洗濯日和
「お日さんが照ってんのだけはありがたいわな。」と空を仰いだ。
六月、快晴。気が付いたら衣替えの季節になっていた。
かさばる冬物から仕舞い洗いをして干す、という単純作業を繰り返してたら、朝から五、六回ほど洗濯機を回すことになった。そうすると、まあ段々飽きて来るもんや。
昔は水洗い不可のテラテラした服を好んで着てたもんで、ほとんどはクリーニングに出されもせんような代物ばっかりやった。次のシーズンも待たずに、えいやっと捨てることにしてた服もあったくらいで、今思えばあの頃が懐かしいような気がするわな。
洗濯なんか、内弟子修行中に一生分やりきったと思っていたのに、喉元過ぎれば熱さを忘れる、ていうか。
今はまあ、セーターでも何度もようさん洗って、長く持たせることばっかり考えてる。
すぐに着れんようになってしまう子どもの服の買い替えなんかもあるから、大人の服はそないにした方が圧倒的に安上がり、てのはあるわな。
そうすると、体型も維持しとかなあかん、とは思うけど、なんやほんま、オレの方はおかんの血かなんや知らんけど、そっちの方の苦労は全く考えずにここまで来た。大人になったらオヤジくらいの体型になるんと違うか、て思ってたのになんや全然貫禄も肉も付いてくれへんし何やねん、て思ってたけど今は有難い。
まあ、節約の時期やて言っても、おしゃれ着用の洗剤かて、タダとは違うし、自力で干してたら稽古の時間はのうなるし、洗濯てホンマ面倒いな。
年に十着くらいあれば後は高座の衣装だけ手入れしてたらええのと違うか、て言っても、三人分は多いわ。
オレの服、ちょっと捨ててまうかな。
四草の服もおチビの服もそれほど多くない。とにかく、これいらんのと違うか、と思えるのはまあオレのだけや。
一年過ぎても着いひん服もあるしなあ。
バザーに出すていう手もあるよ、て子どもに言われたけど、なんやそのために綺麗に洗うのも面倒すぎるで。
干す場所もないし、もう後は明日のオレに任せてしまお、と思ったら尻ポケットに入れてた電話が震えた。
なんや、と思って手にしたら、喜代美ちゃんからメール入ってた。
今日はそういえば、草々に仕事があるて言ってたような気がするな。
『稽古場は開けてますけど、今日は草々兄さんがお弟子さんたちとオチコを連れて京都の方の仕事に出て行くので、おうち出る前に連絡お願いします。十時より後やと皆戸締りして出てると思いますんで、日暮亭に鍵取りに来てください。今日はもぎりが終わったらちょっと自由な時間取れるんですけど、草若兄さんさえ良ければ、その後でちょっと行きたいお店があるから付き合ってくれませんか。』てなあ。
喜代美ちゃんも大変過ぎるで、オチコちゃんを預けて昼間は日暮亭のもぎりやねんもんなあ。
もう日暮亭の横に託児所作ったらええんと違うやろか。
オレもパアンパアンと洗濯もん干してしもて、洗濯終わらせてとっとと稽古行かな、て思うけど草々の弟子も皆出払ってまうとしたらオレ一人やとなあ……。草原兄さんはカルチャーの仕事、四草はいつものバイト。オレひとりで稽古とか捗った試しもないし。
オチコちゃん引き取って来て日暮亭で遊ばせとく方が有益なんと違うか?
……ってええ?
「……なんやこれ?」
まじまじとメールの本文を二度見してしもた。
「『行きたいお店があるから付き合ってくれませんか?』」
ニコニコっと笑っている喜代美ちゃんの顔が脳裏に浮かんで来た。
「……これデートのお誘いちゃうか?」
いやいやいや、相手は人妻やで……ていうか、なんや喜代美ちゃんからオレにこういうお誘いあるの初めてと違うか。
ずーっと声掛けるのはオレからやったもんな。
喜代美ちゃん寝床に呼んで来い、て寝床の大将と奥さんを顎で使ってた時代から、ずっと。落ち込んでた時に草々との長い昔話を聞いて貰ろた時も、ちょっと寝床行かんか、て場所移したのはオレやったし。
オヤジの飯作らなならん、から始まって、炊事洗濯掃除が終わったら稽古がある、て言われて逃げられ続けて、あの子のお出かけと言えば内弟子部屋の隣に住んでる草々といっつも一緒、寝床で顔を合わせても今度はオレの方が飲んだくれのゴンタになってた最低最悪の時期で。
気が付いたらオレもドケチの弟弟子と同居してるし、なんやこう……なし崩しにそういうことになってしもて。
まあ、あいつとどないかなってても、改めてどっか行くていうのとはちゃうしな。
こういうの中学生の頃以来とちゃうか?
着てく服、ないで……?
そもそも、なんで今やねんな……?
頭の中ではてなが乱舞してる間に、手の中の小さい機械がぶるっと震えて、新しいメールが入って来た。
『こういうの始めました。名前はペンネームがええて奈津子さんに言われたんで、師匠に考えてもろた芸名、使わせて貰ってます。』と言われて、これがリンクです、押したらどこかに飛びますよ、の線が付いている先を選択して押してみたら、その先は、どこかで見たことのあるフォーマットが見えた。
見覚えのありすぎるでっかいお箸。
見たことのある落語会のチラシ。
一目で徒然亭草々宅と分かる、賑やかな食事風景を見てると、うちの茶の間でオヤジを上座に据えてた頃のあの光景が目の前に浮かび上がって来る。
家族が欲しい、と言うてたヤツが、こないにでっかい家族を作ってしまうなんてなあ……。
自分で撮った写真と短い文章を載せるだけの、昔のアルバムの代わりに今流行っているインターネットのお遊びや、と尊建か若い弟子辺りから仕入れたらしい知識を、草々が偉そうに披露していたけど、アレがこれか。アルバムは、家族で見て楽しむだけの話やけど、今では誰とも知らん人間が見ることが出来る、て言われてもピンとくるもんでもないけど。
写真を撮った人間の名前を書くとこにある、見慣れた名前に目を見開いた。
「……徒然亭若狭て。」
これ、草々辺りにバレたら、ちょっとえらいことと違うか。いや、まあお遊びて言うてたし、尊建辺りならともかく、柳眉辺りに知れたら、あいつ、喜代美ちゃんの古典推しやからな、真面目に復帰のこと考えてますんか、とか草々と並んで詰められたら、逃げられへんのと違うか。
いや、まあオレがそこまで考えんでもええんか?
子どもが手ぇ離れたら、おかあちゃんが仕事に戻るなんて話、今時はぎょうさんあるさかいなあ。
草々のとこは、弟子も雨後の筍みたいにいてるし、皆師匠に似て生真面目っちゅうか、真面目にやれるヤツしか残らんていうか……。
生真面目なヤツは面白みがないて思うけど、あそこは皆、ていうか、小草々の後に入って来た弟子は師匠の草々にどっか似てる。
もっと、四草や小草々みたいなヤツも受け入れる師匠がおったらええんと違うか、て思うけど、まああんなんを師匠が許したら、先に入ってた弟子があの頃のオレらみたいになるし、難しいわな~。
「ここにいてたんですか。」
噂をすれば影ていうか。
「おい四草、お前それバイトの格好やで、また抜け出して来たんか。」と言うと、弟弟子は、しれっとした顔でまあそうですね、と言った。
ほんま、オレが言うのもなんやけど、落語の稽古以外は不真面目なやっちゃで。
「朝からずっと洗濯機回してるから、そろそろ飽きてくる頃と違うかな、と思いまして。今日、混んでるんで兄さん後で皿洗うの手伝いませんか?」
「そらまあええけど。着替えてくるからちょっと待っとっててあいつらに伝えといて。」というと、四草は分かりました、と頷いた。
オレ、中国語出来へんからな。
四草も出来るくらいやからオレかてそこそこは出来るやろ、て中華料理屋にバイトに入ったはええけど、結局のとこ、皿洗いしか出来へんかった。
まあ皿洗いは手が荒れる以外は楽やからええけど。ささくれとかよう出来るようになるしガサガサになるしなあ。冬はクリームとか必要になるし、て脱線してもうた。
「……あんなあ、しぃ。」
「何ですか?」
「服買うのに付き合うてくれんか?」
「ええですけど。いきなりなんですか? 服なんか、いつも自分の好きに買ってるでしょう。」
「いや、……あんな。」
今日、喜代美ちゃんとデートやねん、てコレ言わん方がええか?
そもそもあっちはデートて思ってないしな。
「で、デート……せえへんか?」
「は?」
年上の男は、オレのことを呆れたような目で見上げて腕を組んだ。
「いや、お前とオレで、デートていうか、」
デートの事前準備ていうか。
オレがこいつと出掛けても、デートて言うようなもんかは分からんよな。
そもそも、オレはこいつとデートしたいんか?
そないしてうだうだと考えてるうちに、四草はいつもの舌打ちをした。
「別に、『デートていうか、』の方でええですよ、僕は。」
「え、あ、うん………。そんなら後で。」
着替えてくるわ、と言って部屋の中に走って戻っていく背中に向けて、一緒に暮らしてる男が、思いっきりでっかいため息を吐いたことをオレは気付くことができへんかった。
powered by 小説執筆ツール「notes」
55 回読まれています