蟹すき 番外
「越前蟹てほんまに大きいなあ、草若ちゃん、ありがとう!」
いやあ、子どもてほんまに可愛いなあ。今夜も蟹すきにして良かったわ。
「ええでええで、百個食べ、好きなだけ食べたらええわ。」
「草若兄さんの奢りやからな。」
四草、お前もやっと兄弟子の偉大さが分かったようやな。
「そんでも、僕がどれだけ蟹が好きでも、百個は無理やで。」
今日の越前蟹のこの大きさなら、百個は入れられへんからなあ。
張り込んだおかげで、やっとあん時みたいなごっつい蟹、入ってるで~。
「お前が食べられへんて言うなら、代わりに僕が食べるからええけどな。」
いや、そやからお前はええて。
三人で囲む鍋が、くつくつと美味しそうに煮えている。
綺麗に洗ったお玉もスタンバイしてるし、今日こそオレが鍋奉行やるで!
「草若兄さん、私らぁもご相伴させてください。」
喜代美ちゃ~ん♡♡♡
ようこそおいでくださいました。草若兄さんの蟹すきの宴、寄ってってや!
「おい、草若、お前水臭いやないか。こっちにも食べ盛りの子どもがおるねんぞ。」
「草若ちゃん、これほんまにおおきいなあ? 一杯でなんぼするの?」
草々、お前は呼んでへんからオチコちゃんだけ置いてけ。
「おい草若、来てやったで~。今夜はうちも緑がおらへんから、今日は俺もお前の鍋でええわ。」
草原兄さん!
なんですか、そのタッパー、葱と白菜がめちゃめちゃ入ってますけど……。
「あっ、草原兄さんええとこに、今夜の鍋奉行、お願いします。」
いや、喜代美ちゃん、それオレの蟹すきや……。
「若狭、草原兄さんが来たら、お前の分の蟹ないで。」
「ええっ……。」
おい四草、お前余計なこと言うて。
「そんなわけあるかーーーい!」
あ、夢か。
起き上がったらなんや部屋ん中真っ暗ていうか、豆球ついてへんし……。
肩がぬくいな、と思ったらこれオレの部屋の毛布やん。
持って戻らんかったら部屋の中で寒いヤツな。
……なんや、夜中のリビングてほんまにしんとしてるなあ。
針の落ちる音も聞こえて来そうていうか。
次の高座も近いし、起きたついでに稽古もええけど、誰も笑うてくれへん、こんな静かなとこでしてもなあ。
「四草のヤツ、なんで起こさへんねん……。」
夜中に一人やと寂しいやんか。
――まあいくら骨と言うても、僕が持ち上げられる重さと違いますから。
そらまあそうか……。
今日は、ラーメン買い忘れたとか、腹の皮はちきれてまうわ、ってわいわい言いながら〆の雑炊までやり切ってしもたからなあ。
あいつもまあ、カッコつけて運ぼうとしたとこで、おチビに無茶したら腰ゆわすで~、て言われたんかもしれへんし。いつの間にか鍋の片付けも終わってるし、後でふたりに礼言うとかなあかんな。
それにしても、あれだけ換気扇回したけど、なんとなく部屋が蟹すきの匂いがまだ残ってるていうか……。オレもなんや蟹の匂いするな。
とりあえず、朝になったらあいつもおチビも起きてくるし、部屋戻って寝よ。
シャワーは……、まあ明日の朝でええか。
「……なんでおるんですか。」
これ僕の布団ですよ、と言っても、引っ張られた布団は元には戻らない。
しょうがないので、僕が取られた布団の中に潜り込んでいく羽目になるわけや。
いくら本意ない別れをしても……と言わんばかりに、あの失踪の後、どこかへ行くたびに毎回ケロっとした顔で僕のところに戻って来る男は、いつまでも居付いて、出ていく気配がなかった。
こうしてとうとう、新しい家にはほとんど僕らがついて来るような形になってしまったわけで。
そろそろ出てってもええんですよ、とこちらから言えなくなってしまったわけだが、僕が望んでそういう形を取ったことは――まあこの人、その辺は底抜けのドンやから分かってへんのやろうな。
取り戻した布団はぬくいけど、なんや……蟹すきの匂いがする。
おかしいと思ったら、今日はパジャマに着替えてないらしい。
「……もう食べられへんでぇ。」
兄弟子は同じ布団の中で寝返りを打ってから、寝言をこぼした。
呆れたことに、あれだけ食べて、夢の中でまだ何かを食べているらしい。
こちらは、突然布団に入って来た男に、気持ちは落ち着かないし寝らないしで、蟹すき以外のものを食べたくなっている訳だが、今夜は叶いそうもない。楽しそうなその夢の中に、僕がいるのかどうかも分からない。
それでも、まあええか、と思う。
蟹すきで満腹になったから、というだけでもない。
そういう夜が、僕にもあるのだ。
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