おにぎり
熊五郎さんの顔のスタンプ、これ私がバイトで押したヤツやね……。
これで寝床行って定食頼むんやで、って言って、お母ちゃんから渡される手元の回数券見て、まあいつものとこ行こか~、て思えるのも渋うて悪くはないけど、はよ行きたいお店が好きに選べる大人になりたいなあ。
洒落た喫茶店とか、美味しいカレー屋さんとか、パクチー乗せたタイ料理とか。そういうお店が梅田の周りにはごまんとあるのに、なんでかうちはずっと寝床。
まあなんでか、ていうより、日暮亭の向かいにある唯一の飲食店やからやけど。
押しも押されぬ人気店、とは毛色が違うけど、すっかり落語家さん御用達になってもうて、熊五郎さんもお咲さんも今でも元気いっぱいに働いてる。
私はそんな恩恵にあずかって、綴り百セット分、五百円で楽しく働かせてもらってます。
帰りにお花おばあちゃんのお店で駄菓子買うて帰るのも割と楽しいていうか。ほんま、ウチに居るとずっと落語の稽古聞くことになるし、お父ちゃんの久しぶりの噺やと、お囃子さんするお母ちゃんの壊滅的な地歌の三味線を聞いてるのがほんまに辛いていうか。
私かて、学芸会でそれほど得意と違うけど、お母ちゃんみたいな大人になってからも三味線下手やて叱られることもあるんやなあ、とか考えたらなんや気持ちが暗くなってきた。
お腹減ってると考えが落ち込むていうけどほんまやなあ。
何か食べたらきっと良くなるわ。
ランチタイムの寝床はいつも人がおらへんから快適やし、食べ終わった後で畳の小上がりに行って宿題片付けてても何も言われへんからほんと助かってる。
……と思てたけど、今日はなんや妙に人が賑わってるなあ。
外に出て来る人たちがもう一遍て店内見返してて、テレビの生中継でもしてんのかな、て思って中見たらなるほど、て感じやった。
端っこの四人掛けのテーブル席に座ってる、あのふたり。
こないだ、「四草師匠と並んでたら、草若ちゃんのが頭一つ高いんやけど、座ると座高同じくらいやねんな。」てうちで言ったら、お母ちゃんはお茶吹き出すし、お父ちゃんが渋~い顔になって、アイツは足だけは俺より長いからな、とか言ってた。
「草若ちゃん、四草師匠、こんにちは。」
「おう。」四草師匠はいつもの不機嫌そうな顔。
「オチコちゃんやないか、元気か?」と草若ちゃんはいつもみたいににこにこしてる。
「昨日、日暮亭で会うたばっかりでしょう。」
「お前は何しょうもないこと言うてんねん! 昨日は元気でも今日はちゃうかもしれへんやろ?」
草若ちゃん、いつもながらほんま優しいなあ。
「おい、今日は元気とちゃうんか?」と四草師匠が申し訳みたいに聞いて来た。
今日はカウンターに座って、土ワイでやってる孤高の探偵っぽくしてもええかな、て思ってたけど、やーーーめた!
草若ちゃんたちとおしゃべり出来た方が楽しいもんな。
ここにしよ!
「うん、めちゃめちゃ元気! ふたりとも今日は何食べてんの? 相席してもええ?」と言いながら草若ちゃんの隣の席に座ってみた。
「……もう座っとるやないか。」と四草師匠がわたしのこと冷たい目でジト~っとみてから的確なツッコミを入れた。
うーん……草若ちゃんの隣やと、醤油とかお塩とか私が言う前に取ってくれるからいつもこっちの席なんやけど、四草師匠の前の席になるんよねえ。
まあ、もう座ってしもたんやけど!!
「お前はほんま細かいこと気にするやっちゃなあ~。ええやんか、ここ座り!」
「ありがとう!」
「草若兄さん、こいつには奇遇やねえ、とか言わへんのですか、」という四草師匠の声で、一気に場の温度が四度下がったていうか。
え、何?
「……そういえば、草若さん、昔は若狭ちゃんのこと待ってここでよう張り込みしてはったなあ。」という熊五郎さんの脇腹にお咲さんが無言で肘を打ち込んでいる。
うわ、痛そう~。
ていうか、草若ちゃん、何で今の微妙な空気に気付いてへんのやろ……。
「あ、なんか頼むか?」と草若ちゃんはメニューを指さして何でも頼みや、と言っている。ここで調子に乗って何でも食べてしもたら、お腹が風船みたいに膨れてかけっこも早く走れんようになるで、ってお母ちゃんから言われてるからなあ。
「オチコちゃんはもう若狭ちゃんから定食の引換券貰って来てるもんね。」
「お咲さん、こんにちは! はいこれ、定食お願いします。」
「あ、もう定食の分のお金は若狭ちゃんから貰ってるから、そこまでの金額やったら、オチコちゃんの好きなもんに替えてもええんやで。メインがきつねうどんとか焼きおにぎりとかに買えるくらいやったら、定食のもともとの小鉢にお味噌汁やらジュースやら付けられるし。」
「そんなんでもええの?」と私が聞くと、お咲さんが、ええやろ、とカウンターの熊五郎さんに言った。
「まあなあ、若狭ちゃんには内緒やで。成長するには、ほんまは栄養偏らずに食べて欲しいて思てると違うか。」と奥から熊五郎さんが言った。
「熊五郎さん、ご飯をおにぎりにて出来る?」
「それくらいならええで、常連さんやさかいな。」と言って頷いてくれた。
「やった! おにぎりや!」
「オチコちゃん、おにぎりほんまに好きやねえ。」
「うん。お母ちゃんは昔のお弁当の雪辱やて言うて時々サンドイッチ作ってくれたりするんやけど、私は断然おにぎり派やねん。お米が美味しいの最高!」と言うと、草若ちゃんが、昔から変わってへんなあ、と言って笑っている。
「草々と喜代美ちゃん、今日から九州やて?」
「そやねん。長浜ラーメン食べてくるわ~♪て言ってえらいウキウキで出掛けてもうた。」
立ち切れ線香のあの壊滅的なお三味線聞くのも今日で最後かと思うとほんま嬉しいねんな……。
「おばあちゃんが定期便で来るのも夕方になるから、今日はほんま暇やねん。」
「暇て……ちゃんと宿題しいや。」
「うちにおっても稽古の声でうるさいからこっち来てるんやで、後で小上がりでさせてもらうわ。」
「若狭と草々兄さんの子どもにしては計画的ですねえ。」
「そらまあ、お父ちゃんみたいに、落語の才能あったらええやろうけど、もしなかったら将来困るもん。」と私が言うと、草若ちゃんが飲んでた水にむせてしもた。
「草若さん、大丈夫か?」
「……草若兄さん、今の、ちょっとグサッと来たんやないですか?」
「なんでお前はそこまで分かってて追い打ち掛けようとしてんねん?」と草若ちゃんが険しい顔になったところでお咲さんが「どうぞ~! 今日は特別サービスで大盛りやで!」とおにぎりが五つ入ったお皿を持ってやって来た。
「これちょっと多くない……?」
「そこの不良の大人ふたりにもサービスしようかと思ってな。梅とおかかと鮭が入ってます。梅干しが当たりやで!」
「……普通はそこ、外れとちゃいますか?」と四草師匠が言った。
私のお昼やのに、もうお皿に手が伸びてる。
ほんま不良やなあ。
「オチコちゃんは梅干しのおにぎり好きやもんな。」とお咲さんが笑ってる。ありがとう。
「オレ、鮭がええな~。」
草若ちゃんも、さっきの顔怖いのがなくなったの良かったなあ。
おにぎりをもぐもぐと食べてる四草師匠が「……どっかふらっと行かんといてくださいよ。」と言ったのが聞こえた気がしたけど、みんなで聞かないふりをしてあげることにした。
おにぎりて、ほんまに偉大やなあ。
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