七夕
久しぶりに来た日暮亭のロビーには笹竹が飾ってあって、もうそんな時期になってしもたんかと思う。
世界平和を祈ったりとか、誰それと一緒におれますようにて恋愛の願掛けとか、受験受かりますようにの学問成就とか、もう正月の絵馬に書けばええようなこと書いてるヤツのが多いんと違うか、と思って見上げた笹竹のでかい短冊には妙な書きようがしてあった。
『聞きたい噺を書いて吊るしてね、あなたの願いが七夕に叶うかも。』て、何やこれ……。
目の届くとこにある青赤黄色の短冊には、佐々木裁きに茶の湯に愛宕山。
このクソ暑いのに愛宕山て、底抜けに季節とちゃうで……。
そら戸棚に直した片身のサバも小半時で悪なるわ。いくらなんでも匂いで気づくやろ。
アホのオレかてそのくらい分かるがな。
あっ、はてなの茶碗の短冊に、三代目徒然亭草若の、て書いてある……アレ、オレに対する嫌みかいな。
いや、オヤジのはてなが聴きたいのはよーく分かるけどな、それにしたってないで。
あれ、徒然亭四草の崇徳院て書いてあるな。
達筆すぎる字ぃで書いてるけど、こいつ素人やな。うちの一門で崇徳院の巧者言うたら、調子のええ日の、とか噛まん日の、とか注釈は付けたらなあかんにしても、一番は草原兄さんやで。
まあ加賀美一門のあの人とか、他所の師匠方でも、崇徳院やりはる方はぎょうさんいてるけどな。
別にオレに聞かせといたらええんじゃ、とか言うてるのと違うで。
「草若兄さん、今日はお疲れ様でした。七夕の笹竹見とるんですか。」
「おう、若狭。今年のもえらい賑わいようやなあ。七夕終わったのに外さんのか?」
「お客さんら皆ぁにせっかく書いてもろたし、張り込んで笹竹もええのを買ったんで、草原兄さんに相談したら、そんなら仙台の七夕みたいに旧暦の八月までは置いておこ、て話になりまして。まあ七月の思い出や~て言うて日暮亭のロビーで殺人事件のアリバイに使えそうな写真撮る人もそんなにおらんやろていうので。」
はあ?
いきなりなんで火サスみたいなネタが入って来るんや……?
また次の創作落語でも作ってんのかな、この子。
「これはもう、草太くんのアイデア賞ですね。」と懐かしい名前が出て来た。
「草原兄さんとこの草太か。あいつもういくつになる? そろそろ就職してるて思てたけど、まだここに手伝いに来とるんか?」
「天狗で働いとると、夜の十時くらいまで仕事あるけど、相手のおる話やでえ、一時からのアポイントなくなったけど、三時に行くなら天狗に戻ってられへんて時とか、四時に仕事終わるけど七時からここらで接待とか、空きの時間にここで仮眠取ったりシャワー浴びて着替えとかしてて、その合間にアルバイト時代にお願いしてた仕事を、ちょこちょこ手伝ってもろてるんです。」
「営業か……落語家も大概稼がれへんけど、自分で稽古の時間は選べるからなあ。オヤジみたいに夏場は稽古にならんからオレは昼寝するで~お前らも適当にしとけ、て寝てる師匠もおるし。」
「師匠、ときどき座布団を枕にしてましたよね。叱る時にはあんな怖いのに……。草々兄さんもたまにはあのスタイルになって来ててもええのに、なんやもう落語に暑いも寒いもない、お客が客席で暑い暑いて思てるときに、こっちが暑い暑いて汗吹き出しながら演じてたらお客も楽しまれんやろが、て言って、皆大変な思いしてます。」
「今どきの客席はどっこもクーラー付いてんのと違うか?」
「それが、地方の公演行くと扇風機だけのお部屋とか、まだまだあるんですわ。」
「そうかぁ。」
小さい頃のこと思い出してみたら、まあ確かにそういう場所もあったけど、オヤジも、おふくろと一緒のこと考えて、夏場と冬の寒い時期にはあんま関西の外には出えへんかったからな……。
草々はなんや年季明けてから色々、勉強になる言うて、天狗が投げて来た遠出の仕事にも全部ハイハイて言って、あちこち行って日銭稼いでる間にも、オヤジに他のとこの兄さんらと絶対被らない話を教えて欲しいて言うて、立ち切れとか景清とか習ろて、落語会で掛けたい噺増やしていって……。
あ、あかん、なんや落ち込んで来た。
「ここんとこ、アンケートに聞きたい落語を書いてくれてる人とか最近少なくなってきたなあ、て若い子が言うから、草太くんがアイデアひねり出してくれて。今は怪談話の季節ですし、色々季節が分かる噺を取り入れていくのも大事です。けど、お客さんが聴きたい噺って、寝床のメニューでもないけど、『いつものアレ』なんかなあ、てなんとなく考えてしまいますね。」と喜代美ちゃんが言った。
「そういえば、オヤジにもそないなこと言われたなあ。噺覚えるなら、寿限無やまんじゅうこわいみたいに季節関係ない話からやってくのがええわなて。」
草々に頭下げるのも癪やけど、景清とかオレもやってみるか……?
「そうなんです。最初に覚える話てそうなんですよね。ちりとてちんなんて、言うたらきっと鯛の旬の頃の誕生日の話ですけど、今ではいつでも鯛のお造り食べられますから、逆に豆腐が腐ってしまいそうな夏場なら、いつ掛けてもお客さん、誰もおかしいて思わんていうか。」
言われてみたらそうやなあ、と感心してしもた。
そないして短冊見上げてると、怪談話とか景清とか書いてる人間は達筆な人が多いように見えて来た。
ていうか、草々と四草の名前、やたらと多くないか?
「若狭、あんなあ。」
「あ~総選挙みたいになってますよね。……お一人があの、あの赤い短冊。あないして師匠の名前書いたら、なんや割と贔屓の方のお名前書いてくれるようになったんですけど、明らかに四草兄さんと草々兄さんがツートップで。なんやすいません。」
「なんで謝るんや。あ、あそこに『徒然亭若狭のちりとてちん』て書いてあるのも見えるやん? ……ていうか、なんや見覚えのある字やな。アレ……青木さんちの一人娘やないか?」と言うと、やっぱり見たら分かるんですねえ、と喜代美ちゃんが項垂れた。
「小次郎おじちゃんやないんやから、サクラなんかせんかてええて言うてんのに。」
「サクラて……そらまあ、多少はそうかもしれんけど、こんなもんお遊びやで。別にええんと違うか? それに、あの子におかあちゃんの落語のテープ、何度も聞かせてんのやろ。そんなら、小さい頃の喜代美ちゃんと同じやんか。」
「草若兄さん、そう思いなりますか?」
「そらそうや。喜代美ちゃんみたいに、この先、テープ聞いてた徒然亭若狭に弟子入りしたい~て言うかも分からへんで。」と言うと、妹弟子は複雑そうな顔をした。
「私は、子ども産むときにきっぱり引退しましたさけ。」
「きっぱり引退て……今も、鉄道ミステリみたいな創作落語を考えてるんとちゃうんか? 新しい噺考えながら稽古もしてんのなら、徒然亭若狭にほんまの引退はないで。」
「そうですか? あの子なら、草々兄さんに弟子入りしたらええんとちゃうかな、て思ってたんですけど。」
「子どもは親の言う通りの人生は歩まんもんや。そら、オレや喜代美ちゃんがいっちゃん分かってるんと違うか?」
「草若兄さん、……落語家辞めるて言うて放浪してた人が言うと、ほんまに説得力ありますねえ。」と言うのに、笑ってしまった。
「そんな説得力いらんて。」
兄弟子の黒歴史、掘り返さんといてくれるか。
「まあ、今思えば、喜代美ちゃんが一度は短大行こうとしたみたいに、あの遠回りも必要だったんとちゃうか、て思うねん。いっぺん離れてみんと、分からんこともあるやろ。」
「そうですねえ。……あ、草若兄さんも、短冊書いてってください。」
はいこれ、短冊とペン、と喜代美ちゃんから細めの油性マジックを渡された。
「オレはええわ。ひとつには選べんもん。」
「え? 寿限無とちゃうんですか?」
「今更そんなんせえへんわ!」
「ほんまですかぁ?」そんなら書いてください、と結局押し付けられてもうた。
はてなの茶碗覚えたんやで、それで今更寿限無なんかあるかいな、とぶつぶつ言いながら油性ペンを手に取ったけど、はてなの茶碗でもないような気がした。
オレは明日、どの噺をしてるんやろ、とそんな風に思ったら、豆腐の腐ったヤツや、と口を付いて出て来たオチに気付いた後で、ワヤになった話を切り上げて寝床を出て行った喜代美ちゃんの初高座のことを思い出してしもた。
「オレもあれで行こ。徒然亭若狭のちりとてちん、と。」
「えーーーーー! 草若兄さんまで。うちの子の悪ノリに便乗せんといてください。」
「そやないねん。……実を言うとな、喜代美ちゃんがあの初高座の後でどんどん上手くなってった後は、オレ、ほんまに真剣には聞いてへんかったんや。」と言うと、喜代美ちゃんはなんや困ったような顔をしてしまった。
「……うーん。徒然亭若狭の復活はないかもしれへんけど、来年は今作ってる創作落語のタイトルも草若兄さんに書いて貰えるように頑張ります!」
「そうかあ? そら良かったわ。」
オレがオチコちゃんの横に吊るした短冊を見て、七夕ですねえ、と喜代美ちゃんが言った。
そうやで、みんな好き勝手な願い事をする日や。
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