみたいやね。」と草々と若狭の一粒種の話になった。
「いや、大物やで、あの子は。『次の徒然亭若狭になれんのなら、徒然亭草若でもええよ~!』て言うてるみたいやし。大成するわ。」と言うと、オバハンはプッと吹き出した。
「そら頼もしいなあ。ていうか、この間は草若継ぎたい、て言うてたのに、乗り換えられてもうたなあ、ヒトシ。」
「いや、それはええねんけどな。あすこのうちはほんま若狭のおかあちゃんの血ぃかなんか知らんけど、草々は実の父親のくせに形無しやで。まあ、いくらオヤジの芸風受け継いでるて言われて貫禄のある落語したかて、あの稽古を間近で見てたら、いくら親でも弟子入りは勘弁、て気持ちは分かるけどな。……自分が落語の稽古で苦労せんかったヤツは、苦労してるもんの気持ちが分からんからのとちゃうか。若狭は若狭で、『落語家になる、言うてくれて嬉しいけど、あんた草若兄さんに稽古つけて貰うんでほんとにええの?』とかオチコに言うたり、『草々兄さんと草若兄さんには悪いけどぉ、それやったら私が復帰した方がええかもしれん。』てシッツレーなことオレらの前でしれっと言うてて、ほんま遠慮がないていうか。」
「そら、若狭ちゃんらしいなあ。まあおかみさんの貫禄やで、許したりいな。それにしてもヒトシ、あんたはどないなん?」
「オレ?」
「おばちゃんなあ、先代の草若さんが生きてたら、あんたに弟子取る覚悟あんのか、て聞いたやろと思うんよ。」
「そら、オヤジより天狗の鞍馬会長が言いそうなこっちゃで。」
「弟子入りしたいて言われたんなら、子どもの言うことや、て誤魔化さんと、ちゃんと考えて答えなあかんよ。あんたかてそうやったやろ。オチコちゃんの年の頃から、ここで草若さんに弟子入りしたいて言うてたやん。」
「そら、オヤジの子やったからや。本来なら、オレだけが決めることとちゃうやろ。弟子の方かて、これぞという師匠を選ぶ権利があるんやから。子どもの時に好きだった落語家に縛られんと、他の師匠方の落語も聞いてから決めた方がええし、て今ならそう思うねん。……それになあ、弟子なんてもん、こっちが覚悟決めたとこに来るんと違うんちゃうか? 草々かて、小草々の木曽山が来た時、器やない、て言うてたやろ。自分の芸を磨くんに精いっぱいなんは、どんな落語家かて同じや。……そんでも、落語家なら誰でも、この長いこと続いて来た落語の歴史が流れの中におる、て言うなら、オレかて、『弟子にしてください。』てほんまのほんまに言われた時には、どうにか頑張って師匠にならなあかんわな。」
まあ、こないだ久しぶりに日暮亭に来た若狭のお父ちゃんと話し込んでたらそないな話になったてことやけど。
ただの受け売りっちゅうやつや。
「ヒトシ。」
「……なんや?」
「あんた大人になったねえ。」としみじみ言われてズッコケそうになった。
「オレかて、もういい年のおっさんやで。それなりの分別かて付くわ。ほな、お茶ご馳走さん。また来るわ。」
「私も、オチコちゃんが五代目継ぐまで生きとらんとねえ。」
「アホかいな。二代目徒然亭若狭になるかもしれん、て今言ったとこやないか。気が早いで。」
「おばちゃん、イラチやねん。」とオバハンは皺の増えた顔でにっこりと笑った。
「まあ、オレは『寿限無』と『はてなの茶碗』が出来るようになったら初高座するから、よその師匠より年季明け早いかもなあ。」
「……それ逆に年季明け遅なるんと違う?」
「そんなら『寿限無』と『鴻池の犬』でもええわ。オレは弟子が好きな時に年季が明けられるようにするし、弟子取るとしたらひとりしか取らへんで。それだけは絶対や。」
上の兄弟が出来良すぎたときに下の子どもがどんだけひねくれてまうかとか、オヤジもおふくろも、オレが一人っ子やから、よう分かってへんかったのや。
まあ、捕らぬ狸の皮算用やけど、内弟子なんか何人も取って、四草とイチャイチャ出来んようになるのは困るから、てのもあるな。
そんなことを考えてたら、夜は肉吸い風作るんで、肉と葱買ってきてください、と新しいメッセージが入っていた。
「ああ、そろそろ、あの子迎えに行く時間か?」スマホに目をやったのに気づかれたのか、オバハンがにっこりと笑った。
「そんなとこや。ほんなら、お茶ご馳走様。また来るわ。」と言うと、おおきに、また来てや~、とオバハンがハワイアンダンサーのように腰を振った。
「おう。今度来た時は掃除手伝ったるわ。」
それまで元気でおってくれな。
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